今回の巡礼の旅は途中まではバスに乗って、バス停からスタートの巡礼旅です。

そのように書くと、バスから数分と思うことでしょう。

バス停からはほぼ1時間の道のりでした(書籍などには、50分歩くとなっていますが、観音堂まで距離がある)。

国道からは法性寺へ行く道が3本ほどあるようなのですが、私は一番長い道のり、約1時間歩いていく松井田バス停からの道を通りました。

秋海棠の咲く頃に行ったのですが、秋の日差しは思ったよりも強くて、ペットボトル2本持っていったのにお寺に着くまでに2本ともカラになる寸前の暑さでした。

そのため、予定していたお船観音への山登りも途中で喉が乾いてしまい断念したのです。

お船観音へは途中まで登ったのですが、飲水の不安があったので、やはり降りようと決心しました。

降りてきた時に境内に水道の蛇口を発見してそこで水を飲ませていただきました。

熱中症の危険もありますから、飲水は確保しておきたいですね。

立秋を過ぎても暑い日々は続きます。


法性寺へのアクセスは松井田バス停から徒歩で

私は松井田のバス停を使って歩いたのですが、秩父鉄道のハイキングコースを見たら、三島バス停から歩く、となっていて、そちらのほうが距離が短いようでした。

今度行く時は、そちらを使ってみようと思っています。なんせ暑い日の1時間の歩きでしたから。

松井田バス停から降りて最初のうちは余裕がありました。

温泉いいな。秩父、西谷津の湯というのか。宮本荘は宮本の湯として知られているのかなと。

景色を眺めて歩く余裕がありました。



そのお向かいには、二百年の民家屋敷として、宮本家です。

宮本の湯は、宮本家がやっていたのかしら。

 



まだまだ余裕があった頃。

お稲荷さんの祠です。



松井田バス停からひたすら歩いてきましたら、「札所32番一周コース」というものがありました。

松井田バス停を指しているのも見えますよね。そちらから歩いて来たわけです。

たしかにウォーキングにいいかも。

これをみると、札所32番、法性寺まであと、1.4kmあることがわかりました。

般若の丘公園までは1.3kmですね。

ここが一周コースの中間地点のようでした。

帰りに日本武神社に立ち寄ろうと思ったのですが、帰りに道を間違えてしまい立ち寄っていません(泣)


七辺廻りのお堂(跡)を通って

歩き巡礼は、いろいろと見てしまうので、時間がかかります。

車での巡礼だったら通りすぎてしまっていたでしょう。

またもや祠を見つけました。「巡礼道」の札がかかっていました。



説明の紙が貼っていました。ここは小鹿野町般若地区ですね。

七辺廻りの堂だそうです。

金網で読めない部分がありますが、少し引用します。『秩父路物語』堀口喜太郎著。

「長若村(現在、小鹿野町)般若の中ほどに天狗を祀った天狗山があるが、その山すそに昔大きな寺があって明治まで寺子屋、大正期は小学校になっていた。その前の道の端に七辺廻りの堂と堂から呼び伝えのお堂があった。

堂内に金銅仏が一体安置されて像の裏側に「しちへんめぐってどうのなか」と仮名文字で刻まれていたことから七辺廻りの堂の呼称になったという。

先住民は堂のめぐりを七辺廻れば自然に堂の中に入れる仕掛だという意だと解して、右廻りにまた左廻りにためしてみたが、何のこともないので、なぞの堂とされて永い年月が経った。

あたりの柿の実が赤く色づいた秋の夕暮れ、一人の旅巡礼が通りかかった。堂内をのぞきこむと人気がないのをさいわい、一夜の宿にと入りこんで荷物をおろし、来がけにもらってきたとうもろこし」

字が読めない部分がありますが、どうやら仏像の頭を捻ってみたら、大判小判ザックザクという昔話のようです。

そういえば、このそばの大日峠は、小判沢というところがあります。

大判小判も出たのかも。


800m先にシュウカイドウの見頃の場所(法性寺の手前に)

