以前にも参拝したことのある薬研堀不動院に再度参拝。
1回目は、雨の日であまり滞在できなくて庭があることにも気が付きませんでした。
明治25年に川崎大師の東京別院となったという江戸三大不動のひとつです。
東日本橋駅が近いのですが、ほかの駅からも歩いていける範囲で交通アクセスはよいです。
道路に赤い旗が立っているので、それを目印にしていけばたどり着くことができます。
御府内八十八ヶ所として、関東36不動尊巡りでも薬研堀不動尊へ
初めての参拝は、雨の日でした。
そのため、ざっとみて、お不動様のご真言を唱えるだけで終わりにしてしまいました。
本家の川崎市にある川崎大師は、境内も広いのでしょうが、こちらは東京都のオフィス街にありますから、こじんまりとした境内です。
薬研堀不動尊は、やげん堀辛味唐辛子が有名みたいです。
写真にも辛味唐辛子がみえますよね。
それと講談も行っているのだとか。28日の不動尊の縁日に行っていて長く続いているそうです。
私が前から聞いていたのは、「写経の会」があるということです。
納めの不動は、歳の市もやっているそうですよ。
このようにお寺としての活動も熱心ですね。
御朱印の時間は、午前9時から午後4時半まで
護摩祈祷があるからか、御札がたくさんありました。
内陣にあがって御朱印をいただきます。
1度目に行った時は、御朱印を1つだけいただきました。
お不動さまのご縁日には、特別な御朱印もあるそうです。
不動明王の前でご祈祷したという御朱印帳もあります。
御朱印代を含んだ金額だというのですが、それがすべて込みになって1,000円ということでした。
値上がりしていなければ、この値段です。最近、値段が高騰している御朱印帳も多いのに、これはいいことです。
2度目の参拝は、関東36不動尊めぐりとしてと、御府内八十八ヶ所の霊場としての御朱印をいただきました。
護摩祈祷に参加するだけでなく、護摩木に書いてもいいですね。
護摩木でしたら、気軽にできます。1本が200円ですから。
「この護摩木は皆様方の苦を除き、福を招くお願い木であります」
お願いを書くだけでいいのです。
商売繁盛とか、身体健康、家内安全、当病平癒などなど。
護摩木にしろ、おみくじにしろ、気軽にできるものは、外に置いてありますので、気兼ねなくできますよ。
外から参拝して終わり、という人も多いことでしょう。
そのために、そばにホールがあったり、お庭があったりすることに気づかない可能性もあると思いました。
さて、2度目の参拝は、お不動様めぐりと御府内八十八ヶ所めぐりとしてです。
天気が良かったのですが、なぜか写真は暗く取れています。
写経の会は毎月15日だったのだけど
新型コロナが言われてはじめたばかりだったのですが、毎月行っている写経の会は中止でした。
4月には例大祭があるのですが、どうなることでしょうか。
こちらの薬研堀不動尊は、日本橋にあって、江戸三大不動のひとつなのだそうです。目白、目黒、そして薬研堀ということです。
歴史は古そうです。天保9年には、和蘭医学塾(オランダ)開講したという場所です。
本堂横の鐘の下に、関東36不動尊の霊場であることが書いてあります。
今回は、晴れた日でしたので、前回よりは明るく写真が撮れています。
こちらが階段を登って本堂の前になります。
本堂前のお賽銭の右には、以前と同じく護摩木とおみくじの箱がありました。
お経を唱えるために、内陣に入ります。
少し狭いけれど、護摩祈祷が行われる場所になります。
内陣に入って、左手に納経所となる窓口があります。
小さな庭とホールとして使われる別棟
護摩木にしろ、おみくじにしろ、階段を登って参拝して、とすると忘れがちなのが、お庭の存在です。
階段を降りてすぐの聖徳太子の石碑と、お地蔵さまには気がついても、本堂の階段に向かって左のお庭の存在に気がつくかどうか。
左手には、ホールのある建物もあります。
その横に、弘法大師の像があったり、小さいながらもお庭があるのです。
手前におみくじの大きな箱があるので、そちらに気をとられるとわからないかもしれませんね。
裏手にぐるっと回りますと、ホールと呼んでいることがわかるかもしれません。
それと薬研堀不動尊の表から入らずに、裏手から行ったのですが、裏手にはホール入口そばに、稲荷神社がありました。
道路を歩いていると、突然、赤い旗があるのがわかります。
金鳥の隣です。
矢ノ庫稲荷神社です。
薬研堀不動尊からみたら、裏手になります。
東日本橋付近は、谷野と呼ばれていたそうです。ここに米庫を建てていたことから、谷野倉、そして矢ノ倉と字が変わっていったそうです。
手前には、薬研堀不動院開創420年記念の石碑もありました。
薬研堀不動院が奉納したようでした。
本当に狭い場所にあるのですが、「信為本」と刻まれた石碑があったりしまして、長い歴史を感じる神社でした。