武蔵野三十三観音の札所も後半になってくると、ただひたすら歩くというところが多いです。

今回も28番の瀧泉寺からひたすら歩いてきました。

長念寺の文字が見えてきたのでもうすぐ、と思ったら駐車場でした。

駐車場の付近からも紫陽花が遠くに見えるなと思っていたのです。しかし、長念寺に実際に行ってみて、これほど紫陽花が多いとは想像していませんでした。

4月や5月ではなく、6月になってから札所めぐりをしてよかった!と思った瞬間です。


長念寺は埼玉県の紫陽花寺の穴場的存在

開創80周年の数字のところが変わっていますね。立札ですが、数字の部分さえ変えればいいのですから、エコですよ。何度でも使えます。

それほど傷んでもいないので、前回の70周年か、75周年の時のものを利用しているのでしょうか。

期間の部分が令和2年6月30日までということから、延長になっているわけですから、この部分は再度書き直しになりそうです。



看板に「武蔵野観音長念寺」の文字が見えてきました。赤い旗が何本か見えます。御開帳の時によく見る赤いのぼり旗です。

駐車場のところには、かわいい仏僧像がありました。

私は長念寺は紫陽花がキレイだと聞いていたのですが、それはこの駐車場付近だけかと思っていました。

紫陽花の色は、濃いピンク、紫色、藤色、うすいブルー、薄いピンク、白、黄色っぽく見えるものまで、とさまざまでした。



札所の番号が後半になりますと、前半のような住宅街や畑という光景から「山」が多くなってきます。

今回も、駐車場から山々がみえますね。

そちらに目が行くよりは、やはり目につくのは紫陽花です。

駐車場の時点でこれだけあったので、よけいに駐車場付近だけが紫陽花が見える場所かと思って、駐車場で何枚も写真を撮っていました。

道路のほうに向かっても写真を撮っておきました。

こちらはピンク系が多くみえますね。

これだけ紫陽花があったら、駐車場だけだろうと思いますよね。

駐車場の付近だけでもけっこうな数の紫陽花が咲いていました。



さて、紫陽花の見学に来たわけではないので、お寺の本堂のほうに向かっていきました。

まずは、駐車場の付近からも本堂のほうに行けるようになっていたので、参道としてではないのでしょうが、まずは、お参りをと思いまして、脇から入っていきます。


本堂に到着です。すぐ隣は庫裏、寺務所になっていました。

いつもの小坊主が指し示しているので迷うことはありません。



赤いのぼり旗を何本も見ました。檀家さんがのぼり旗を建てているのでしょうか。

手前には菖蒲かな。

「圓通閣」と書いてある額のところに、お手綱が巻き上げられているのが見えました。

残念ながら観音様との握手はやっていないようです。

それにしても、雨が急に降ったり止んだりしていまして、写真がどれも雨粒が写っていますね。



本堂に向かって左側にも紫陽花が見えました。

その奥には小さな祠が見えます。

ここは駐車場の付近のように紫陽花がまとまっているわけではないですが、そこそこ紫陽花がありました。

濃いめピンクがキレイです。

遠くに見える山は雲でぼんやりしています。



もう少し遠くから写真を撮ってみました。

これで少しはわかるでしょうか。延命地蔵も本堂前にあります。

回向柱が少し古びていますね。他の札所では、真新しさが目立っていたので、もしかしたらこれは前回も使った柱でしょうか。

平成18年と書いてあるように見えるのですが。。。

やはり平成18年のように見えますね。しかし、中途半端な年のように感じました。

今から14年前ですか。

「お手綱の参拝を中止しております」の文字がみえるかと思います。

本堂の中がかなり広いそうなのですが、お手綱も中止ですし、御開帳とは言うものの扉は閉まっているので本堂の中はどれほど広いのかわかりませんでした。

観音様にお会いできないのも残念ですが、本堂の中が見られないのも残念です。

そう言えば本堂の中に古い絵馬が掲げられているそうで、細長い絵馬と聞きました。天保時代のものだとか。

 



