札所三番の常泉寺を過ぎまして、四番の金昌寺を目指します。

歩き巡礼ですので、主に歩くのは江戸巡礼古道です。

次の金昌寺は、ぜひとも時間を十分にとっていただきたいお寺になります。

余裕をもって見ておかないといけませんね。


約1300体の石仏群と子育て観音の金昌寺

恒持神社の反対側が秩父札所四番です。

その下にも石の道しるべがあります。

秩父札所四番目観音霊場と書いてある石碑も見えました。


四番道の道しるべがあるところで、二股に分かれています。

指し示す方向に金昌寺がありました。


桜の時期なら、いい眺めでしょうね。

金昌寺の屋根が見えてきました。

それとなにやら石仏がみえます。

いくつかのお堂も山を上っていくようにしてありますね。


冒頭で大きな草鞋がある山門の写真を載せましたが、山門に入る手前には、開運稲荷大神です。

神社のようなものでしょうか。

その手前には六地蔵です。

石仏群は埼玉県の指定有形民俗文化財となっています。

秩父札所四番石仏群と書かれた石碑と新木開運稲荷社



新木開運稲荷の由来書きと、開運稲荷の狐です。

この社は伏見稲荷の分社だといわれているそうです。

五穀豊穣、商売繁盛の神様ですね。近隣の農家、商家の信仰を集めていたとのこと。



新木開運稲荷の由来を再訪時に再度撮りました。


前回よりは、見やすくなったかな。

ここ金昌寺は荒木寺とも呼ばれています。荒木の文字が「新木」と書く場合もあるようです。

それで新木開運稲荷なのでしょう。



狐というよりは犬のように見えるのですが。



稲荷社で参拝を済ませたら、早速、大きなわらじの山門を通って中に入っていきましょう。

山門には仁王様がいらっしゃいましたよ。

山門の上にも石仏がありました。

 



山門の両側に仁王様です。山門というより、仁王門なのかな。


 

