子ノ権現天龍寺に着きますと、まず見えるのが鳥居です。お寺なのに、鳥居です。

前回までの法光寺で、すでにヘトヘトになって水が飲みたくなるは、暑さでバテるはで、吾野駅から帰りました。

奥の院のことは、すっかり忘れてです(その後、奥の院には行きました)。

今回の札所32番は、当初の予定だった御開帳の最終日である6月30日を数日、過ぎてしまってから行きました。

御開帳になってすぐに、武蔵野三十三観音のお寺は閉まってしまいましたからね(一部は開いていたらしい)。

★翌年の竹寺の御開帳に合わせて、歩き巡礼で竹寺と子の権現に行きました。これで武蔵野三十三観音霊場はすべて歩きで回ったことになります。

 

鳥居が見えるお寺が子ノ権現天龍寺

秩父でもみかけた「関東ふれあいの道」。ここは「奥武蔵の古刹を訪ねるみち」になっています。

県内13コースの一つになっていて、起点は名栗村小殿で、法光寺、子の権現天龍寺、竹寺を回る道のようです。

 

さて、6月になってから本格的に武蔵野三十三観音を廻りはじめたののですが、やはり6月30日までには終わらず、7月に入ってしまいました。

 

しかし、6月末の時点ではこれからどうなるかも予測がつかず、またもや閉まってしまったら困るなと思ってとりあえず早く結願を目指そうということにしました。

そのため、本来ならここまでずっと歩き巡礼してきたにもかかわらず、最後2ヶ寺である32番と33番は「車巡礼」になってしまっています(その後、逆打ちで山登りして結局「歩き巡礼」しましたが)。

 

その直前までハイキングしようと思っていたのですが、登山にかかる時間がわからなかったことと、その頃は雨の日が多く、ハイキングに慣れていない私が歩いて滑ってころんでしまうことをおそれてです。

 

当日は時々雨が降る天候でした。

真夏は真夏で雷などで天気が急変しますから、まだ寒いくらいの春先くらいのほうがいいのかもしれません。それか晩秋でしょうか。冬は冬で雪が降ったらお手上げでしょう。

武蔵野三十三観音の巡礼の人よりも圧倒的にハイキングで、ついでに参拝という人のほうが多いだろうという印象です。

いくら歩き巡礼を重ねても、ハイキング初心者の私はお寺まで到着できるのかもわかりません。



子の権現の説明が書いてありました。

「一般には子の権現の名で親しまれているが、正しくは大鱗山雲洞院天龍寺と呼ぶ。天長9年(832)子の年、子の月、子の日、子の刻に生まれ、湯殿山で徳を積んだ子の聖が草ぶきの家を建てたところ、弟子の恵聖上人が聖人をまつったのがこの寺である」

この恵聖上人が子ノ聖大権現を本尊として開き、長く山岳霊場として栄えてきたそうです。

大きなスギの木が二本あるのですが、一つが途中で折れてしまっていました。台風の時に折れたそうです。その前にも折れていないほうのスギは落雷にあっているとか。

 

埼玉県指定の天然記念物のようです。この大きなスギの木の向こう側に鳥居があるのです。

後で調べたら、このスギですが、子の聖が箸にして使っていたスギの枝があってそれが木になったという言い伝えがあるそうです。開山の縁日には、ここに箸を立てる儀式を行っているとのこと。