秋海棠の時期ぴったりに来たようです。「見頃」となっていました。

私はてっきり法性寺の真ん前にシュウカイドウの群生地があるのかと思ったら、距離は離れていました。

もっとも松井田のバス停からみれば、目と鼻の先というくらい距離ですが。

ということで、ここに書かれた800メートルは、お寺までの距離ではなく、あくまでもシュウカイドウがまとまっている場所までの距離です。

それでもゴールまで見えてきたようなものです。


札所32番の立て札を見つけ、あと少しかと思った場所です。

ムクゲの花かな。



こちらは、サルスベリとムクゲの花ですね。


秩父大神社と法性寺の間にシュウカイドウの自生地あり

川沿いに広場にようになっていて、大きな鳥居がありました。

秩父大神社だそうです。

以前に聖天様を祀っていたのが、神社になって名前が変わったのだとか。

法性寺とこの秩父大神社の中間地点くらいにシュウカイドウの群生地がありました。

この秩父札所三十二番法性寺の石碑のすぐ先が群生地です。

 



杉木立のすぐ下、道路沿いにありました。
ほんのちょっぴりピンク色にみえますよね。

以前に鹿に全部食べられたとかで、金網が張ってありました。

それまでは道路沿いにシュウカイドウが見られたそうです。


馬頭観音の石碑の先にみえます。


金網がありますが、群生地を観ることができます。

 


鹿に食べられてしまうことを防止するのでしょうが、人間が入って採ったりするのを防止できますね。

網があることで、そばに立ち入ることはできません。



しかし、シュウカイドウのお花を楽しむことは十分にできますよ。

まとまって咲いているのを始めてみたので、おおっと思いました。

少数がまとまっている程度なら見たことあっても、これほどの数はなかったのです。



こんなにまとまって、しかも杉木立の下という、いわば自然の場所に咲いているのは見たことがありませんでした。

お寺の庭にほんの少しだけ咲いているのを見たことがある程度でしたから。


巡礼が目的なので、秋海棠を楽しむのは、帰りにもう一度ということで、ある程度見てから先を急ぎました。

 


法性寺は山門も特徴的

暑い中を歩き、やっと到着です。

山門のすぐ下に鐘が見えました。

打つことはできるのかな?上に梵鐘があって山門の両脇には仁王様が祀られています。

かなり珍しいタイプの山門です。

しかし、ここで到着、お疲れ様でした、とは行きません。山門からも歩きます。



三十番、三十一番とみてきた同じような石碑、三十二番目の石碑がどんと置いてあります。

お船観音と書いてありますね。

その隣は、般若山法性寺です。

山門の額は最初読めなかったのですが、般若山と書いてあるのですね。

札所4番金昌寺のような大わらじではありませんが、山門にわらじがかかっていました。



先程も書いたように、まだ石段です。

到着だとよろこんでいると、この石段が待っています。

とはいえ、納経所も近いです。さあ頑張って登っていきましょう。



石段のところには、お地蔵様や石灯籠がありました。

この石灯籠は、東京の増上寺にあったものだそうです。なぜここに置くようになったのだろう。

回りは苔むして味わいがあります。



石段を登るときには気が付かなかったのですが、シュウカイドウがここにも咲いていました。

それと、紅いのは、萩の花かな。

 



シュウカイドウをアップで写真を撮りました。

可憐な花です。

そういえば、ここ法性寺は東国花の寺でもあります。

私は東国花の寺の御朱印も集めているので、そちらもいただく予定です。


納経所や本堂のさらに奥に観音堂あり

支払いは向かいの納経所でお願いします」とあるように、道をはさんで片側にこのような売店らしき場所がありまして、道をはさんだお向かいが納経所です。

秩父観音霊場でよくみかけたあの観音様のマークは「南無ちゃん」ということをここで始めて知りました。

お船観音様の写真や大日如来の写真も売っていました。

苦を抜く「櫟(くぬぎ)箸」が売っていましたよ。


巡礼歌となっていました。御詠歌とは違うのかな。



こちらが法性寺の本堂です。東国花の寺では、「薬師如来」となっていましたので、ご本尊は薬師如来なのでしょう。

秩父三十四箇所観音霊場としては、聖観世音菩薩ですが。

般若山と額に書く代わりに般若のお面でしょうか。

ここでお参りを終わらせる人がいるからなのか、観音堂は七十米先と書いてあります。

さらに70メートル歩くことになるという。

 



