阿寺諏訪の文字の下に、毛呂二里、越生三里の文字が見える石碑の隣には、福徳寺、ユガテ、鎌北湖、顔振峠と書いてあります。阿寺は越上山の麓にある阿寺集落のことでしょう。

国道を歩いて、この矢印が曲がり角の目印になります。

ちなみに、顔振峠とは、鎌倉時代に弁慶や義経が見事な景色の美しさに何度も顔を振り返ったことから付いた名前と言われています。

 

今回は、ここにも書いてある福徳寺からスタートです。

今まで秩父の札所めぐりで西武秩父駅まで行く時に何度も見ていた東吾野駅から降りてスタートしました。

東吾野駅から吾野駅まで、次の駅まで歩く、というのは都会ではなんてことない話ですが、西武線の秩父に近くなってきたところでは、その次の駅まで歩くというのがけっこうな距離を歩くことになります。

片道6キロくらいをただひたすら歩きます。

それも6月、晴れた日は真夏のように暑くなっています。暑い日は水分補給を忘れないでください。

 

 

福徳寺はお散歩コース晴れた日に行きたい

晴れた日ですが、6月ですから紫陽花と清流です。

今回の歩き巡礼は、高麗川とともに歩くことになります。

東吾野駅から降りてしばらくは、国道沿いに歩きますが、じきに脇に曲がります。そこは高麗川へと流れる小川があります。国道沿いは車がビュンビュン走っていますが、この小川沿いの道はほとんど車も通りませんでした。

これがまたいい風景なのです。

吾野駅までの距離を歩くことが辛かったら、この福徳寺と納経所の興徳寺まで行って引き返して隣の吾野駅まで鉄道を使う、という手もあります。

そうすればこの清流のそばを歩いていくという経験ができます。


顔振峠やユガテ、高山不動尊へのハイキングコース

車が通れなくもないと思うのですが、一方通行なのでしょうか。

グーグルマップではこの道を指し示してくれていませんでしたが、現地に行くとブログ冒頭の矢印がありますので、そこで曲がると、小川に沿ったこの道がわかります。

高山不動尊への矢印がみえました。

もしかしたら、高山不動尊に行ったことがある人がいるかもしれませんね。

そちら方面に行くハイキング道路のようでした。

西武鉄道で行くハイキングにも、顔振峠やユガテを通るコースがいくつかあるようです。

どちらにせよ、初心者というよりはある程度経験がある人向けのようです。

私が福徳寺にいた時もハイキングから帰ってきた人なのか、これから行く人なのかリュックサックを背負った人たちを何人かみかけました。


ホタルもいる小川に沿って歩く

自然な小川が流れているということは、このホタル生息地となっていることからもわかります。

ホタルの餌となるカワニナがいるのでしょうね。コンクリートで固められた川岸ではないのです。

童謡の「春の小川」で歌われているような川です。

私が行っていた頃がまさに、ホタルが飛び交う時期でしたが、残念ながら昼間ですので、まったくみえません。

 


まわりは西川材の林業地

福徳寺が近づいてきたら、西川林業地をめぐる道、「飛脚道」の説明が書いてありました。

江戸時代の飛脚の裏道です。

西川材についても書いてあります。ここまで来る途中、国道から曲がったところには、西川材のお店がありました。

このあたりは、西川材と呼ばれる木材がとれる林業地です。西川林業地となります。

その説明が書いてありました。。江戸時代からの有名な林業地だったのですね。

江戸から見て西の川(荒川)から運ばれてくる木材を西川材と言ったのですね。知らなかったです。

ここの地域が西川材の中心だったとは。飯能の駅だったかで、西川材を見たことがありましたが、詳しくは知らなかったです。

「樹種はヒノキ、スギが中心で、特色として丁寧な仕事で品質の高い木材を生産する林業として知られています」とのこと。

ヒノキといい、スギといい、花粉症で悩ましいですけどね。

「育林(植林、草刈り、枝打ち、間伐)、伐採、製材と愛情を込めて育てています」と書いてあるように、林業も勝手に林になってくれるわけでもなく、手間ひまかけているのですよね。

 


