おそらく武蔵野三十三観音めぐりを発願してまずは、第1番の長命寺からスタートすることが多いと思うのです。そして、次は、2番の道場寺、そして3番の三宝寺をめぐって今日はここまで、という人が多いのではないかなと。

歩き巡礼なら次回は、4番の如意輪寺からスタートだという人が多いのではないかと思います。

私は、ひばりヶ丘駅から歩いて行きましたが、保谷駅から歩く人もいるかもしれませんね。

少しだけひばりヶ丘駅からのほうが近いように感じました。

私は近くまでは電車を使い、あとはなるべく歩くという、歩き巡礼が基本プラス近くまでは電車を使って、という方針でいきました。

こちらの如意輪寺は、御朱印関係の書籍にも取り上げられたお寺なので知っている人もいるかもしれませんね。


ひばりヶ丘駅から歩いて如意輪寺へ

如意輪寺があるのは、西東京市になりますが、以前は保谷市と言ってました。私にとってはいまだに慣れない西東京市、保谷市と言ってしまうのです。住宅地を通ってきたのですが、けっこうのどかな風景のところを歩いて行きました。

さて如意輪寺に到着すると、やはり目につくがこの仁王門です。「光明山」という扁額がかかっています。

仁王門抜きに如意輪寺が語れないくらい代表的な建造物でしょう。こちらは昭和44年に再建されたそうです。かなり立派な仁王門です。朱塗りですので、前の通りを車で通っても目立つのではないかな。

仁王門も前には歴史を物語るような石碑がありました。

 


仁王門がきれいなお寺

上の写真だと朱塗りのきれいなことがわかるかと思います。

向かって右側の仁王様の前に、「武蔵野観音第四霊場如意輪寺」と書いてあるのが見えます。



左の仁王様の前にも石の柱がありますが、よく読めませんね。

今は寺標もあり、整えられた仁王門前の庭となっていますが、昔は、この石の柱からが入口だったのではないかと思いました。



仁王門から入りますと、眼の前に弘法大師の像があり、奥のほうには、鐘撞堂が見えました。

目の前の木々は枝垂れ桜でしょうね。

 

 本堂ではなく観音堂へ

御開帳の時だったら、迷うこともないかと思いますが、正面にあるのは、本堂の大日殿です。

観音堂は別のところにあります。

上の写真では、右側にチラッとお手綱と御開帳柱の場所が見えているかと思います。

そちらの古い建物が観音堂です。

本堂には大日如来が安置されているそうです。本堂も見てみたかったのですが、今回の目的は武蔵野三十三観音めぐりですので、観音堂のほうに行きました。

ということで、本堂には前を通っただけで立ち寄っていません。



こちらが観音堂です。「武蔵野三十三観音霊場八十周年結縁円満也」という文字が見えます。

御開帳柱(回向柱)やお手綱、そして赤い旗は見えますが、観音堂の扉は閉まっていました。

御開帳ですが、閉まっていました。

如意輪寺は明治の葛西で本堂が焼けてしまって、ご本尊だった不動明王も一緒に焼失したそうです。

しかし、この観音堂は焼け残ったそうです。焼け残ったというか火災を免れた、延焼を免れたというべきでしょうね。

火災の時は、場所によっては火が燃え移らなかったということもありますから。

如意輪寺というだけあって、如意輪観音様が安置されているそうです。

 




こちらの観音堂のほうに、馬駈け市大絵馬が保存されているそうです。

観音講連中惣世話人によって奉納されたものとのこと。

昔は、馬は単なる家畜ではなく、大事にされてきていたのだなと思いました。

ここにも書かれていますが、農事や伝馬御用(都内には大伝馬町、小伝馬町という地名にもある)で荷物を運んでくれた馬です。

今なら自動車で簡単に運べますが、昔は馬が頼りです。

私も知らなかったのですが、江戸中期の元禄の頃、街道のあちこちに石仏の馬頭観音が建立されていたそうです。

私も石仏の馬頭観音はよくみかけました。都内の猿江神社にも馬頭観音の石碑がありますよね。

そのようなことも流行り時期があってそれが江戸中期だったのですね。

それが観音信仰と結びついて、観音菩薩を本尊とするお寺や観音堂で、「馬駈け市」というお祭りが行われていたそうです。

この看板には、観音様の縁日である三月十五日となっています。

観音様のご縁日は、18日だと思うのですが、お祭りは、3月15日なのですね。

五色の布を胴に巻いた飾り馬がお寺や観音堂を駆け巡っていたのですね。

中には、この1年に嫁いできた花嫁がお参りする習俗もあったそうで、「花嫁市」とも呼ばれていたそうです。

馬駈け市があったからこそ、奉納された絵馬ということですね。


武蔵野三十三観音霊場だけでなく多摩四国八十八ヶ所も

観音様も、馬駈け市の大きな絵馬も扉が閉まっていて見えないのでした。

いつもの御開帳だったら見ることができたのでしょうか。

令和2年の御開帳は、いろいろな面で例外となった年として覚えられそうです。

こちらの観音堂の向かって左には、南無大師遍照金剛と書かれていて、弘法大師だなと思ったら、如意輪寺は多摩四国八十八ヶ所の第35番札所になっていたことがわかりました。

 



こちらは、納経所の方向から観音堂をみた写真です。

観音堂は歴史を物語る古さがありますが、お庭はとてもきれいです。


霊場でよくみる小坊主が指し示す方向に納経所があります。

観音堂に行けばすぐにわかります。


こちらは、納経所の前にあった石碑です。不動明王でしょうか。下の台座には弘法大師と書かれています。

「天保」と書いてあるのが見えますが、ほかがよくみえません。


『御朱印でめぐる東京のお寺』にも掲載

納経所にもありますが、「御朱印でめぐる東京のお寺」に如意輪寺が載っています。

その後ろにあるのは、年賀の絵でしょうか。きれいですね。

 


納経を済ませて、次の札所5番へと歩いていきました。

如意輪寺の近くの大通りに、交通安全を祈願する「住吉地蔵」というお地蔵様がいらっしゃいました。

如意輪寺とは関係ないですが、こういうお地蔵様を見たりしながら歩くことができるのが、歩き巡礼のいいところです。確かに歩き疲れますけどね。