武蔵野三十三観音巡りをしているお寺は、行く前は大多数が知らなかったお寺です。

しかし、この円照寺は数少ない行く前から知っていたお寺でした。

とは言うものの、参拝したわけではなく、秩父の札所めぐりの途中で西武線に乗っていたとき、車窓から見えたのです。それもお祭りの日に。

1月14日に弁財天様のお祭りがあって、そのお祭りの準備をしていたのですね。弁財天尊と書かれた赤い旗が数多く立っていて、それを見かけて興味を持ちまして、一体何という名前のお寺だろうと調べたのがきっかけです。

ですから、元加治駅近くに寺院があることは前から知っていました。弁財天様がいらっしゃることも。

円照寺は武蔵野三十三観音だけでなく、関東八十八ヶ所霊場でもあります。

今回、初めて実際に参拝することになりました。

山門は開いていなくて、脇から入りました。円照寺と書いてある立て札のところには、お地蔵様が安置されているお堂もありました。


円照寺は元加治駅から近く北向き不動もあるお寺

平安

山門を入ってすぐのところにお不動様のお堂がありました。「金剛殿」と書かれた額がかけられています。

円照寺の不動堂は入間市の指定文化財にもなっているくらいのお堂です。不動堂の前にあった説明書きによると、

「この不動堂は、棟札によると安永八年(1779)に水田村(現飯能市)の宮大工細田源左衛門栄貞により再建されたものである。細田は、黒須にある春日神社本殿の建築も手がけた記録が残っている」

黒須といえば武蔵野三十三観音の18番札所の蓮華院が黒須観音として知られています。蓮華院の住所は入間市春日町でした。春日神社と関係がある地名なのでしょうか。

さて円照寺の不動堂は正面が北向きになっているので、「北向き不動堂」と呼ばれているそうです。北向き観音ならぬ「北向不動堂」ですね。

間口3間の寄棟造りの建物で、屋根が元は茅葺きで、それを瓦に葺き変えられ、さらには、銅板葺きになったと書いてありました。細田氏が作ってからもいろいろと屋根が変わってきたのですね。

ところどころに見える花鳥の彫刻は江戸時代の建築に見られる特徴だそうです。

中に入っているお不動様は、運慶の作と伝えられています。


加治氏が勧請した弁財天様が祀られている池

円照寺に来たらぜひ写真に収めていただきたいのが、本堂と弁天池(心字池)です。

私が行った時は、心字池には睡蓮の葉が多くありました。

こちらの円照寺は、平安時代初期、弘法大師が巡錫した時、龍燈楼を感じて霊泉を加持してお堂を建立したと伝えられているそうです。

鎌倉時代初期、武蔵七党の丹党(丹治)であった加治一族の菩提寺として、円照上人が弁財天を勧請し諸堂を整備して開山とされたといわれています。

円照寺に残された縁起によると「加治豊後守家重が二俣川の戦いで戦死した父家季の菩提を弔うために円照上人を開山として建立したとされ、以後加治氏歴代の菩提寺となり、一族の供養板碑が残されている」そうです。

