東京の街を護るとして五色不動尊があります。

その五色不動尊については、以前にも何度か書きました(特に目赤不動尊の時に)

目黒、目白、目赤、目青、目黄です。赤、青、黄色、白、黒の五色です。

このうち、目黒と目白は地名にもなるくらい有名です。

五色不動尊の話では、なぜだか、目黄不動尊が2ヶ寺あるという話になります。

目黄不動尊は、関東三十六不動尊では最勝寺となっています。

今回は、そのうちの関東36不動尊めぐりの札所でもある、最勝寺についてです。

上の写真をみるとわかるように、門前の石碑には、元本所表町 天台宗 最勝寺とうっすらみえます。「元」の文字は、小さめですが。本所(現在の墨田区)の場所から移転したようです。

 

五色不動尊には、目黄不動が2ヶ寺あるが

私は、いつもGoogleマップが指し示す方に向かっていくのですが、最近、どういうわけか、Googleさん、私を裏門に連れて行きたがります。

先日も、ある神社に行った時に、裏側でした。
今回のこの最勝寺も裏側に連れてこられて、かなり大回りをしてしまいました。ほぼ荒川の方まで行って戻ってきました。

マップが山門を指し示してくれるといいのだけど。歩いているうちになぜか細い道に入ってしまったのですよね。

そうこうしているうちになんとか、山門を探し出すことができました。

そうしたら、けっこう単純な道だったので、がっくりきました。近くにはお寺さんが多かったです。平井駅からは、荒川に向かって歩く感じです。

最勝寺にきてみたら、山門のちかくに赤い囲いがありまして、その中に仁王像がありました。

これは目立ちますね。なかなか立派です。

 

藤棚に鳥居もあった

私が行った時は、あいにくの空模様で、晴れの日だったら、もっときれいに写真が撮れたのにと思うほどでした。

藤棚がありましたから、藤の花が咲く頃は、きれいなお花も楽しめることでしょう。その下には、蓮の花の場所がありました。ただし、私が行った時は、梅の花がちらほら咲く程度の時でした。

 

いつものごとく、鳥居があるのは、お稲荷さんでした。最勝稲荷と書いてあったように思います。

最勝寺は、山号、院号も合わせますと、牛宝山 明王院 最勝寺です。

 

関東36不動霊場第十九番札所の立派な石碑

最勝寺の山門から真正面に見えるのは、本堂でした。

お不動様がいらっしゃる不動堂は、参道を歩いて、右側。山門からすぐの場所でした。

手前に見えるのが、目黄不動明王と書いてある石碑です。

その横には、関東三十六不動霊場第十九番札所と書かれていました。

もうひとつの目黄不動尊は、関東三十六不動尊の札所ではないのですよね。

なぜ、目黄不動尊が2ヶ寺あるのか不明ですし、こちらの最勝寺が関東三十六不動霊場になっていることもよくわかりません。ただ、最勝寺は歴史が古く、徳川将軍家の信仰も厚かったそうです。

 

目黄不動尊の目黄は黄色というより金色にみえるとのこと


こちらの不動堂もなかなか立派です。

「御朱印のお方、堂内参拝をご希望のお方は、左玄関にて申し受けます「

と書いてありました。

まずは、お経を唱えて、不動明王のご真言を唱えます。

不動明王の真言は長いのですが、何度も不動尊めぐりをしていると自然と覚えますよ。

ついでに、なのですが、関東三十六不動霊場は、専用のホームページがありまして、そこに「関東三十六不動勤行式」がダウンロードできるようになっています。

私は、普通の観音経や般若心経の経本は持っていたのですが、お不動様のがなかったので、そこからダウンロードしました。

その「関東三十六不動勤行式」に沿ってお経を唱えます。

ここまで親切にしてくれている関東三十六不動霊場なのです。

それと、バインダーに挟まむ方法なので、すべての御朱印帳を持っていかないといけないわけではありません。

この御朱印帳も工夫されていて、眷属の童子のお姿と、本尊のお姿を御朱印の裏に貼るようになっていて、観音霊場では、いつもお姿を買っている私にとっては、すでにセットになっているのは便利でいいなぁといつも思っています。

余談が長くなりましたが、御朱印をいただく時にいえばいいかなと思って、お不動様は外から眺めるだけにしました。

 

入口の仁王像いる門のところもきれいになっていましたが、ここ不動堂の前も大きな鉢があって、そこに蓮の花がありました。
とはいうものの、これが咲くのは、夏なのでしょうね。

手前には松の木もありまして、不動堂のかっこよさにマッチしております。

最勝寺のお不動様は、そもそも本所表町にあった時代の末寺であった東宝寺のご本尊だったそうです。

ご本尊である不動明王は、将軍家の信仰も厚かったそうです。天平年間に良弁僧都(奈良の東大寺初代別当、開祖として知られる)が東国巡錫の折りに不動明王を刻んだそうです。

木造不動明王坐像は、現在、江戸川区の登録有形文化財になっています。

 

最勝寺の本堂、墨田区から移ってきたお寺

額には、「牛寶山」と書いてあります。最勝寺は、門前の石碑にも書いてあったように、本所表町、今の墨田区から移ってきました。

貞観2年、860年に、慈覚大師によって草創されました。慈覚大師が釈迦如来像と大日如来像を自ら刻んで、本尊としたそうです。

徳川家の信仰が厚く、将軍が鷹狩りときには、しばしば立ち寄り「仮の御殿」が置かれたくらいだそうです。中でも、徳川家光公の崇拝が厚かったのだそうですよ。

江戸府内に五色不動の霊場が設けられ、この時に目黄不動と称したとのこと。このときから江戸の町を護る不動尊として信仰されたということです。五色不動尊は江戸を護るために作られた、と言われていますね。

こちらの最勝寺は、神仏分離となるまでは牛島神社(牛の御前)の別当だったそうです。その時神社の本地仏だった大日如来像は神社から最勝寺に遷座したとのこと。

ご本尊の大日如来像は、ずっとあるのですね。

神仏分離によって末寺であった東栄寺は廃寺となり、東栄寺の本尊だった不動明王像は本寺の最勝寺に遷座されたそうです。

今の墨田区にあった最勝寺も明治末に隅田川に駒形橋が架かることになりそのための区画整理があって今の平井の地に移転したのだそうです。

本堂に向かって右手に寺務所がありました。

お寺のご住職がいらっしゃらなかったようで、ご家族の方に関東三十六不動の御朱印を、何度か言ったらわかっていただけました。

それなので、不動明王を見せていただくことをいうことを忘れてしまいました。

中で不動明王を見たいといえば、見せていただけるということは知っていたのがですが。

再訪する機会がありましたら、今度は中まで入らせていただこうと思っています。

みなさん、こちらの不動明王は一見の価値ありとおっしゃるので。

目が黄色というより金色に見えるのだとか。

それとご住職がとても丁寧親切なのだそうで、ぜひ、ご住職がいらっしゃる時に行ってみたいです。

次回参拝に行く時は、五色不動尊めぐりとして行こうかなと思っています。

その時は、目黄不動明王も2ヶ寺行くことになりますが。

最勝寺の墓地には、戯作者である烏亭焉馬のお墓や、俳人の富田木歩のお墓があるそうです。ほかにも、江戸川区平井に道場「研道館」を開いていた柔道家の徳三宝のお墓もあります。頌徳碑もあるのだとか。

とはいえ、墓地のほうには行ってません。

いろんな種類の石仏が塔になっていました。

次回こそは、お不動様を直接内陣でみたいですね。