山門のところに、奉納されたわらじ(こちらは普通サイズ)が掛かっています。



山門を入ってすぐに手水舎がありました。

添えられた椿がきれいです。

すぐに見えたのが石仏群です。

入口の階段のところからすでにありました。

寒い時期でしたが、紅白の梅がきれいに咲いています。



階段の両側に石仏群です。

これら石仏がずっと続くのです。



階段を上っていったら、手打ちうどんのお店が見えました。

営業しているのでしょうか。

その手前にも石仏です。



うどん屋さんの先に分かれ道になっていて、左に行くと不整合のある岩屋へと続きます。

ここがその分かれ道です。右に行けば、観音堂の方へと続きます。

ぐるりと回まわりますから、左回りでも右回りでも、ここに到着します。


分かれ道で右に行き、右手を見ると観音堂になります。

秋の時の写真です。



その分かれ道に行く手前には、酒呑み地蔵や、覆屋に入っている石仏などがあります。

1319体あるという石仏の数に含まれているのかどうか。

その奥にはひときわ大きい石仏(十一面観音)です。

丸い窓から少し見えました。


御本尊は十一面観音様ですが

観音さまのようです。観音立像ですね。
丈六十一面観音だそうです。

丈六とは、一丈六尺の意味で、今で言うなら、4メートル80センチです。

台座も含めての高さとなります。

奥の上のほうには、観音堂がみえる場所にあります。



観音さまの下にも石仏が支えていますね。



酒飲み地蔵です。

大きな杯を頭に乗せて、酒樽の上に乗っています。

お酒で失敗してもうこれ以上飲みませんと誓いのためにこのお地蔵様を捧げたとのこと。



秋の再訪時に撮った酒呑み地蔵です。

紅葉に映える酒呑み地蔵です。

酒樽の上に乗っていて、なおかつ、手には一升の徳利。


それにしても見事な数の石仏です。

これも五百羅漢と言っていいのでしょうか。

実はもっと数があったそうなのですが、現在は、約1300体とのこと。昔は、3000体くらいはあって、寄進されたものだったそうです。

天明3年の大飢饉などの死者の供養にとその時の住職である古仙登嶽和尚が発願してものだそうです。

それ以来、寄進する人も多くでたとのこと。

江戸のみならず、北陸、山陰、山陽を問わず菩提供養のための信者からの寄進だそうです。


亀の子地蔵尊

観音堂の前にも石仏がありまして、お地蔵様の祠があります。



亀の上に乗る亀の子地蔵尊です。

品川寺や寛永寺でも見ましたね。こういう亀の台座、亀趺(きふ)と呼ばれるものです。

荒木丹下と書かれた絵が掲げてありました。秩父札所でよくみる絵です。

「悪人荒木丹下を観音菩薩が娘巡礼に身を変えて、改心させ大善人とならしめた不思議な霊験なり」となっています。



さて、金昌寺の観音堂に着きました。

観音様の前で、お経を読みましょう。

本堂は、唐風の江戸中期の建築と書いてあります。本尊は、十一面観音立像、室町時代、行基の作と言われています。

紅葉の季節に撮った観音堂です。




先程の絵にある荒木丹下とは、この地の怪貧者で、ある日、旅の巡礼に、食を乞いしところ神国の米を仏に供するいわれはないと打ちいためれば娘は「人は神の末なり姿もまた人なるを踏み叩くば神を踏むに同じなり、神は皇親の心を教え、仏は自他平等を説かれたり」とねんごろに説けば、ついに丹下志を改め、自ら入道となり、本尊供養に専心したという縁起があると書いてありました。


金昌寺には奥の院あり

観音堂の隣を見ると、奥の院へと指し示す札がありました。

奥の院のほうも見てみることにしました。



こちらが六角堂です。そのまわりにも石仏がありました。

六角堂には、役行者が祀られています。

荒木観音はもともとは、山の中にあったそうで、役行者の像があることからも修験道とのつながりが言われています。



六角堂の上のほうにも道があります。



六角堂まで上ると、高いところからの眺めになりますので、秩父市山田の町並みが見えます。
これは秋の時の様子です。

この六角堂のところから下っていくと礫岩層があって、年代が違う蛇紋岩との2つの地層が見られます。

 

 

先程の分かれ道を左に行くと奥の院の岩屋へと続きます。坂道を上がっていきます。


谷間のようになっていて、右手を見ると六角堂が見えます。

盆地と山地の境界にあるからなのでしょうか。山の中のお寺のようにも見えます。

これは秋の再訪時の写真です。



奥の岩屋に到着しました。

 

このすぐ横には、不整合の説明書きがありました。





本来なら同じ地層のはずなのに、蛇紋岩と礫岩層があります。


時間的不連続がみられる地層を「不整合」というのだそうです。

苔が生えているところと、この岩屋のすぐ上の地層が違うのですね。





なんとなく、岩の感じが違っているのがわかるでしょうか。


不整合の岩の周りにも、1319体もあるという石仏があります。

これだけの石仏を集めることができたのも、秩父だけでなく、江戸、さらにはもっと遠方からも篤い信頼を得ていたからだそうです。

この中には、「回向仏」と言われる石仏もあるとのこと。

大名に仕える女中の中には、殿の子どもを身ごもってしまう例もありました。

しかし口外できぬまま、子どもを産めない結末に(お家騒動にまで発展するらしい)。そのようなこの世に産まれなかった子どもの供養のために(現代も水子供養がありますが)回向仏を奉納したそうです。

私は今まで見つけることができていないのですが、1319体の石仏の中には、「○○藩奥女中」と書かれた石仏があるそうです。

秩父札所に巡礼するのは、女性も多かったといいますが、これら堕胎した女中と同じく身ごもったものの経済的理由から子どもを堕ろした経験のある女性もけっこういたと聞きます。

 


霊泉の井の水が滴り落ちています。ここには何度か訪問しましたが、雨の後だと滴り落ちる音がよく聞こえます。


崖の下の横にも石仏はずらっと並んでいました。



慈母観音でも有名な金昌寺



六角堂から下りてきた時に、行きには気づかなかった写真が見えました。

「荒舩山」と書かれています。

再度、観音堂前です。

観音堂には十一面観音像がお祀りされていますが、その横には、石造りの慈母観音があります。

吉野屋半左衛門が亡くなった妻と子の姿を元に作った観音様を寄進したものです。絵馬も寄進されているそうです。

この慈母観音さま、別名、マリア観音とも。

聖マリアになぞられて名付けられたのでしょう。赤ちゃんを抱いた観音さまです。

台座の蓮の裏には、蛙の彫刻があって、それがミカエルという意味を表すという説もあるそうです。隠れキリシタンのためだったのでしょうか。

軒下の欄間の彫刻は、鳳凰です。



建物は江戸中期の建築だそうです。正面舞台造り。柱や垂木は朱塗りです。

 