回向柱を中心にして、まわりを写真撮ってみました。

紫陽花も多少みえます。

鐘撞堂が少し高いところにありました。



延命地蔵のそば、梵鐘がある鐘撞堂のまわりも紫陽花が少しありました。

駐車場にあったほどではないですが、間隔があきながらも紫陽花が見えます。

長念寺の梵鐘は、ハレー彗星が地球に接近した時に作られたそうで、それにちなんで、梵鐘に流れ星が刻まれているそうなのです。

階段を使って鐘撞堂に上がっていないので、下からは確認していないのですが、珍しい梵鐘です。

 


長念寺「願昇」は韋駄天の焼き物

このように梵鐘は階段を登って行きます。私は下から鐘をながめただけです。

鐘撞堂の下に、韋駄天の焼き物(願昇)がありました。

「当山の観音堂には韋駄天という仏様が鎮座しています。この韋駄天にはさまざまなエピソードがありますが、足が速いということで大変有名です」と書いてありました。

そこに「観音堂」の文字がありました。ということは、いつもは観音様は観音堂にいて、本堂ではないのかと思いました。

しかしお手綱は本堂のところにありましたし、回向柱は本堂の前に建てられていました。

 



延命地蔵の裏側、本堂に向かって左側には池がありました。ちょうど雨が降っていたので、ぽつぽつ跡が見えます。

そこにも赤や紫色の紫陽花が咲いていました。

遠くに見える墓地に近いところには白い紫陽花もありました。

松の木がキレイに並んでいますね。手入れが行き届いているなと感じました。

本堂裏手は墓地になっているようでした。ゆるやかに丘のようになっています。


御朱印は書き置きを差し替えて

本堂での参拝を済ませて、庫裏のほうへ歩いて行きました。

寺務所には御朱印の書き置きがありました。

そう言えば、武蔵野三十三観音用の御朱印帳には、2つ穴と4つ穴タイプがありまして両方とも差し替えになるのですが、私は2つ穴のほうなのですが、たまに4つ穴のものを渡されることがありました。

微妙に穴がずれてしまうので、自分で穴をあけて御朱印帳に差し込みしましたよ。

こちらの長念寺では「4つ穴」というのと、一般でよく見かける「書き置き」の御朱印とがありました。

御姿(御影)もそばにありましたので、お金を置いて自分で取りました。

 

法衣垂下像の聖観音菩薩

観音様の御姿は拝見できなかったのですが、写真が掲げられていました。

本尊、聖観世音菩薩として説明がありました。その隣には、観音様の左右にある韋駄天と毘沙門天です。

檜材で造られていて、「法衣を台座下まで垂らした南北朝時代を代表する法衣垂下像」とのこと。埼玉県の指定文化財になっています。

そう言えば法衣が台座の下まで垂れているのはあまり記憶になかったです。

「豪華の装飾の宝冠も当初のものと伝えられ鎌倉宅磨派の仏師による俊逸の作である。入間市の高倉寺観音堂(国指定)と合わせ、長念寺の歴史を知るうえで貴重な資料である」と書いてありました。

そもそも長念寺の観音堂は室町時代初期に建てられていたそうなのです。しかし、それをここにも書いてあるように入間市の高倉寺に移築されているそうなのです。そちらにある観音堂は国の重要文化財に指定されているとのことでした。

飯能市のホームページによると、

木造聖観音菩薩坐像 付胎内納入品四点(もくぞうしょうかんのんぼさつざぞう つけたりたいないのうにゅうひんよんてん)は、像高58.2㎝、檜材の寄木造で、大字白子(しらこ)の曹洞宗長念寺(ちょうねんじ)観音堂に安置されています。

当時、関東地方に流行した法衣垂下(ほうえすいか)像という様式で、実人的な面部の描写、肉身部や肩のまろみのある線、台座前部に垂れる裳の複雑な処理など、仏師の技の冴えがうかがわれる作です。豪華な装飾の宝冠も当初からのものと伝えられ、本像に一層の荘厳さを加えています。また、江戸時代の胎内納入品が4点あり、長い間、厚く信奉されていたことを証明しています。

