秩父今宮神社の龍の御朱印帳がほしくて今宮神社にはすでに参拝に行っていました。一粒万倍日限定の龍神様のお姿が金文字になるという御朱印をいただきたいという目的もありました。

八大龍王神で知られる秩父今宮神社です。

秩父札所になっている今宮坊の観音堂は、今の秩父今宮神社(以前の八大権現社)の境内にお祀りされていました。

江戸時代は今宮坊が観音堂と今宮神社の別当を兼ねていたのですが、神仏分離です。

今宮神社とは分離されました。


秩父今宮神社と今宮坊

冒頭の写真でもわかるように、今宮坊は秩父の市街地、住宅街の中にあります。

それは今宮神社も同じです。初めて行った時は、こんなに住宅地の中にあるとは思いも寄らなかったです。

先ほども書いたように、今宮神社と今宮坊は元は一緒だったからなのか、この今宮坊の境内は、こじんまりとしています。

今宮神社には、役行者の像がありました。

役行者は修験道の開祖と言われています。古神道や仏教を学び、山岳修行を行った人物です。僧侶ではなく、在家信者として修行をしたのだとか。

役行者は不思議な力を持ち、野山を駆け巡っていたそうです。

修験道も明治に廃止になりました。

山にこもって厳しい修行をしていた日本独自のものと言われています。山岳信仰とも結びついています。

修行者は山伏がそうですね。

神仏習合の信仰なので、神様と仏様が一緒にお祀りされます。

700年はじめの頃の大宝年間に秩父に来て、今宮坊ならびに今宮神社に来て、泉に八大龍王を祀ったそうです。

そのため修験道の場としても今宮神社と今宮坊は知られていたのだそうです。

しかし、明治に入ると修験道は禁止されます。

神仏分離ですので、今宮神社から今宮坊は分離され、現在の今宮坊にある観音堂は1709年に再建された建物とのことです。



こちらは、今宮坊の敷地内にある勢至堂です。

勢至菩薩がお祀りされています。午年の人を守るとして、午年の人の開運、厄除けを担います。

今宮坊にも、「午年生まれの方の守り本尊です」と書かれていました。柱には真言も書かれていました。

今宮坊の勢至菩薩は、水瓶ではなく、手を合わせているお姿でした。

本堂前には輪廻塔



本当にこじんまりとしているので、すぐにぐるっと一回りできます。

本堂に向かってすぐ右には納経所がありました。

本堂の前には輪廻塔がありまして、石車をくるくると回すことができます。これを回すと現世を安楽に過ごすことができるそうですよ。

 



「この塔の車石を廻すと地獄道や餓鬼道にさまよっている亡者が極楽に生まれ変わり現世を安楽に暮らせるといわれています」と書かれていまして「ぜひ、お廻しください」とありました。

前回来たときに回したので、今回は読経をすることにしました。

今宮坊自体は、平安時代からあるのですが、神仏分離で分離されて建物は再建されたので、当時の雰囲気は残っていないのでしょうね。

神仏習合の時代は、20万坪にもわたる広大な敷地で、そこに神社や修験道場、観音堂があったのだとか。

観音堂も今宮坊となるこの観音堂だけでなく、橋立堂となる観音堂(橋立観音堂)も配下にあったそうです。

総称としては、「今宮坊」だったそうです。それが今宮神社と今宮坊、橋立堂に分かれたということです。

20万坪あったとは思えないほどで、今では、住宅地にこじんまりとした敷地にある観音堂となっています。


秩父市指定有形文化財の飛天像あり

本堂に向かって右側には、飛天像が安置されています。

秩父市の指定有形文化財です。昭和33年には指定有形文化財となっています。

「飛天像は高さ30.3cmの木彫で金箔押し蓮華を持ち、跪座して雲に乗る姿である」と書かれていました。

昭和33年3月の秩父観音霊場科学調査班の総合調査で、藤原時代後期の作であることがわかったそうです。

平安時代ということですね。こちらの飛天像は市指定有形文化財となっていると。

秩父観音霊場の中でも曲線美に富んだ異色の仏道として注目を浴びていたとのこと。

たしかに遠目からも優美にみえました。



真ん中に金ピカの聖観音菩薩像がみえます。

しかし、これは本物でしょうか。御本尊の聖観音菩薩は、この地を回った弘法大師の作であると伝えられているのです。半跏趺坐の聖観音菩薩です。

その左には、不動明王の像がありました。

 



秩父札所めぐりでおなじみの絵が掲げられていました。

今回は武田信玄ですね。

「武田信玄は配下の失敗をこの寺の霊験にて許した」とあります。

配下とは、石原宮内のことで、熱心な観音信者だったそうです。

武田信玄の夢に今宮坊の観音様のお遣いが現れて、宮内を助けるように、といわれて、助けたそうです。

傭兵について間違えたのは咎めずに、それを武田信玄にせいにしたのを咎めたのだとか。

いずれにせよ、観音様の霊験で、セーフだったわけです。



納経所の前にある大木です。遠くからもこの木を目印にできるくらいです。

欅の大木とその前にある聖徳太子の像です。

 



御本尊の御朱印の横に御詠歌の御朱印もありました。

ご住職に聞いてみたら、御詠歌帳を持っている人や笈摺の人の中に御詠歌を書いてあるものがあるのだとか。

そちらにも印を押しますという意味だそうです。

そういえば、秩父札所ではお姿が2種類あるといわれます。私は白地の安いほうを集めているのですが、もう一方は金字で書かれているお姿のようですね。

今宮坊は秩父の中心街から近く、西武秩父駅や御花畑駅からも歩いていける範囲です。