せっかくの32番一周コースの道を間違えて、もと来た道を通り、前回の32番法性寺から1時間かけて戻ってきました。

札所の32番1周コースについては、前回の記事に書いてあります(機会があったら、行ってみようと思っています)。

法性寺へ秋海棠の季節に行ったがお船観音はまたの機会に秩父札所32番東国花の寺

上の写真は松井田バス停の近くのお寺です。泉龍禅院というお寺になります。

松井田のバス停から帰る予定だったので、戻ってきました。

普通なら、これで終わりとなるところですが、夏の日の太陽が出ていることを利用してもう1ヶ寺行ってみようと、予定を変更して33番菊水寺に行きました。

33番の菊水寺は、私の頭の中では、松井田バス停から近いイメージだったのです。

それがとんだ間違いだったのは歩いてから気が付きました(T_T)


まずは菊水寺へと歩くと二十三夜堂があり

菊水寺に向かって歩いていくと、二十三夜堂がありました。

そういえば、江戸古道の長尾根みちにも二十三夜の石碑があったなと思い出しました。

二十三夜は、月待ちの行事なのだそうですが、石碑になっていたり、このようなお堂になっているのは、ここで待ち合わせ場所にしていたとかあるのでしょうか。

 

勢至菩薩塔

歴史のことがよくわかっていない私ですが。

女性が主体だったのか、女人講中です。


ようばけには、いつか必ず行くつもり

33番菊水寺への歩き巡礼と言えば、この「ようばけ」を抜きに言えないでしょう。

車巡礼の人でも、立ち寄るかもしれませんが。

私はこんなに見晴らしのいいところとは、思いもしませんでした。

いずれ行くつもりですが、行きましたら追記します。

ちなみに、ようばけの「はけ」とは、崖のことです。

小金井市で開かれている「はけの朝市」というものに行ったことがあったので、なんとなく、「崖」のことかなと思っていました。

それで調べてみた次第。

太陽があたる崖、陽の崖→ようばけです。

宮沢賢治も来たことがある場所なのだとか。

遠くからみても地層が厚い感じです。

 



稲刈りを待つ稲穂が育っている時期でした。

8月後半ののどかな田園風景です。

ようばけのそばには、小鹿野町のおがの化石館もあります。

秩父が海底にあったからなのか、古秩父湾があったからなのか、化石がたくさん出てきたそうです。

これまた行ってみたくなりますが、この日はとにかく33番へ、33番へと歩きました。化石については、いずれまた書きましょう。

ちなみに、ようばけへ行く最寄りバス停は「泉田」のバス停です。

私は松井田のほうから来ましたが、それだと少し遠いです。


妙見宮もありました

秩父神社の影響なのか、妙見宮がありました。

神社の鳥居がありますね。

秩父札所も、室町時代は妙見様をお祀りする定林寺からスタートだったと聞きますから、秩父周辺は妙見信仰の影響があったと思います。

このそばには、大きな木がある大徳院というお寺もあります。


右は菊水寺、左はバス停奈倉へ(増水時は通行不可)

 

しばらく歩くとこのような標識が立っていました。

奈倉のバス停というのが、わからなかったのですが、近くに奈倉館跡というのがありました。橋の名前も奈倉橋と書いてありました。

森のような場所を抜け、橋を渡ると、その後はしばらく畑の光景です。

途中で新しく舗装された道が山のほうへ向うところがあります。

そこから山のほうへ曲がると、旧菊水寺の跡地に行き、まっすぐ行くと、今の菊水寺へ行くという場所につきます(その後、旧菊水寺にも行きました)。

そこは畑で見晴らしのいい場所です。

ここの道路が長く感じました。

それはやはり、往復2時間の32番法性寺の道の後だったからでしょう。

夏の日差しが強かった中を歩いたこともあるでしょう。

まだかまだかと思いながら歩いていました。

 


菊水寺に到着したら大櫻山長福寺の碑

大櫻山長福寺の石碑が入口にあります。

一見すると、間違えたかと思ってしまいます。

なんでも焼き討ちにあって、菊水寺自体は焼けてなくなりました。それが以前は小坂下という場所にあったそうです(その後、半年後に旧菊水寺の跡地に行きました)。

ここ長福寺を借りて菊水寺にしているようなのです。だから長福寺の寺標があります。

 


桜の開花時期に来たい菊水寺

それでも大櫻山という山号があるくらい、お寺の前の参道は、桜の参道となっています。

でも少し低めの木かな。八重桜でしょうか。ソメイヨシノではないみたいですね。

少なくとも29番の長泉院の入口にあるような大櫻のイメージではありません。

こちらの参道も桜の時期に来たいですね。

 