長享二年秩父札所番付の案内板が本堂の前に

実物は見ていないのですが、これがめちゃくちゃ貴重な文化財です。

埼玉県の有形文化財になっています。

これがあるから秩父札所が長享二年には成立していたことがわかるのです。西暦1488年です。

5月2日の日付だそうです。巻物に表記され「保存状態は非常に良い」と書いてあります。

文献として残っている、ということです。この番付自体は秩父が荒廃した「長尾景春の乱」の約10年後に制作されたものだそうです。

ここから今の番付とは順番が違っていること、後から真福寺(現在の札所2番)が付け加えられ、秩父札所は三十四ヶ所になっていることなどがわかります。そのことで、西国三十三観音と坂東三十三観音を加えて百観音となるわけです。

札所の順番とお寺の名前、ご本尊名(聖観音とか、准胝観音とか)が書かれています。

最初は札所一番は、定林寺だったのです。秩父大宮郷を起点に(秩父神社あたり)巡礼が始まって、三十三番が水潜寺です。旧大宮郷(のちの秩父町)からスタートです。

室町中期の観音堂の位置を追っていけばそれぞれが特徴のある地域にあったことがわかるそうです。

おそらくそれは地元の人々の信仰の拠点だったのではないかと。聖域でもあり、村境でもあったのでしょう。

その後、江戸からの巡礼がしやすいようにと江戸からの道を考えて、番付が変わったのですが、番付が変わったのが江戸時代初期ということです。それだけ江戸からの巡礼が盛んになって無視できなくなったのでしょうね。

 