ハイキングコースの経由地となる福徳寺と阿弥陀堂

福徳寺に到着です。

道標には、福徳寺を中心にして、東吾野駅を指し示す矢印と、ユガテと鎌北湖を指し示す矢印がありました。

その上には、ローマ字で「YUGATE」となっています。

ユガテは、ここ飯能市の地域にある山村の集落のことで、漢字では「湯ヶ天」と書くそうです。農地もあるとのこと。ここでは天に届くほど湯が出た地域だったそうです。

グーグルマップでは出てこないのですが、ずっと舗装された道は続いていました。どこまで舗装された道が続いているのか、ユガテまでなのかは行っていないので不明です。

ここ福徳寺まででしたら、国道を脇に曲がってからそれほど歩かないうちに到着します。

 


国指定重要文化財と書いてある木の柱が見えます。

国指定重要文化財は、福徳寺阿弥陀堂付厨子一棟となっています。国の指定がある文化財を持つお寺なのに、無住のお寺なのですね。

武蔵野三十三観音の中でも、唯一の国指定文化財なのだそうです。

それなのに、無住とは、なんだかもったいないですね。

県指定有形文化財は阿弥陀三尊立像です。

飯能市のホームページによると、鎌倉時代の鉄仏です。

鎌倉時代の貴重な鉄仏で、三尊そろっているのは珍しいと言われています。形式は善光寺式三尊像で、一光三尊光背と呼ばれる大きな蓮弁形の光背を背に、如来と菩薩が併立する形をとり、両脇侍は大きな山形の宝冠をかぶり、両手を腕前に組んでいます。

この像は中尊、脇侍とも像身一鋳で、台座は蓮華と反花(かえりばな)以下を別鋳とし、これを鋳かけています。

鉄仏は、鎌倉、室町時代の作が多く、地域的には東日本に多く分布するなど、東国の人々、特に武士階級の志向に合致したものと推測されます。

ここに見える坂を登ると福徳寺です。坂には紫陽花が咲いていました。坂の上には小さなお堂で、左手に阿弥陀堂があります。坂を登りきった先にあるのが本堂です。


六地蔵のお堂の先に本堂あり

坂を登ったところには、六地蔵をお祀りしている地蔵堂があります。こちらも古びていますね。



やはり福徳寺は、晴れた日に見てほしいですね。

国指定の重要文化財がこちらの阿弥陀堂です。緑豊かな山をバックに写真を撮ります。

背景の緑に、阿弥陀堂の屋根が美しいです。この勾配のかっこよさ。


国指定重要文化財の阿弥陀堂

阿弥陀堂のまわりには囲いがあって近寄ることもできませんし、ましてや中を見ることもできません。

この阿弥陀堂は国の指定になったのは、昭和24年2月18日ということで、かなり前から重要文化財になっていたのですね。

福徳寺阿弥陀堂付厨子一基と書かれています。国指定重要文化財(建築物)です。

「この阿弥陀堂は、間口、奥行き共に、三間四面板壁造の回縁つきで、前面は精巧な「蔀戸」となっている。 屋根はかつて茅葺きであったが、昭和三十年度の復元修理により、小屋組みを旧に復して勾配の美しい宝形造に改め、頂きに露盤、宝珠を乗せる銅板葺とした。内部は二本の来迎柱の前に禅宗様須弥壇を添える。

阿弥陀堂の創建年代は詳らかではないが、様式手法により鎌倉時代末期とされ、藤原期の流れを踏襲した、関東地方でも数少ない和様建築である」と書いてありました。

たしかに美しい勾配の屋根です。ここには阿弥陀三尊の写真も載せてくれています。大きな光背の一光三尊の阿弥陀三尊です。善光寺式三尊像で、鉄造となっています。

「一方、内陣の須弥壇と来迎壁廻りは室町時代に属するものとされる。厨子は檜の白木造で、簡素で省略も目立つが、木鼻の特徴や欄間のすかしなどから、桃山時代前後と考えられている。厨子には県指定文化財の鉄造阿弥陀三尊立像が安置されている」

建物は鎌倉時代末期で、内陣は室町時代、厨子は桃山時代前後と幅広いですね。

 