御本尊は十一面観音様ですね。

御開帳が待ち遠しいです。



観音堂から山門のほうを眺めてみました。

石仏の一部は苔むしていますね。

一部は紅白の梅の花ですが、桜の木ではないかな。



石仏の説明を書いた石碑に、荒舩清十郎の名前がありました。

衆議院議員だった人です。私は覚えていますよ。おぼろげながら、あれは選挙ポスターだったのかな。運輸大臣でしたよね。秩父の人だったとは。

荒舩清十郎、「舩」が正しい字なのですね。ここ、金昌寺が菩提寺だったのでしょうか。

 



山門の石仏群は、裏側からのほうがよくみえました。ただし、写真は中が暗くなっています。

紅葉の季節に再訪した時の山門裏です。

こちらのほうが前回よりは、山門の中の五百羅漢の石仏が見えるでしょうか。

表からみると下に仁王様がいて、上には石仏が安置されている山門です。





山門脇の紅白の梅です。

納経所から写真を撮りました。



金昌寺の納経所は、山門近くにありました。

それにしても見事な数の石仏群で、予備知識がないまま行ってみたので、その数に圧倒されました。

 



さて、次は札所5番へと歩いていきます。

右5番と書かれた道しるべ石です。

その上には、3月8日に予定されていた山田の春祭りのポスターが見えました。しかし、中止になったみたいですね。

秩父は、山に近いですから、雪に覆われることも多いのでしょう。春を待ち望む春まつりも多そうです。

令和2年は残念ながら中止ということです。


春の花が咲いた時の金昌寺

 

上記の記事は、雨が降ったりやんだりの空模様だったり、秋の日の頃だったりと、写真がどれも暗めでしたが、春の日バージョンをアップします。

やはり晴れた日のほうが写真に撮ったものがよく見えますね。

 


4月の下旬、ボタンと藤の頃です。

ボタンはちょうどいい時期でしたが、藤は少し早めでした。もう少し後ならもっと藤の花が見応えあったことでしょう。


丈六十一面観音前の石仏も晴れた日ならきれいに写りますね。

お地蔵様以外は、あぶちゃんをしないでくださいと書かれています。

あぶちゃんとは、お地蔵様にかけてあるよだれかけですね。


きいたところによると、よだれかけをしたままだと、そこに苔がついたり、剥がれずにぺっとりついたままになるみたいですよ。



丈六の十一面観音も晴れた日だと写真にくっきり撮れています。


上記しましたが、左右の分かれ道のところです。

シャガの花も咲いていました。


金昌寺はハイキングコースが裏にあって、「県民の森をへて丸山へ」というのは、芦ヶ久保駅のところから来るハイキングコースのことでしょう。

横瀬町の絶景スポットが丸山だそうです。

芦ヶ久保駅近くの果樹公園を通り、県民の森を経て丸山に登り、丸山展望台を経てから森林学習展示館を通り金昌寺へと続く、丸山・金昌寺コースというのだそうです。


奥の院にある六角堂のまわりの石仏のところは、ツツジが咲いていました。


日当たりが良いところは、かなり咲いていましたが、まだつぼみも多かったです。

藤の花と同じく、もう少し後が良かったみたいです。



晴れた日なので、石仏に書いてある文字も写真に撮ってみたら文字が読めました。



雨や曇の日はどうしても暗くなってしまいます。

武光国と書いてあるように見えるのですが、よくわかりません。その後ろの石仏は、「為二世安楽」かな。


こちらは、赤坂円通寺と書いてあるのがわかります。


手前の石仏の横に、江戸田町と書いてあるように見えます。


これは、芝田町横新町かな。



観音堂の前には、千手観音のような手があって、頭に蛇を載せているような石仏もありました。


秋光童子と読めます。これは回向仏なのでしょうか。

 


山門の上の石仏も今まで、どれも暗く写っていましたが、晴れの日だとわかりやすいです。

西国三十三所観世音の文字が見えます。こちらのツツジも、まだつぼみですね。



山門の上は、五百羅漢だけでなく、西国三十三観音の本尊の石仏も安置されているそうです。



石仏は山門の横のほうにもあったのですね。


やはり晴れた日のほうが写真も明るく撮れていいですね。

ツツジの花もつぼみ多めですが、咲いているものもありました。