秩父札所は1234年に成立したと言われてますが、この文書により、室町時代の中期には成立していたことがわかります。

それとともに、番付が変わったこともわかるという貴重な資料です。



観音堂が奥にあることはわかりますが、その手前になにかお堂がありますね。

本堂の近くには、このようなお地蔵様があります。

まだまだ暑い日でしたが、紅葉が少しだけ色づいています。朝晩は冷えているのかな。

秋はもうすぐという感じです。


本堂からさらに奥に観音堂があるので、さらに石段を登ります。

苔むしていて味わいがあります。坂東三十三観音の杉本寺までとはいきませんが。

こちらの石段のまわりはもっと秋海棠の花が多く咲いていました。

先程の群生地並みですね。これくらいの咲き方がいいですね。道端に咲いている程度が風情あります。

観音堂への階段の途中に毘沙門天堂が見えました。

観音様だけでなく毘沙門天もお祀りしていたのですね。


毘沙門天堂と納札所

毘沙門天堂とセットのようにすぐ隣に納札所がありました。

千社札がたくさん貼ってありました。


納め札所には観音様の像がありました。


観音堂に到着

秩父三十四箇所観音霊場ですから、巡礼では観音堂がメインです。

観音堂はどことなく26番岩井堂や30番観音院にも雰囲気が似ています。

山の中腹にあって、後ろに岩肌がそびえ立っています。岩場を背にしています。



よくみると、けっこう斜めになっているところに建っていますね。

舞台造りというのか。宝永4年、1707年の建立だそうです。

白衣観音様かな。石仏がありました。



斜めの土地に合わせて、写真を取ってみました。

ここの観音堂にお祀りされている聖観音菩薩は、お船観音と言われてます。

それはここからさらに奥にある「奥の院」が船の形をした岩にあるからです。



建物の足元を観るのは珍しいです。

よくみるとお堂の下にも秋海棠の花です。

毘沙門天堂への石段の両脇にあった秋海棠の花よりは少なかったです。

そういえば、お船観音ですが、本堂のあたりからも見えるのだそうですが、私はそれを確認し忘れてしまいました。

まずは、観音堂にてお参りです。




観音堂の裏手には、なぞの地蔵堂のような祠がありました。

それにしても壁のような岩肌がボコボコ穴が空いていますね。

なんだかスカスカした感じに見えます。蜂の巣のようにみえます。

調べてみたら、これは「タフォニ」という風化現象によるものだそうです。

岩石の塩類がしみ出して、結晶化して表面を崩してできた穴なのだそうです。



お地蔵様と石仏、石の仏塔のようなもの(供養塔群)です。

よくみると、中央のお地蔵様は水子供養のお地蔵様なのかな。足元に赤ん坊がいます。

ここは他界に通じる場だといわれていました。



最初見た時、カーテンのような布で気が付かなかったのですが、石仏が後ろに何体かありますね。

けっこう小さめです。



供養塔というのか、いくつかありました。

昔はお墓がわりにしていたのかも。

それにしてもこのハニカムと言われるような穴は気になります。

長い年月でこうなったのか。



観音堂に上がって回りをぐるりと見渡すと、さらに奥へと続く石段が見えました。

これがうわさの奥の院への道、お船観音や大日如来がいらっしゃるところへ続く道なのでしょう。



御詠歌だと思うのですが、その額に波打つところに立つ観音様が船に乗っていらっしゃいます。

なんだか後光がさしていて、太陽のように見えます。

奉納品も多いですね。

お賽銭は箱ではなく、隙間からいれるようでした。



大きな岩の上にお地蔵様が立っています。

そちらのほうに行ってみることにしました。

お船観音までは遠いのか。


奥の院へは岩と岩の間を通る

大きな岩と岩の間を通って奥の院へ行きます。

こちらには、いくつか板碑がありました。

観音堂と奥の院を指し示す案内板の下に、大日如来と書いてある御朱印らしきものが貼っていました。

 



奥の院の大日如来のところまで登った人だけに拝受される御朱印です。

そういえば、注意書きがいくつか書いてあって、帽子は風で吹き飛ばされないようにとか書いてありました。

どの書籍を見ても体力と気力を要する場所のようです。



思ったよりも狭く細い道です。大きな岩と岩の間を通り抜けます。

とりあえず、行けるところまで行ってみることにしました。



この写真で、狭いところを通り抜けて、奥の院へ向かうことがわかるかと思います。

 



その先も、石段になっているから、かろうじて道だとわかる程度です。

思ったよりも草がぼうぼうです。



場所によっては草が多すぎて避けながら歩きます。

軍手がほしいくらいです。蜘蛛の巣もあって、私が行った時期は奥の院まで行く人がいなかったのか。

 



しばらく行くと草をよけなくてもいいような道になりましたが、今度は木の根っこがたくさんです。

これだけゴツゴツしていますから、トレッキングシューズでないと無理なことがわかるかと。

スニーカーでは厳しいかも。



だんだん登山っぽくなってきました。

木の根を回り込んで登っていきます。

 


大日如来の御朱印はいただけず戻ることに

ハイキングコースのような整備されたところではなく斜めになっています。

滑り落ちないように気をつけて通ります。

しかし、私はこの先あたりでギブアップしました。

これだけ木陰になっていますが、それでも登ること自体が汗をかきます。

すでに飲水のペットボトルが心もとない量になっていました。

上のほうで引き返すことが難しい場所まで来て、喉が乾いてしまって熱中症になったら大変だと思いました。

ペットボトルも2本あったのですが、それでも法性寺までの約1時間の道のりですでに飲んでしまっていました。

 


ふとお船観音のところまで、まだまだだろうなと、マップを見た時のスクショです。

まだまだですよね。それでも本堂とお船観音との中間くらいまでは来ていたようでした。

それでも奥の院の大日如来のところまでは遠いです。

ここまで行って、「飲み水がほしい」となっても困ります。

 



引き返す道ですが、視点が変わるとまた新たな発見があります。

如意輪観音らしき石仏です。


こちらも行きには気が付かなかったのですが、これほどまで苔むしていた石があったとは。

まわりは木々や草の緑で覆われていました。

 



一見すると真夏の光景なのですが、よくみるとところどころ、葉っぱが色づいていまして、秋が来ていることがわかります。

喉が乾いていたので、ペットボトルに水道水をいただけないかと聞いてみようと思いましたら、この先に水道の蛇口が見えました。蛇口を見た時は、砂漠で水を発見!のような気持ちでした。

奥の院まで行った人たちが手を洗ったりすることができるようでした。

私はありがたく、ペットボトルに水を詰めまして、とりあえず飲水を確保しました。

それにしてもここまで歩いて来た時に、途中で自動販売機を見なかったのですよね。

もっとバス停に近いところならあったのかもしれませんが。

 