本堂は普通の家のような建物

坂を登りきった先は本堂です。

これが福徳寺の本堂になります。民家風ですね。しかし、寺号の額がかかっています。

回向柱があるので、こちらに観音様がいらっしゃるのでしょう。

無住のお寺とはいえ、管理はされています。紫陽花もきれいに咲いていました。


福徳の寺、福徳寺(楊秀山福徳寺・臨済宗建長寺派)

本堂の近くに行きますと、納経所の場所の説明が書いてあります。

これを見ればわかります。私はグーグルマップで興徳寺を探して行きました。国道299号に戻って、今度は東吾野駅ではなく、吾野駅方面に歩きます。

ここ福徳寺からは1キロほどあるのですね。

本尊は聖観世音菩薩と宝冠釈迦如来と書いてあります。

創立についても書いてくれてありました。

「創立建暦2年(1212)開山は宝山禅師と伝えられている」

他にも、観音様の説明も書いてありました。

心の目で見ることを「観(かん)」と言います。色無き色を見、音無き音を聴く、これが観(かん)です。この観の働きを持って私たちの悩みや苦しみや悶えをお救いくださるのが観音菩薩です

阿弥陀堂については、先程みた飯能市教育委員会の看板に書かれていたのとほぼ同じです。鎌倉時代末期の和様建築ですね。

昭和31年に復元修理しました(先程は、昭和30年度と年度で書かれていた)、と書いてあります。

「阿弥陀様を信じ念仏を唱えることにより極楽へ行けると信じられている」という説明もあります。

年三回の行事の時(4月15日の大般若会、7月16日の大施餓鬼会、11月14日の阿弥陀会)だけ開かれると聞いていましたが、行事のところをみると、阿弥陀会のところに「御開帳」となっていました。

この時に、埼玉県指定の文化財である阿弥陀如来三尊が拝見できるのですね。



こちらは全体の配置がわかるようにと、本堂から坂の下に向かって撮った写真です。右手に見えるのが阿弥陀堂です。

後ろの山も見えます。



回向柱を中心にぐるりと写真を撮ってみました。

こちらからも武蔵野三十三観音の唯一の国指定重要文化財の阿弥陀堂も見えますよ。本堂右手のほうから撮った写真ですが、阿弥陀堂の美しい勾配の屋根がみえますね。

 



今度は、本堂向かって左手のほうから撮りました。

福徳寺の寺号の額(福徳禅寺)と御詠歌の書いてある額がみえますね。

その先に見えるのが、裏手に続くハイキング道路への道です。

今さら気づいたのですが、この回向柱は4月1日の開創80周年御開帳の前から書かれていると思うのですが、柱の真ん中くらいに「悪疫退散」が入っていますね。

「平等性智、所縁吉利、身体健全、火盗消除、悪疫退散、万民和楽、諸願成就」と書かれています。

 


本堂の裏手は墓地でハイキングコースも

本堂の左手をみますと、墓地が続いているようでした。本堂の裏手も墓地です。

こちらは、おそらく桜の木でしょう。枝垂れ桜っぽいですね。

その下になにやら樽みたいなものがみえます。



天保十五と書かれていますが、お墓のようですね。その後ろには謎の樽のようなものがありました。

この時は、紫陽花でしたが、春は春で枝垂れ桜がキレイなのでしょうね。



こちらは、本堂の真後ろから先程のハイキングコースの道を撮しました。

このように無住であってもきれいに管理されています。

境内の木々もきれいになっています。

本堂の裏手は墓地になっていて、墓地も墓地でかなり広い感じでした。

 



