今回ご紹介する徳蔵寺は、武蔵野三十三観音、狭山三十三観音の霊場めぐりで行く人だけでなく、歴史好きな人にもおすすめのお寺です。
一般の人にもぜひ、行ってみてほしいと思っています。
なぜなら、貴重な板碑があるからです。
実は、5月にこの近くに買物の予定がありまして、ついでに行ってみたのですが、武蔵野三十三観音のお寺によっては6月からでないと再開していないところもありまして、徳蔵寺はまだ開いていませんでした。
それで場所の確認だけ、ということになりましたが、前もって予習できてよかったです。
実は、板碑保存館が併設されていることを知らなかったからです。
徳蔵寺では板碑も見学してほしい
お寺自体には、朝7時から夕方6時まで入れるようでした。
しかし、御朱印などは、おそらく9時から4時くらいまででしょう。
雨の日のお寺もなかなか良くて、意外と、雨の日が好き、という人がいるのですよね。
人もそれほど来ないからでしょうか。
この前も秩父に行った時にそのように言っている人をみたことがあります。
鎌倉でもそうでした。ネットでも見かけました。
雨の日とお寺は、似合うのかもしれません。
狭山三十三観音霊場の第12番、永春庵
今回はお寺は開いていても、寺務所が開いていないので、御朱印はいただけませんでしたが、徳蔵寺の山門入ってすぐのところの、狭山観音の霊場となる永春庵があります。
聖観音菩薩がお祀りされていました。
私は、狭山観音も巡っている最中なのですが、狭山観音は思ったよりも歴史的価値のある古いお寺が点在しています。
なかには、古くなって廃寺になったところ、地域の住民で守っている無住のお寺もありました。
こちらも以前はお寺として存在していたのかもしれません。
しかし、今は聖観音菩薩像がお祀りされているだけとなりました。
永春庵の先には、石灯籠と六地蔵です。
そのまた奥には、白い塔の供養宝塔が見えました。
山門を入って真っ直ぐ歩けば、真正面が本堂です。
本堂前には、おそらく桜の木があるかと。葉っぱだけですからわかりませんが。
武蔵野三十三観音開創八十周年の回向柱です。
供養宝塔のご本尊は、十一面観音菩薩
白くて目立つ塔は、供養宝塔です。
供養宝塔の名前は「寿海」というようでした。
ご本尊は、十一面観音菩薩です。
スリランカの方が作ったようです。
平成23年5月1日に落成とのこと。
宝塔の中にしまい込むのでなく、外のガラス越しに置いてくれてあるのですね。
白衣観音を祀る武蔵野三十三観音7番、狭山三十三観音11番の霊場
徳蔵寺のほうのご本尊は、白衣観世音菩薩です。
臨済宗大徳寺派と書いてありました。
武蔵野三十三観音霊場、そして、狭山三十三観音霊場としても徳蔵寺のご本尊は、白衣観世音菩薩です。
写真にも雨が写っています。
お寺の額には「福寿山」と書いてあります。
雨の日らしく、しっとり濡れているお寺の光景です。
徳蔵寺の開山は、元和年間になります。本堂は、元文二年1737年に建てられ、昭和57年に庫裏などとともに改築されたそうです。
寺務所の前に、きれいなお庭がありました。
こちらが、徳蔵寺の駐車場に書いてあった正位寺の心の庭なのかと思いました。
詳しくはわからないのですが、京都や鎌倉のお寺のお庭みたいに感じました。
寺務所は開いていませんでした。
しかし、場所もわかったし、なにより、板碑保存会館の拝観受付は、ここになるのだとわかりました。
先ほどの本堂の近くには、お地蔵様がいくつか置いてある場所もありまして、歴史が古そうなお寺だとわかりました。。
下見をするには十分でした。
板碑保存館には重要文化財の元弘の碑がある
駐車場の前が徳蔵寺板碑保存館です。
駐車場の前から入れるのかと思っていましたら、寺務所が拝観受付となっていることがわかってよかったです。
重要文化財、元弘の碑もあるとのことです。
6月になってもう一度、徳蔵寺へ
今度は、晴れの日に到着しました。
前回、写真を撮りそこねた「正位寺庭園(心の庭)」の看板です。
この先左と書いてあるので、やはりこの前見たきれいな京都や鎌倉のお寺風のお庭がその「心の庭」なのでしょう。
前回とは別角度から徳蔵寺の山門を撮りました。
やはり晴天と雨天では雰囲気が違いますね。
駐車場と板碑保存館と徳蔵寺の場所の関係がわかるように、全部を写真に撮ってみました。
駐車場の前に板碑保存館があり、その左には徳蔵寺の山門があります。
総開帳の札も立っていますね。
前回は永春庵の全体を撮れなかったので、撮ってみました。
隣が休憩所になっていることがわかるかとお見ます。
狭山観音霊場の第12番の永春庵です。
聖観音がご本尊ですが、調べてみたら、石仏なのだそうで、こちらに飾ってあるのは、レプリカでしょう。