私は東国花の寺の御朱印と、秩父観音霊場の御朱印といただきました。

残念ながら、大日如来の御朱印はいただけず。

それにしても奥の院までの道が草ぼうぼうで、蜘蛛の巣もあったので、今の時期は奥の院まで行く人はいないのか、住職と奥さまに聞いてみました。

奥様いわく、ゴールデンウィークの頃は、けっこう家族連れの人も行ってましたよ、とのことでした。

今も行く人は行くという感じでしたが、やはり体力がないと無理ということでした。

意外と小学生くらいがスイスイ登るみたいです。

私くらい年を取るとへっぴり腰になってかえって危ないのでしょう。

次回は飲水を確保して行ってみたいな。



山門に着いた時、さらに石段を登るのかとおもったのですが、こうやって帰り道、視点が変わると光景が違って見えます。

遠くに見える山々は、夏の光景に思えます。緑が濃いですが、秋が来て冬が来るとこの光景も変わってしまうのかな。

それと白い芙蓉の花があったのに行きには気が付いていなかったです。


仁王門修理の奉納金として仁王様の手形を

納経所で見ていたのに、忘れてしまったので、山門の仁王様のところにあった「仁王の手形」をいただくことにしました。

一口千円です。

仁王の寺と書いてあって、仁王様の手形がいただけます。

 



奉納金は袋に入れる、とのことなので、袋に入れて奉納箱に納めました。

私の出したお金も修理に使われることになります。お願いごとも書けるようになっていました。

仁王門の修理はいつ完成するのでしょうね。



帰り道は視点が違うとこれまた発見があるということで、来る時にシュウカイドウの群生地を通った時にまったく気が付かなかった建物と門です。

秩父願い石巡礼の石は和銅黒谷の聖神社で買ったことがありますが、ここ法性寺でも扱っていたとは。

長瀞付近の神社だけかと思っていました。

拈華門ということで、「拈華微笑」の拈華の文字です。

拈華とは調べてみたら「花をひねる」という意味だそうです。

お釈迦様が言葉にしないで、花をひねって取ったそうです。それを弟子のひとりが悟って微笑んだということから来ています。

指先でひねることということから、花を摘むという意味でしょうか。拈華門はこの秋海棠の花にちなんだ門の名前だろうと思いました。

ここから秋海棠の花を管理して秋海棠を保護している人は入れるようになっていました。

鹿が花を食べてしまうことのないように管理しているのでしょう。

(後で調べたら、管理する人だけでなく花をそばで見たい人は入れるそうですが、必ず、鍵をかけてから帰るように、とのことでした。ひとりの不注意で、花がなくなってしまうのは避けたいですものね)。

 



このように金網は張られています。

約10万株もあった秋海棠の花が半分が無くなってしまったというのですから。

私の目からは十分に多いのですが、これでも例年ならもっと多かったのでしょうね。


半分になってしまったといいますが、これでも地元の方々が頑張って戻していただいたほうだと思います。

とはいえ、元の姿を見ていないからなんとも言えませんが。

山のかなり上のほうまで、秋海棠の花はありました。



たしかにこれをみると門の中に入って写真を撮りたくなりますね。

そばでも見たいし。

山側からの眺めもみたいし。



秋海棠はけっこう長い期間、お花を楽しめるようで、9月始め頃から下旬近くまで咲いているそうです。

暑いと8月下旬から9月中旬くらいまでとなるようで、9月に入ったら早めに行くといいかと思います。

 


工夫すれば、スマホ写真程度なら、秋海棠の花を写すことはできますよ。

わざわざ拈華門に入らなくても。

 



こんなに上のほうまで、咲いているのですよ。

 



これをみると、10万株はなくても5万株はあることがわかります。

かなり広い範囲にありますから。



秋海棠の花のそばに、季節外れの紫陽花の花がありました。

こういう紫陽花をガクアジサイというのかな。

東国花の寺のそばですから、お花もいろいろありますね。



花らしきものはほとんど開いてないですが、紫色がきれいです。


それにしても法性寺の奥の院に行けなかったことが残念でした。

飲水をそれほど必要としない時期に行くべきか。別ルートで、1時間歩かなくてもいいようにするか。

考えないといけませんね。ペットボトルを4本くらい持つとなると、今度は奥の院の山に登れなくなりそうです。