なお、禅宗印を結ぶこの像を宝冠釈迦とせず、あえて聖観音とするのは、胎内納入品に「正観世音菩薩而大毘盧遮那之印想也」と記されていることや、かつてこの像を安置していたお堂(現在は入間市高倉にあります)が、観音堂と呼びならわされてきたことなどによるためです。

法衣垂下像は関東地方で流行した様式だったのですね。禅宗印を結ぶ場合は釈迦像になるということもわかりました。ただし、長念寺の像は聖観音なのですね。

江戸時代に胎内に入れられたものが4点あったこともわかりました。

飯能市のホームページにも、この像を安置していたお堂が観音堂であることも(入間市高倉に移築されていることも)書いてありました。



鐘撞堂のところにあった韋駄天の焼き物の願昇がここにもありました。

韋駄天についても説明されていました。

「一説には、鬼神に奪われた仏舎利(仏様の遺骨)を取り返すべく一瞬のうちに須弥山(宇宙の最高所)まで走り抜け取り押さえ、鬼神から取り返したといういわれがあります。

この宇宙にむかって走ったという故事から願いごとが韋駄天とともに天に昇りかなえられるように祈願したの「願昇」を謹製しました。

どうぞ願いごとをし、一年間お手もと近くにおかれ慈しんでいただきたいと思います。

願いごとが成就された「願昇」は裏面に氏名を記入し、当山に納めていただくようお願いいたします」

と書いてありました。

この「願昇」は、願いごとが叶ったら、名前を書いて奉納する、というやり方なのですね。


観音堂の前は紫陽花の道

御朱印をいただいた後は、先程とは別の道を通って歩いてきた道に戻ろうと思いました。本堂の左側に出てみました。

お地蔵様がいるところを通り土蔵造り建物がありました。

 



どうやらこちらの土蔵造り建物は、観音堂のようでした。

いつもは観音様はこちらにいらっしゃるのでしょうか。韋駄天や毘沙門天もこちらなのかな。

回向柱やお手綱は本堂の前にありましたが。

この観音堂は白壁で蔵のような雰囲気がありました。こちらの前にも紫陽花がありました。

圧巻な光景は、この観音堂の前です。


私が入ってきた入り口とは別の入り口、参道がありました。

観音堂へ行くための参道のようです。

その小さな道の両脇に紫陽花です。

この観音堂前の道を歩くと感動ですよ。

それも人が誰もいないという、紫陽花が多いお寺の穴場的存在です。

鎌倉だったら紫陽花を見るまでに行列でしょう。



紫陽花小道と言っていいくらいの大量の紫陽花のです。遠くまで紫陽花が続いていることがわかるかと思います。

花、花、花ですよ。

この白い紫陽花のところは、道を通ることが困難なくらいです。私ひとりが通って行きます。

雨がだいぶ収まった時だったのですが、それまで降ったり止んだりしていたので、紫陽花は濡れていました。

そのため、この紫陽花のところを通ると自分まで濡れてしまうという。



石段を降りて車道のところに出ました。

石段の石もこうやってみると、かなり丸くなっていますね。

苔むしていて、雨の日でしたから、すべらないように気をつけないといけません。

門柱のところまで、紫陽花があります。

それにしても観音堂の前の道は、紫陽花が乱れ咲くという状態でした。



参拝する時は別の道から入ったので気がつかなったのですが、長念寺はゆるやかな坂を上って行きましたから、これだけの高台になっていたのでした。

石垣になっていて、そこにも紫陽花です。

 


観音堂前の道は、昔はこちらから入っていたのだと思います。

門柱のところに「長念寺」と、うっすらと書かれて見えないほどになっています。長年の間に薄くなってしまったのでしょうか。

もう一つの柱には、山号の「清流山」となっているのかなと思います。

何れにせよ、紫陽花がいっぱいで門の石柱自体も見えないくらいです。

梅雨時の参拝は傘を持ちながら歩かないといけないので、なかなか大変なのですが、この紫陽花の光景をみると梅雨に参拝できてよかったなと思いました。

紫陽花をひとり占めですよ。