札所三番の常泉寺を過ぎまして、四番の金昌寺を目指します。

歩き巡礼ですので、主に歩くのは江戸巡礼古道です。

次の金昌寺は、ぜひとも時間を十分にとっていただきたいお寺になります。

余裕をもって見ておかないといけませんね。


約1300体の石仏群と子育て観音の金昌寺

徒歩の人は、秩父ふるさと歩道橋を使えます。徒歩と自転車のみ可能です。

車で巡礼の人はあっという間でしょうが、景色を眺めながらの歩き巡礼です。

こういう時は、ショートカットしましょう。


いつものとおり、江戸巡礼古道ですので、四番と書いてある石を見つけそれに沿って歩きます。

こちらが、ふるさと歩道となります。

秩父ふるさと歩道橋経由ですと、近道ですね。



四番までの目安となる距離も書いてくれています。

あと600mです。不思議ことに町中を歩いている時は、1キロなんて遠い距離に感じますが、歩き巡礼をしていますと、あと1キロというのは、「近いな」と思ってしまうのです。

これは不思議な感覚ですね。



言われるとおり、自転車はなんとかなりそうですが、歩き巡礼のための橋のようでした。

車は無理ですね。

巡礼道の札がかかっています。

秩父は巡礼の街ですね。こうやって至るところ迷わないでいけるように札がかかっています。



恒持神社の反対側が秩父札所四番です。

その下にも石の道しるべがあります。

秩父札所四番目観音霊場と書いてある石碑も見えました。


四番道の道しるべがあるところで、二股に分かれています。

指し示す方向に金昌寺がありました。


桜の時期なら、いい眺めでしょうね。

金昌寺の屋根が見えてきました。

それとなにやら石仏がみえます。

いくつかのお堂も山を上っていくようにしてありますね。


冒頭で大きな草鞋がある山門の写真を載せましたが、山門に入る手前には、開運稲荷大神です。

神社のようなものでしょうか。

その手前には六地蔵です。

石仏群は埼玉県の指定有形民俗文化財となっています。

秩父札所四番石仏群と書かれた石碑と新木開運稲荷社



新木開運稲荷の由来書きと、開運稲荷の狐です。

この社は伏見稲荷の分社だといわれているそうです。

五穀豊穣、商売繁盛の神様ですね。近隣の農家、商家の信仰を集めていたとのこと。



稲荷社で参拝を済ませたら、早速、大きなわらじの山門を通って中に入っていきましょう。

山門には仁王様がいらっしゃいましたよ。

山門の上にも石仏がありました。

 



山門の両側に仁王様です。山門というより、仁王門なのかな。


 

