札所12番の全徳寺のところでも書きましたが、歩き巡礼だったので、西武球場前駅から歩き続けて13番、12番、14番、15番の順番に回りました。ですので、ここらへんは順不同になっています。

次のお寺へと急いでいたこともあって、じっくり見学ができなかったのですが、武蔵野三十三観音の14番でもありますが、狭山観音霊場でもあります。

また、この途中にある狭山観音の慈眼庵というところの御朱印もいただくことができます。

寺務所にて、ご丁寧にしていただき、感謝しております。ありがたいことです。

ご住職は法要のようで不在でしたが、ネットの評判のところにも「ご住職がとても親切」と書いてありまして、同様に、お寺の方も親切です。今までいろいろなお寺を見てきましたが、ご住職が丁寧なところはお寺の方々も同様な印象があります。

 

私はいつものとおり、脇のほうにグーグルマップで連れられまして、山門から入っていません。この妙善院のあたりは、何もなくて昔は本堂脇に「狼の穴」があったのだとか。

ここ妙善院や次の札所である松林寺付近は、駅からも遠くて、武蔵野の原野という雰囲気です。

妙善院は、「原の寺」という呼び名もあったそうです。

妙善院から小手指駅(もしくは狭山ヶ丘駅)に向かう途中には、「所沢ひまわり畑」という場所もあります。

 

狭山観音霊場の結願寺になる妙善院

 

武蔵野三十三観音めぐりとはいえ、狭山観音霊場としては、結願寺というのか、札所33番なのですよ。慈眼庵が32番でありまして。

なんでも狭山観音霊場を決めた頃、狭山観音霊場1番の山口観音の金乗院の住職と、ここ妙善院の中興の祖である住職が親しく、山口観音が1番、妙善院が33番となったそうです。

天明八年(1788年)の時に開創の狭山観音霊場です。秩父の霊場が、1234年開創でしたね。

秩父の霊場よりは遅いのですが、武蔵野三十三観音は昭和15年ですから、狭山観音霊場はずっと歴史ある霊場なのです。

ところどころ、無住のお寺になってしまっていますけど、武蔵野三十三観音を巡った人はぜひ、狭山観音霊場もどうぞ。歴史散歩という感じですよ、狭山観音霊場は。

秩父の札所と合わせると、武蔵野三十三観音、狭山観音三十三観音の合計百ヶ寺が武蔵の百ヶ寺となります。

 

しかし、今回は武蔵野三十三観音を優先しているので、武蔵野三十三観音の札所としていただきました。

何度も御朱印でわずらわせるのもどうかと思うので、一緒に狭山観音霊場としての御朱印もいただきました。

ということで、妙善院では、合計3枚の御朱印をいただくことになりました(武蔵野三十三観音と、狭山観音霊場が2ヶ寺分)

納経というか、お経は1回唱えただけですが。

御朱印はいただいているので、寺務所に立ち寄る必要はないのですが、また、狭山観音霊場として参拝したいなと思っています。

最後の最後に、やはり結願寺に立ち寄るだけでもしたいなと。すでに御朱印をいただいているので、いつ行ってもいいのかな。

次回は、今回のように歩き巡礼するかどうかはわかりませんが。


御本尊は白衣観音で、行基作と伝えられる

妙善院で印象に残ったのは、この回向柱に細かく書かれた字です。

達筆なので、写真では読めないかもしれませんが、これ、般若心経です。

私も何度も唱えているとほぼ覚えてしまいますね、般若心経。

本来なら観音様めぐりしているのだから、観音経を暗記しろ、でしょうけど、無理なので般若心経です。


本堂の側から回向柱を入れて、山門のほうを写真に撮りました。このように広めの境内です。

妙善院は保育園と幼稚園が併設されているのですが、この本堂の前で何か行事ができそうですよね。

 



こちらは十三重塔です。

山門から入りますと、慈母観世音菩薩像とこの塔の間を通って本堂に行きます。


慈母観世音菩薩の像も美しい

慈母観世音菩薩です。子どもがそばにいますから、子育てや安産祈願にいいのかしら。

その後ろには鐘楼堂です。梵鐘も立派ですね。


仁王門には、仁王様だけでなく釈迦如来も上に

先ほども書いたように、グーグルマップで脇のほうから入ったので、帰りは逆に仁王門や山門を見ながら帰ります。

仁王門には、仁王様がにらみをきかせています。

仁王門があるくらいですから、立派なお寺であることには間違いありません。

昔は地域の中心的役割を担っていたそうです。



今度は、向かって右の仁王様が入るように仁王門を写真に取っておきました。

仁王門には、中興の祖が書いたといわれる「鳶関窟」の文字が見えます。

後で知ったのですが、この仁王門の上部のところには、釈迦如来と十六羅漢が安置されているそうです。

お正月などに御開帳の機会はあるのでしょうか?

二階部分も見てみたい気持ちになりました。

 



さらに表参道をあるいていきますと、山門です。もっと暑い時期でしたら、この杉木立ちが日陰になっていい雰囲気でしょうね。

石の柱には三ヶ島寺妙善院と書いてあります。隣は曹洞宗と、山号の光輪山です。

三ヶ島寺と書いてあるように、所沢市の三ヶ島には、三つの集落があったそうです。

それを集めた三ヶ島。その中心的お寺です。

禅寺という雰囲気がある山門です。



禅寺だからか、「不許葷酒入山門」と書いた石碑があります。

さらに手前に、年輪が何重にもなっているような大きな木を切ったものが立っています。

ちょっとわかりにくいのですが、ここに本尊、白衣観音と書かれています。

その後ろには、狭山観音霊場でおなじみの、白い札です。

狭山観音霊場の三十三番、妙善院、本尊白衣観音と書いてありますね。

白衣観音は、行基の作と伝えられています。

後で知ったのですが、境内には、徳川幕府の旗本となった沢氏の墓石があるそうです。

そのとなりには、五輪塔があって、嘉暦四年(1329年)と刻まれているそうで、それはなんと埼玉県の指定文化財になっているそうです。ただし場所は、非公開とのことでした。おそらく墓地の中になるからでしょう。

狭山観音霊場の最後に、また妙善院に行きたいと思いました。今度は、山門のほうから入って順番に見たいですね。