ハイキングの人はこれをみてやっと到着という気分でしょう。



時折、雨が降る日だったので、土日の休みの日なのに、私たちのほかは、ほぼ人がいませんね。

後で何人かに出会ったくらいです。晴れていたらハイキングの人に出会うはずです。

黒門と呼ばれる山門がみえます。


武蔵野観音のほか子の年の御開帳

黒門です。ここでは、熊よけの鈴は必要ないようですね。「熊鈴止めてください」と書いてあります。

そして、重要な御開帳のお知らせです。

「開帳期間の告知」となっています。

本尊子聖大権現は、庚子年開帳となり「令和二年一月一日から十二月三十一日」までとなっていました。

その横には、天龍十一面観音として、こちらは武蔵野三十三観音霊場として八十周年総開帳としてです。

こちらには、当初の予定だった四月一日から六月三十日までの日付が書かれていました。

檀家寺ではないのですが、ハイキングの人もいますから、参拝する人や祈祷する人も訪れていることでしょう。

なるべくなら、ハイキングの人もお守りを買って帰るといいでしょうね。



大鱗山雲洞院天龍寺(通称、子ノ権現)は天台宗のお寺です。創建は、延喜11年(911)です。

日本一体の子ノ聖大権現が本尊です。

しかしせっかくの御開帳ですが、私の場合よく見えなかったです。双眼鏡でも持っていけばよかったか。

本尊以外は、武蔵野三十三観音札所として、第三十二番、十一面観音です。

法光寺と同じく、関東百八地蔵尊札所でもあり、第十番です(法光寺は十一番でしたね)。

厄除延命地蔵尊が祀られています。

ここにも書いてありますが、子ノ権現は、「足腰守護の神様」として知られています。



山門から入るとすぐに目につくのが、仁王様。カラフルなので、遠くからでも目立つ仁王様です。

やけに暗く写っていますが、お昼前です。

それほど雨の日は暗くなってしまうのですね。

奥にみえる茅葺きの屋根のところに、本坊(納経所)がありました。

本坊では足腰のお守りなども売っています。



子の権現の大聖人ですから、聖橋でしょう。

ここを渡って本坊のほうへと行きます。



本堂への道です。これが山門になるのかな。

本坊は下のほうにありまして、本堂へは登っていくことになります。

 



多くの人が、この巨大わらじを写真に撮りますから、見たことがある人も多いでしょう。

日本一大きいといわれる鉄製のわらじ。そしてその奥には下駄も見えます。

本堂に行く手前にあります。

枝垂れ桜がみえます。



こちらが本堂です。暗いうえに霧がかっていますが回向柱がみえますね。紅白の幕もかかっています。

本堂の手前には美和観世音像があります。

 



本堂に向かって左には、小さなお社がありました(後で調べたら、秋葉社とのこと)。

そのそばには、足腰のお守りである小さなわらじがかかっています。願掛けわらじです。

これについては、また後ほど。

 



雨がちょうど上がった時で傘をささないで済みましたが、参道が濡れていますね。

回向柱のところにお手綱が下がっていましたが、濡れていました。


「日本一体、子聖大権現」の額です。

提灯の下には、お賽銭箱があるのですが、その上にはわらじが奉納されていました。

昭和58年に再建された本堂とのこと。二本のスギも落雷にあっていますが、この本堂も落雷で焼けてしまったそうです。山頂ですから過酷な環境です。


不動明王像は飯能市の指定有形文化財

先程も書いたように、12年に一度、子の年だけのご開帳となる子ノ聖大権現です。たしかに、御開帳として、扉は開いていましたが、中がよくみえませんでした。

配置としては、子の権現を中心に、向かって右が厄除元三大師、不動明王、釈迦如来と並び、真ん中に本尊の子ノ聖大権現です。厄除けで知られる元三大師もお祀りされていました。子ノ聖の本地仏の釈迦如来もです。

左側には、武蔵野三十三観音の本尊になる十一面観音、大黒天、大日如来となります。

阿字長者を母とする子の聖大権現ですが、その阿字長者の本地仏である大日如来もです。

護摩祈祷の人は内陣まで行けるのでしょうが、それ以外の人は、外陣から観ることになります。せっかくですので、護摩祈祷もやってみればよかったかな。

中はわかりにくかったですが、外陣から扉が開いていることは確認できました。



千羽鶴の上に、お手綱の綱がみえますから、この先が観音様です。この綱を通じて観音様と握手できますね。

 



ということで、お手綱を通じて握手します。

 



不動明王については、飯能市の指定有形文化財になっているようでした。

木造不動明王立像です。

ここにも、本堂左側壇上に安置されていることが書いてありました。

「この不動明王像は本堂左側壇上に安置されており、像高101.7㎝の一木造り(材質は不明)の三尺像である。

不動明王像は護摩の香煙によって木理も判然としないほど黒ずんでいる。そのため、一見忿怒の面相が厳しく見えるが、素地は穏やかな面貌である。

丸顔の面部、面高な頭部、肉付きの良い体軀、部厚い条帛を左肩にかけて簡素な裳を薄手に彫り出し、右腰をわずかに前に出している。これらのことから、この像は藤原様を伝えた地方仏師の作と見られ、12世紀は下らない頃の貴重な平安仏である。