せっかくですので、本堂の高い場所から阿弥陀堂の写真を撮りました。

紫陽花と一緒に撮しました。縁側のようなところが一部凹んでいますが、そこから出入りするのでしょう。

阿弥陀堂の正面向かって右側になります。



こちらは、阿弥陀堂の裏手ですね。

こうやってみると、屋根の勾配が美しいとわかります。

今は、裏手に見える山々の緑が美しいですが、紅葉の季節もいいでしょうね。




こちらが阿弥陀堂の入り口前の庭のようなところです。

阿弥陀堂のまわりは柵で囲まれているので、一段高い本堂のほうから撮っています。

これでだいたいの福徳寺の雰囲気がわかっていただけたかと思います。

御朱印だけが目的だからと、こちらの福徳寺を訪問しないでショートカットしようと思った人は損ですよ。

このような美しい阿弥陀堂を見ることができるのですから、福徳寺にぜひともお参りしてください。

さて、次は納経所にて御朱印をいただきに行きます。国道299号のほうへと元来た道を戻ります。

その後、御開帳の時に行ってきたので、番外編を書きました。

そのさわりを少し

福徳寺へ続く道と小川です。

前回行った時は、ホタルが舞う時期でした。

いまや色づき始めた木々。

福徳寺のそばも、もっと生い茂っていたはずなのに、なんだか光景が違います。

前回あった紫陽花は株だけになっていました。

周りの木々も色づいています。

前回とは、色が違うのですよね。

詳しいことは、番外編に書きます。

納経所である興徳寺へ

国道に戻って、吾野駅方面に約800メートル歩いて行きますと、このような看板がみえます。

興徳寺がもうすぐです。興徳寺は福徳寺と違って脇道に入るのではなく、国道沿いにあります。



吉祥山興徳寺の山門です。

こちらもこちらで魅力的なお寺です。

禅寺の雰囲気です。



山門前に立つ石碑も古い感じがしますね。

 



中に入ると蔵のような建物と、正面には白い土蔵造りの本堂が見えました。



山門すぐそばには、小さなお堂もありました。蜘蛛の巣があったので、近寄ることはしませんでした。



白い壁が特徴的な興徳寺です。

興徳寺は火災で焼失したそうです。それで耐火建築の土蔵造りにしたのでしょうか。


納経所では差し替えの御朱印をいただいて

庫裏のほうがなんだかお城のような雰囲気だったので写真を撮りました。お庭の花もきれいに咲いていました。

 



書類箱の中に御朱印と御姿が置いてあり、自分で差し替えをします。お金も置いておきます。

兼務寺となっていて人がいなかった勝音寺と同じ方法です。

次の札所まで歩くつもりがない場合は、ここから国道をひたすら戻って東吾野駅まで行きます。

ここ興徳寺から吾野駅までのほうがずっと距離がありますから、一旦西武線の東吾野駅まで戻る人のほうが多いかと思います。


次は高麗川に沿って国道を歩き次の札所へと

私の場合は、納経所である興徳寺から次の札所の法光寺まで歩きました。

ここからが太陽が照りつける中をひたすら吾野駅方面へと歩くことになります。

約5キロ、ノンストップです。

とは言うものの高麗川がきれいなので、写真を撮りながらです。



次の札所である法光寺は吾野駅すぐ近くです。そのためほぼ吾野駅向かっての歩きです。

国道を歩くとカンカン照りのところを歩くことになりますが、見てわかるようにところどころ、木々があるので、木陰になっている部分もあります。

それに高麗川からの風も心地よいです。



歩いている時は川の色が緑に見えてきれいに思えたのですが、今見るとそれほどでもないですね。

実際に見たほうがきれいに感じました。

ここの土台になっているようなところは、上をみるとわかるように、西武線が通っている場所です。

道は国道を歩きますが、ところどころ西武線の線路と接近します。

ここまで来ると、一回で歩く距離は長くなりますが、風景が楽しめますね。

特に、暑い時期でしたから、木々の緑が濃くなっていました。

ただし、国道を歩く人はゼロで、自動販売機も見当たらず、これでは途中でペットボトルの水が無くなったら困るなと思いました。

秋冬でしたら、汗もそれほど出ないでしょうが、熱中症対策には水分補給が必要です。

もし、私のように暑い時期に歩き巡礼をする人がいましたら、水分確保、ペットボトルや水筒など十分に用意しておくことをお忘れなく。



福徳寺と吾野駅の真ん中くらいの場所に、東神社という神社がありました。

石橋を渡ってさらに階段を登っていく必要があるので、本殿までは行っていません。

だいたい半分くらいまで来たという目安にどうぞ。

そう思うと一駅間とはいえ、けっこうな距離を歩くことになります。