山門のところに、奉納されたわらじ(こちらは普通サイズ)が掛かっています。



山門を入ってすぐに手水舎がありました。

添えられた椿がきれいです。

すぐに見えたのが石仏群です。

入口の階段のところからすでにありました。

寒い時期でしたが、紅白の梅がきれいに咲いています。



階段の両側に石仏群です。

これら石仏がずっと続くのです。



階段を上っていったら、手打ちうどんのお店が見えました。

営業しているのでしょうか。

その手前にも石仏です。



石仏は小さめなものばかりではなく、このような大きめのものもありました。

その奥にはひときわ大きい石仏です。

丸い窓から少し見えました。


御本尊は十一面観音様ですが

観音さまのようです。観音立像ですね。

奥の上のほうには、観音堂がみえる場所にあります。



観音さまの下にも石仏が支えていますね。



酒飲み地蔵です。

大きな杯を頭に乗せて、酒樽の上に乗っています。

お酒で失敗してもうこれ以上飲みませんと誓いのためにこのお地蔵様を捧げたとのこと。



それにしても見事な数の石仏です。

これも五百羅漢と言っていいのでしょうか。

実はもっと数があったそうなのですが、現在は、約1300体とのこと。昔は、3000体くらいはあって、寄進されたものだったそうです。

天明3年の大飢饉などの死者の供養にとその時の住職である古仙登嶽和尚が発願してものだそうです。

それ以来、寄進する人も多くでたとのこと。

江戸のみならず、北陸、山陰、山陽を問わず菩提供養のための信者からの寄進だそうです。


亀の子地蔵尊

観音堂の前にも石仏がありまして、お地蔵様の祠があります。



亀の上に乗る亀の子地蔵尊です。

品川寺や寛永寺でも見ましたね。こういう亀の台座、亀趺(きふ)と呼ばれるものです。

荒木丹下と書かれた絵が掲げてありました。秩父札所でよくみる絵です。

「悪人荒木丹下を観音菩薩が娘巡礼に身を変えて、改心させ大善人とならしめた不思議な霊験なり」となっています。



さて、金昌寺の観音堂に着きました。

観音様の前で、お経を読みましょう。

本堂は、唐風の江戸中期の建築と書いてあります。本尊は、十一面観音立像、室町時代、行基の作と言われています。

先程の絵にある荒木丹下とは、この地の怪貧者で、ある日、旅の巡礼に、食を乞いしところ神国の米を仏に供するいわれはないと打ちいためれば娘は「人は神の末なり姿もまた人なるを踏み叩くば神を踏むに同じなり、神は皇親の心を教え、仏は自他平等を説かれたり」とねんごろに説けば、ついに丹下志を改め、自ら入道となり、本尊供養に専心したという縁起があると書いてありました。


金昌寺には奥の院あり

観音堂の隣を見ると、奥の院へと指し示す札がありました。

奥の院も見てみることにしました。



こちらが六角堂、奥の院です。そのまわりにも石仏がありました。

六角堂には、役行者が祀られています。



あとで調べたら、この六角堂の裏側には礫岩層があって、年代が違う蛇紋岩との2つの地層が見られるそうです。

今度また行ってみた時に確認したいと思っています。

さて、また観音堂のほうに戻ります。



行きには気づかなかった写真が見えました。

「荒舩山」と書かれています。


慈母観音でも有名な金昌寺

再度、観音堂前です。

観音堂には十一面観音像がお祀りされていますが、その横には、慈母観音があります。

吉野屋半左衛門が亡くなった妻と子の姿を元に作った観音様を寄進したものです。絵馬も寄進されているそうです。

この慈母観音さま、別名、マリア観音とも。

聖マリアになぞられて名付けられたのでしょう。赤ちゃんを抱いた観音さまです。

台座の蓮には、蛙がいて、それがミカエルという意味を表すとか、隠れキリシタンのためだったのでしょうか。

軒下の欄間の彫刻は、鳳凰です。



あくまでも、御本尊は十一面観音様ですね。

御開帳が待ち遠しいです。



観音堂から山門のほうを眺めてみました。

石仏の一部は苔むしていますね。

一部は紅白の梅の花ですが、桜の木ではないかな。



石仏の説明を書いた石碑に、荒舩清十郎の名前がありました。

衆議院議員だった人です。私は覚えていますよ。おぼろげながら、あれは選挙ポスターだったのかな。運輸大臣でしたよね。秩父の人だったとは。

荒舩清十郎、「舩」が正しい字なのですね。ここ、金昌寺が菩提寺だったのでしょうか。

 



山門の石仏群は、裏側からのほうがよくみえました。

 



山門脇の紅白の梅です。

納経所から写真を撮りました。



金昌寺の納経所は、山門近くにありました。

それにしても見事な数の石仏群で、予備知識がないまま行ってみたので、その数に圧倒されました。

 



さて、次は札所5番へと歩いていきます。

右5番と書かれた道しるべ石です。

その上には、3月8日に予定されていた山田の春祭りのポスターが見えました。しかし、中止になったみたいですね。

秩父は、山に近いですから、雪に覆われることも多いのでしょう。春を待ち望む春まつりも多そうです。

令和2年は残念ながら中止ということです。