丹党といえば、秩父の札所めぐりで、20番の岩之上堂から次の札所に行く途中で板碑を見かけたことがありました。

円照寺は加治家と盛衰を共にしたとのこと。

その後三浦氏の助力で朝弘が中興開山となったそうです。「寺領は拡大され徳川幕府より御朱印拾五石を賜ったものの、明治初年に寺領を奉還した」とのことでした。



円照寺には有名人が書いた絵馬もあるお寺

真ん中を通って歩いていくと本堂に当たります。本堂の柱に関東八十八ヶ所霊場という札がかかっていました。

その本堂の前に回向柱が立っていました。武蔵野三十三観音としての御本尊は、如意輪観音です。

回向柱にも「奉開帳如意輪観世音菩薩令十方群類結縁者也」と書いてあってあるので如意輪観音様だとわかりますね。

柱には回向文も見えます。「願以此功徳 普及於一切 我等与衆生 皆共成仏道」ですね。「願わくばこの功徳をもって」というあの回向文です。

円照寺の御本尊としては、加治氏の守り本尊である阿弥陀三尊が安置されています。

本堂は昭和38年に改築されています。後で調べたら、円照寺は高麗坂東三十三観音霊場でもあるそうです。

入間市のホームページには、「本堂内には各界名士染筆寄進の絵馬が奉納されている」と書いてあったのですが、残念ながら、本堂に入れなかったので、絵馬は見ていません。

武蔵野七福神の説明書きには、「現代の一流芸術家や各界の名士が書いた500点ほどの絵馬が奉納されている」とのことで、「絵馬寺」としても有名だそうですよ。

絵馬の奉納は昭和28年にあった弁財天御開帳の時から始まっているそうなのです。棟方志功など多くの有名人がずっと奉納され続けていたわけですから、いずれ千点くらいいくのではないでしょうか。

 



心字池の中央には厳島から加治氏が勧請した弁財天尊が安置されています。

真ん中にあるのが弁財天のお堂です。


心字池では、鯉が悠々と泳いでいました。睡蓮のほかに生えている草は何でしょうか。

中央の橋で池は両側に分かれていました。

奥に見えるのが鐘撞堂で、梵鐘がかかっているのがみえます。

左側にかすかにみえるのが寺務所です。



いろいろな角度から池の写真を撮りましたが、心の字になっているのか?

弁財天様は、武蔵野七福神としても知られています。

6月だったので、睡蓮の時期の始まりの頃だと思います。ところどころ睡蓮の花(つぼみ)が見えます。

 

円照寺に保存の板碑は国の重要文化財に指定

入間市のホームページによると、

ここには加治氏累代の供養板碑が残されている。なかでも道峯禅門(どうほうぜんもん)(加治家貞)の銘が見える供養板碑は、第14代執権だった北条高時が新田義貞の攻撃により東勝寺において自刃し、鎌倉幕府が滅亡した日である元弘三年(1333)5月22日の紀年銘がある貴重なもので、幕府方についた家貞もこの日に鎌倉で死亡したものと思われる。

石燈籠の後ろに見えた石が板碑だったのでしょうか。

それにしては、国の重要文化財を置いておくかなと思ったのです。

写真は見まして、「元弘三年」刻まれた板碑の写真はありました。「胎蔵界大日三尊種子板碑」と言われ、胎蔵界の大日如来の梵字(アーンク)が刻まれています。蓮華に乗っていました。梵字一字でわかるようになっているのですね。

三尊とあるように、あとは脇侍に明王のウーンとキリークが刻まれています。


板碑の説明書きがある場所から見えた弁財天様のお堂です。

心字池と言われるくらいですから、心の字のような形の池なのでしょう。

手前の石燈籠にも梵字が書かれていますね。

小さめの観音様と弘法大師様でしょうか。石の祠のところに立っています。

円照寺のような国の重要文化財があるくらいのお寺になると、けっこうそれ以外も古いものが置いてあるのですよね。



関東八十八ヶ所霊場だからなのか、梵鐘の脇には、弘法大師の大師堂がありました。

他にも石仏がいくつか安置されていました。


入り口近くから寺務所と、鐘撞堂と大師堂を写してみました。

ここには写っていませんが、この左側に弁天池(心字池)があって、その先に本堂があります。

本堂の右手が寺務所になります。

絵馬が見れなかったことと、如意輪観音様にお会いできなかったのが残念です。

しかし、今度は1月14日の弁天様のお祭りに来たいなと思いました。冬は冬で木々の緑がなく、睡蓮もないのでしょうが、それだけに弁天様のお堂が目立つのかもしれないなと。

元加治駅からも近いので多くの人がお祭りには来るでしょう。元加治という駅名も「加治氏」ゆかりなのかなと思いました。

加治氏の菩提寺だった円照寺は国の重要文化財もあるくらいのお寺ですから歴史ある寺院といえるでしょう。