なお、両腕は肩から別材が用いられ、両脚も膝下から継がれており、後補されている」

と書かれています。

不動明王像は、どうも両腕の自然さに対して、両脚はややそぐわないものとなっているようです。

他の像のことは書いてなかったので、彫刻として貴重なのは不動明王像のようです。



本堂に向かって右手の美和観世音の脇を通って、奥の院のほうへ行けます。ガクアジサイがみえます。

時々降る雨に似合う紫陽花です。




本堂の左側には、ヨーゼフ・ボイスの足跡の記です。

ドイツの現代美術家、彫刻家、教育者、社会活動家です。

雨が降っていたので、水たまりになってしまっています。


子ノ権現には、大きなわらじ、大きなハイヒール、大きな下駄あり

ヨーゼフ・ボイスの足跡だけでなく、足腰にまつわることという意味でしょうか。

本堂へ入るとすぐにあるのが大きなわらじですし、本堂の中に入るとすぐに目につくのが、この赤い大きなハイヒールです。



そして、大きなわらじの隣は、大きな下駄が紅白であります。

その横にみえる大黒様の祠が小さくみえるほど。



奥の院は冬の晴れた日ならスカイツリーが見える眺望処

さて、スカイツリーが見えるといわれる奥の院へ行きます。

奥の院のところがスカイツリー眺望処になります。見える場所は奥の院の裏側になるようですね。

階段を上がってもいいですし、坂を登ってもいけます。

ということで、階段を登ります。



階段の手前には閻魔大王のいる閻魔堂がありました。



階段を少し登ると今度は、地蔵菩薩像です。




おそらく坂と書いてあったほうは、このような山道になるのだと思います。



やっと梵鐘のところまで来ました。

奥の院である釈迦堂がみえます。



ちなみに、梵鐘から遠くをみますが、このとおり霧がかかって遠くまで見えません。

手前の山が見える程度です。それにしても昼間なのに、暗くみえます。



こちらが奥の院である、釈迦堂です。

こちらでも参拝します。


こちらが奥の院の裏手にあるスカイツリー眺望処です。

しかし、見えません!

せめて、この霧がなければ山の光景が見られます。

霧で幻想的ではあるのですが。



経掛岩と鐘撞堂を釈迦堂から写してみました。

まったくまわりがみえませんね。霧がかっていますし、雨の日は仕方がありません。雨が一時的に止んだだけでも良しとします。



ちなみに、さきほどの坂道はこの下の道だと思うのですが、ちょっと滑りそうですね。

この先はハイキングコースにつながっているようでした。



釈迦堂である奥の院からの本堂の眺めです。

残念ながら、雨の日なので、まわりがみえないですから、早々に下へ降りました。


案内図でもう一度、振り返ります。

東京スカイツリー眺望処です。

「冬快晴の日によくみえます」ということなので、やはり冬の寒くて空気が澄んでいる時をねらったほうがいいようです。

そう言えば、スカイツリーの高さと子ノ権現天龍寺がある場所は同じくらいだと聞いたことがあります。

鐘楼のところで、640メートルの高さになるのだとか。

やはり歩き巡礼したのだから、下から登ってくるべきだったか。

冬の空気がすんだ時に再チャレンジでしょうか。


納経所で納経を済まして、願掛けわらじも購入


車加持所にもなっている庫裏です。茅葺き屋根がいい味出しています。

江戸時代末期に建てたそうです。



武蔵野観音三十二番札所です。

奉納された額に描かれた絵もユニークですね。うなぎみたいなものも見えます。



観音様の御姿だけでなく、子聖大権現の御姿も購入しました。

これで、せっかくの御開帳でもみえなかった御姿が拝見できます。

そして、その隣にあるのが、本堂の前にかかっていた願掛けのわらじです。

子ノ聖様のお願いわらじです。

これは2つで一組になっています。


サイクリストは「自転車・バイク守る輪」をどうぞ

ちなみに、他にもお守りやら御姿やら売っていますので、前もってどれを買おうかチェックしておいてください。

火防守や、ねずみ守もありますが、やはり足腰守りでしょう。



 