これでもか、と言わんばかりの大きな石碑。本尊は聖観世音ってころでしょうか。

そのそばの石碑には、昭和十七年五月の文字があります。

納経所は本堂内に

私の疲れ具合がわかるように、あえて、斜めになっている本堂の写真をご覧ください。

手前の石碑がかわいいなと思いました。

納経は、堂内となっています。

堂内で納経は今まで、なかったかと。

 



埼玉県で最古となる芭蕉の句碑というのは、これになるようです。

ここにも「長福寺」の芭蕉句碑となっています。長福寺であることを思い出させますよね。

間借りしているような感じなのかしら。

芭蕉の句碑ですが、秩父市の指定史跡となっています。

菊水寺の菊塚

あとで調べてみたら、菊塚のほうに「寒菊や粉糠のかかる臼の端」と刻まれていることがわかりました。

これは後日、行った時のものです。

しかし、芭蕉の句碑としては、これではなく、上のあるのが指定文化財となっているようです。

 

 



お地蔵様の隣に書いてある埼玉県の県指定文化財には、「菊水寺聖観音像」となっています。

こちらは、「菊水寺」ですね。



8月でしたので、桜の参道は見られませんが、本堂前にはサルスベリの花がありました。

やはり本堂のところに、「納経所」と書いてありますね。



こちらの菊水寺は、額が有名だそうでこの正面の写真を撮っていたのですが、これが有名な扁額ではなかったようです。

内部はこのような土間つくりです。

 




どうやらこの中途半端に写真を撮っていた、額が有名ものだったようです。

扁額だと聞いていたのですが、文化財の説明書きには、菊水寺の子返しの図、孝行和讃の図(版木、大絵馬)と書いてありました。

額ではなく、絵馬ということです。

菊水寺の文化財について書いてある説明書きについてはまた後ほど。

ここの上部に移る中途半端な写真の図に「孝行和讃」と書いてあります。

孝行とは、自分の赤ちゃんを置いていても、自分の姑に乳を飲ませている図からくるものなのです。

 

この孝行和讃のお向かいにかけてあったのが子返しの図だったのでしょう。

江戸時代に多く行われていた間引きを諌める絵だったそうです。

そういえば、江戸時代、秩父の観音霊場には女性が多く訪れたそうですが、それには間引きをした罪滅ぼし的な意味もあったのだとか。

女性が40歳をすぎたら、秩父の巡礼に行くようにと言われたと聞いています。

それだけ多くの間引きがあったのでしょうし、水子への供養という意味もあったのだと思います。

 


こちらは、忘れ物なのか、それとも奉納された金剛杖なのか。

私も最初は金剛杖を使っていなかったのですが、途中から買ってみたのですが、たしかに忘れやすい。

ちょっと置いたままにしてしまうのですよね。

この金剛杖のとなりには、これまた大きな数珠(?)

 



窓の外にはお稲荷さんの祠が見えました。

奉納された白狐がいます。

その横に、菊塚です。

 



窓の下には、絵馬が掲げられていました。

子ども用なのか、ひらがなで、「ちちぶ きくすいじ」となっています。

お勉強ができますように、とでも書きたくなるような可愛い子ども絵柄です。

その隣には、盛り上がった3Dタイプの絵馬です。

県指定文化財の聖観世音像をモデルにしたのかな。

 


菊水寺の聖観世音像は埼玉県の文化財彫刻部門の第1号の指定

今まで秩父の札所を回ってきて、ご本尊が指定文化財になっているのは、それほどなかったように思います。

ここ菊水寺のご本尊である聖観世音菩薩像は、埼玉県の指定文化財彫刻の部の第1号です。

昭和29年3月4日に指定されています。

制作年代は平安時代末のものだそうです。貴重な文化財です。総開帳の時も秘仏なのでしょうか。

県指定有形文化財、菊水寺聖観世音像一躯。

「この聖観世音像は、ヒノキ材の一木造りで目は彫眼、像高八十八センチの立像である。全体的に安定感があり、頭部には菩薩の特色である宝冠をいただき、顔立ちも端正で威厳がある」

 

札所としては秩父市の指定史跡なっているのですね。秩父観音霊場札所三十三番と書いてあります。

指定は昭和45年9月になっていました。

長福寺の芭蕉句碑は、昭和39年9月の指定です。

 



ここから石畳の参道の左に少しだけ見えているのが、手水舎で、菊の形をしたところから水が出るそうなのですが、この日は青いカバーがかかってみえないようになっていました。

 

疲れ切っていたので、この日はここで打ち止めです。

本堂から参道の桜を中心に写してみました。

春の光景が楽しみです。手前は枝垂れ桜のようですから、開花の時期がずれそうですね。