文化十年、1813年に八国山中腹から元弘の板碑とともに移ってきた永春庵なのだそうです。
こちらが前回もみた白い塔、供養宝塔です。
スリランカから来た仏師が作った釈迦涅槃像、十大弟子像、釈迦転法輪像もお祀りされています
晴天ですから、所縁吉利、身体健全、火盗消除、悪疫退散、万民和楽、所願成就など回向柱に書かれいる文字もくっきりよく見えます。
逆方向からも撮ってみました。
永春庵、六地蔵、地蔵石仏群、供養宝塔という並びがわかるかと思います。
狭山観音霊場第11番としての徳蔵寺の立て札
こちらは、狭山観音霊場としての立て札です。
私は狭山観音霊場も巡礼していますが、この札がいつも目印になっています。
本尊は白衣観音とのこと。
6月になっていましたが、ツツジらしき花が咲いている元、狭山観音霊場の立て札の下に、板碑がありました。
板碑保存館としても知られる徳蔵寺ですが、これは何の板碑でしょう。
正位寺の心の庭の前に寺務所
こちらが前回も撮った正位寺の心の庭と思われる場所です。
こちらは、雨の日のほうが風情があるように思えました。
駐車場から指し示す場所としてはこちらになります。
この左ですから、やはり先ほどの場所が「心の庭」でしょう。
6月になって紫陽花もきれいに咲いています。
今回は、武蔵野三十三観音として、狭山観音霊場としての徳蔵寺の御朱印と、狭山観音霊場の永春庵の御朱印もいただきました。
徳蔵寺に来たからには、板碑保存館も参観しました。
拝観料はたしか200円ほどだったかと思います。
板碑保存館は、2階建ての会館
板碑保存館の1階には、古銭や土器、石器などが陳列されていました。
唐の時代の貨幣、開元通宝を111枚所有、乾元重宝を2枚所有など、時代ごとの貨幣が並べられていて、それを何枚所有しているかなども書かれていました。
2階に上がって行きますと、五輪塔の説明などとともに、板碑がたくさん並んでいました。
これでも徳蔵寺が所有している板碑の一部なのだとか。
五輪とは、五大という意味だったのですね。
万物の構成要素で、地輪、水輪、火輪、風輪、空輪を形で象徴しているそうです。
下から積み上げて塔の形にしているのですね。
平安時代後期から石塔の主流なのだそうです。鎌倉時代から宗派を越えて用いられ、これがお墓の元ということです。
板卒塔婆にギザギザがありましたが、これが原型だったとは知りませんでした。
2階にあるのが、国の重要文化財である元弘の板碑
こちらは、お寺に行くと本当によくみる、宝篋印塔の説明です。
鎌倉前期から密教系の塔として、石造の遺品が現れ、やがて宗派を越えて五輪塔と並んで流行し、近世に及んでいるのだそです。最初は、密教系だったのか。
中に、宝篋印や、陀羅尼経、法華経を納めたり、舎利を納めたりしているものもあるそうです。
私がよく聞いたのは、陀羅尼経ですね。
銘文を彫り込んで墓塔としたものもあるそうです。
五輪塔と同様に本来は、供養塔なのだとか。
さらに、関西形式、関東形式の違いまであったとは。
隅飾りによって、時代もわかるのですね。鎌倉時代、室町時代、江戸時代によっても違うのだと。
国の重要文化財にもなっている元弘板碑は、上のほうには梵字が書いてありました。しかし、残念なことに上のほうが欠けてしまっていました。
銘文には、「飽間斎藤三郎、藤原盛貞、生年廿六、於武州府中五月十五日打死。同孫七家行、三十三、同死。飽間孫三郎宗長、三十五、於相州村岡十八日討死」
と書いてあって、元弘の役で戦死した飽間斎藤一族のうち三名の菩提を弔うために造られた供養塔なのだそうです。
「元弘三年五月十五日 敬白」の部分はくっきり彫られていました。
板碑については、全国にわたって分布しているそうです。
武蔵型板碑は、東京都、埼玉県に圧倒的に多いそうです。武蔵というからには、そうでしょうね。
緑泥片岩、秩父青石で作られたものが多いとのこと。比較的細工がしやすのが特徴のようです。
阿波型板碑は関東板碑(武蔵型板碑)と同じく、緑泥片岩で造られているそうです。
奥羽地方の板碑、奥羽型は自然石に近いものが多いとのこと。
板碑とは、石製の卒塔婆のこと
私は、根本から知らなかったのですが、板碑は石で造られて卒塔婆だったのですね。
読み方は、いたび、いたひ、ばんびと呼ばれるそうです。
その他、板仏、平仏、扁仏とも。これはなんとなくわかります。
死者の追善供養のために建てられたそうです。
これまた知りませんでした。
そのほか、逆修供養のために建てられたり、多数人が集まって講をつくったり、修善のために建てられものもあるそうです。
死後の冥福を祈るため、生前あらかじめ供養するものです。この他私が聞いたことがあるのは、自分より若いもの、子どもや孫の冥福を祈るため、というのも聞いたことがあります。