以前に、中野区の宝仙寺について書きました。
その時、一緒に参拝に行ってみたのが、今回の荘厳寺です。だから、宝仙寺の時と同じく、みぞれ混じりの雪だか、雨だかが写真に写っています。
駅としては、初台駅が近いです。
こちらも宝仙寺と同じく、お不動様がいらっしゃいまして、不動堂がありました。
ただし、お不動様をお祀りしていても、関東36不動尊の札所にはなっていないみたいです。
宝仙寺では御府内八十八ヶ所と関東36不動尊めぐりの御朱印をいただきましたが、こちらの荘厳寺では御府内八十八ヶ所としての御朱印をいただきました。弘法大師の大師堂があるから、御府内八十八ヶ所になっているようでした。
真言宗室生寺派です。
ご本尊は、薬師如来とのこと。
手前の石碑には、「幡ヶ谷不動」の文字があって、荘厳寺となっています。
お不動様めぐりが好きな人は一度参拝してみては
どういうわけか、最初の「幡ヶ谷不動」の石碑、石柱の奥にも寺標のようなものがありました。
そちらには、「神力」の文字がありました。
右手にみえる白っぽくみえる壁のお寺が、お不動様がお祀りされている不動堂でした。
この2つの柱の奥に、荘厳寺の山門が見えました。
厄除不動、幡ヶ谷不動堂と書いてある不動堂です。
石柱に達筆な文字がみえます。この達筆な文字は誰が書いたものでしょうか。
荘厳寺では、不動堂に不動明王像、本堂に薬師如来像、大師堂に弘法大師像があるそうです。
都内にあるお寺は同じ運命なのですが、空襲で火災にあったのですが、不動明王像、薬師如来像、弘法大師像は焼けないで難を逃れたそうです。
幡ヶ谷不動尊として知られる荘厳寺のご本尊は薬師如来
不動堂の脇を通って、本堂のほうへ行きます。
山門を通ります。
神社ではありませんが、石造りの狛犬が山門、両脇にいます。
なかなか可愛いです。
こちらの荘厳寺は、明治、昭和と火災にあって、すべて焼けてしまったそうですが、石でできたものは当時のものが残っているとのことでした。
だから狛犬も古くからあるものでしょう。
ご本尊が薬師如来なので、薬師堂でもあるのでしょうか。本堂です。
本堂と大師堂です。
雨でせっかくのお庭が濡れてしまっていますね。
石の燈籠が見えます。これが常夜燈なのでしょうか。
常夜燈は、指定有形文化財になっています。昔は、道しるべになっていたそうです。
不動堂前にあった渋谷区教育委員会が書いた説明によると、
「門内左手にある常夜燈は、現在の環状六号線と甲州街道の交差点付近にありましたが、道路工事のためここに移されました。
この常夜燈は嘉永三年、1850年に建てられたもので、台石中段には幡ヶ谷の荘厳寺、十二社の熊野神社、大宮八幡宮、井之頭弁財天までの距離が刻まれていて、道しるべの一種だったことがわかります。
また、台座には、多数の人名が刻んであり、それによると当地の人はもとより江戸市中の各地、遠くは神奈川県在住の人々によって、常夜灯が建立されたことがわかります」
と書いてありました。
手前には、「弘法大師」の石碑も見えます。
石仏もいくつかありました。
光明山と山号の額が見えます。
山号、院号、寺名でいうと、光明山、真言院、荘厳寺となります。
墓地までは行かなかったのですが、墓地入口には、松尾芭蕉の句碑もあるそうです。
江戸市中から、ここ幡ヶ谷くらいまで人の往来があったことがわかるという俳句だったそうですよ。
御朱印には薬師如来、弘法大師、不動明王の文字が
遠くからみた時、白くみえた不動堂ですが、薄紫というかグレーというか、白ではありませんね。
最初、寺務所のほうに行ったのですが、不動堂で御朱印を出しているので、そちらに、とのことでした。
寺務所の前には、「筆塚」があったのですが、こちらの不動堂に「筆供養」をする旨のことが書いてありあmした。
それと写経会も行われているようです。
薬師如来のご本尊がいらっしゃる本堂より、こちらの不動堂にお正月などお参りする人が多そうな印象でした。
六三除けもありますね。
お守りや絵馬もみえます。絵馬は、お不動様らしいものです。剣絵馬となっています。
開運厄除木槌もあります。
お不動様のところには、厄除不動となっていました。
私が行った時は、こちらで御朱印をいただくようになっていました。
お不動様だけでなく、御府内八十八ヶ所の札所としての御朱印もです。
石碑がずらっと並んでいますよね。記念の石碑も多く、先程の常夜燈の説明書きがありました。
渋谷区教育委員会が書いたものです。
周りをみてもわかるように、住宅街にありまして、商店街の通りから一歩入った一画にある荘厳寺でした。
地元の人の初詣の場所でしょうね。