足腰守りには、ぞうりタイプとスリッパタイプがあります。

子の権現は、サイクリストも多く来る場所なのだそうですが、この子の権現天龍寺まで一気に自転車で登るのはどれほどの筋力が必要なのか。。。

サイクリストだからこそ、交通安全に気をつけましょう。

サドルにつけられるお守りですね。「自転車やバイク守る輪」もあります。

自転車好きの人は、ぜひ、お守りを購入してください。



さて、さきほどのお願いわらじですが、一つは、お願いごとを書いて、本堂前のわらじ掛けにかけておきます。

合計4個のわらじが付いているので、2個一組を掛けておくのです。

もう一組は、自宅に持ち帰り、自宅に掲げておきます。

絵馬とかですと、そのまま置いてしまって記念にならないのですが、このわらじですと、一組は持ち帰りできますので、奉納して置いておくわらじがあっても記念に残ります。

これはなかなかいいやり方ですね。


さて、帰り道です。とはいえ、次の竹寺にすぐに向かって行くことになります。これはハイキングの人も同じかな。

一時的に子ノ権現でお休みしても、次の竹寺まで行くと。

ハイキングの人は、晴れた日が多いでしょうから、このような雨天や霧がかかった様子もいかがでしょう。

雨の日のこのぼおっとした感じが好きな人もいますよね。幻想的です。

 



帰り道で気がついた「子ノ聖権現ご法難の図」です。

「権現様は天長九年(832)の子の年、子の月、子の日、子の刻に紀伊の国天野の郷、阿字長者の御子としてお生まれになった。

七歳にして佛門に帰依し、近江の国、比叡山及び出羽の国湯殿山等で修業された」

阿字長者が60歳の時に夢に天竺の高僧があわれて、胎を借りるといわれて生まれたのが子の聖です。

ある時、月山の山頂から般若心経巻を天高く投げたら、般若心経が、ある山の山頂(現在の奥の院の場所あたり)にとどまって光を放ったそうです。

その光を目印にして旅をして吾野の郷にやってきたというわけです。

この山に山賊が棲んでいて、聖に山を開かせたら悪業ができなくなると周囲に火を放ったのです。

そこで、聖が念彼観音力と命じたら、雲に天龍が現れて豪雨を降らせて火を消したということです。

龍は龍で、十一面観音の姿を現して、雲中に消え去ったとなっています。その時一枚の鱗を残して帰ったそうです。

だから鱗と龍で、「大鱗山天龍寺」なのでしょうね。子ノ権現のほうが名前は通じますが。

「我登山の際に魔火のため腰下を傷め悩めることあり。故に、火災を除き、また腰より下に病める者一心に祈らばその験を得せしめん。能除一切苦とのお誓いを残して化寂された」

ということですよ。

それで足腰の神様なのですね。火防のお守りもありましたですし。

足腰には霊験あらたかとして、運動をする人たちやサイクリストなどの参拝も多いです。

 



黒門には「大鱗山」の額がかかっているのですが、暗くなってよくみえませんね。

さきほどの仁王様も霧に霞んでみえます。

くっきり写った仁王様もいいのですが、これはこれでいい味かなと。



霧に霞む赤い鳥居と茶屋です。

来た時よりも、さらに霧がかかっています。

先がよくみえません。

この先あたりに石仏の大日如来が祀られている場所があるそうです。

あたりは霧に覆われてよくみえません。展望を期待するなら、やはりくっきり晴れた日がいいです。

夕方のような暗さがありますが、まだお昼時です。

次は、この細い山道をくだって竹寺に向かっていきます。竹寺(車)となって矢印が書かれています。

ハイキングの人はこちらは通らないのでしょう。後で歩きで来ましたら、茅葺き屋根の寺務所の裏から通る道が歩き、ハイキングの道でした。

こちらは車が通れるのですが、細い道でした。