前回の札所16番である慈眼寺を先に行っていたと思っていたのですが、よく考えたら、こちらの17番の徳林寺を先に行っていたことを思い出しました。

こちらの徳林寺は、狭山市駅からも近くて歩いて行ける範囲です。

東京都内はもちろんのこと、札所の番号が最初になるほど、駅から近かったり、交通が不便なところにあるというわけではなく、住宅地の中を歩いていく感じになります。

それが徐々に変わっていくのです。

さて、徳林寺ですが狭山市駅から歩いて先にお寺のほうに行きましたが、観音堂は別のところにあります。

しかし、先に御朱印はこちらでいただくようになっていました。

入り口の寺標となる石碑にも「武蔵野観音霊場第十七番札所」と書かれています。

古刹らしい重厚な山門には「福聚山」の文字




この石碑が山門に向かって右側にありまして、左側には大きめの交通安全祈願のお地蔵様とその後ろ側には六地蔵がありました。比較的新しい感じのするお地蔵様に対して、この古びた山門が貴重です。

かなり味わいのある山門です(最初、この写真が見当たらくなるなりましたが、見つけたので追加しました)。

山門の屋根がぐぐっと反り返ってすごいですね。

狭山市駅から歩いてきて、実際に、この楼門を見ただけでも、すごい!と感じてしまいますよ。

 

狭山市の古刹として名高い徳林寺

山門を裏側から見るとこのような重厚な造りであることがわかります。

組木になっていて、このような古い山門を持つお寺が駅からそれほど離れていない住宅地にあるのです。

京都や奈良なら、わかるのですが埼玉県の町のお寺としてあるのですよ。


穴の開いた石を奉納する徳林寺の地蔵堂

狭山市駅の近くにこれほどまで歴史あるお寺があったとはと思うほど、重厚な作りの山門から入っていきました。

すぐに目に止まったのが、お地蔵様のお堂です。入って左手にありました。

灯籠にもお地蔵様が彫られていますね。手前には子どもの顔のお地蔵様もあります。

六角形のお堂なので、すぐにわかりますよ。六角堂と呼ぶのかな。木造のしっかりした造りです。

中には、延命地蔵尊が安置されています。耳地蔵尊と呼ばれてきているそうです。

狭山市のホームページによると、耳地蔵といわれるようになったのは、「入間川で穴あき石を拾い、糸を通して願掛けをしたところ、耳が聞こえるようになったと伝えられ」ているそうです。



ユニークなことにこちらの耳地蔵尊ですが、周りに針金に通った石が巻きつけられています。

鍵のような石もあれば、丸い石、ゴツゴツした石、いろいろです。

その手前にも小石がゴロゴロしています。

なぜかと思ったら、こちらの耳地蔵尊に穴の開いた石を2つ結んで奉納すると願いが叶うといわれているからです。

耳が聞こえるようになってから、お願いごとを聞いてくれるお地蔵様になったのでしょう。

婚活成就祈願、子宝祈願などあれば石に針金を通して奉納するといいかもしれませんよ。

もしかしたら、下に置いてある石は探しに行く手間を省くために穴の開いた石を見つけた人が置いてくれてあるのかなと思いました。

狭山市のホームページを見ていたら、この伝説についても書いてあるのを見つけました。「成円地蔵」という名前も知ることができました。

そこには言い伝えが書いてありました。耳の聞こえない娘のためにお地蔵様にお願いに行った夫婦の話です。

満願の日に娘の耳が聞こえるようになったことを知ったのですが、貧しくてお礼にさえ事欠く状態です。そこで川原で拾った珍しい石をお地蔵様のそばにつるしたのです。

 

このことがたいへん評判となり、お地蔵さんに願をかけるときは、穴のあいた石に糸をとおしてつるすようになったということです。これは人間の一心が岩をもつらぬくということから行われるようになったともいわれ、今も、穴あき石がたくさんお堂の前にぶらさがっています。

とにかくお願いごとがある人は、ぜひ、ここにお参りを。

私としては、この六角形の形といい、古びたお堂がいいなと見ていました。


先に納経所へその後観音堂や不動堂へ

先ほども書いたのですが、こちらの徳林寺では先に納経所に立ち寄りますよ。

何度も行き来することのないように、という心遣いでしょう。

中には、お参りを済ませてから納経所に、という寺院もありますからね。

このように書いてくれているとありがたいです。

ここの石にも書いてあるように、本堂とは別の場所にあるのは観音堂だけでなく不動明王のいらっしゃる不動堂も一緒です。


山門の真正面には再建された本堂

私が行った頃は、本堂の上まで上れないようになっていましたが、こちらの本堂を少し見ておくといいですよ。本格的なお参りは、観音堂で行いますが。

本堂の下のほうからでも拝むことくらいはできますからね。お寺の御本尊は、釈迦三尊となっていました。

徳林寺と書かれた額が見えます。

狭山市のホームページを見たら「寺宝の絹本着色釈迦涅槃図・絹本着色釈迦八相図は、市指定文化財です」と書かれていました。

「新田義貞、足利基氏らの滞陣の跡であるとの伝承もあります」ということも書かれていました。

開創の時期がはっきりしないそうなのですが、おそらく1504年から1530年頃だろうということです。


鐘撞堂の周りにも石仏があり

梵鐘の周りにも古びた感じの石仏があります。

徳林寺はなぜか、石仏やお地蔵様が多いのです。

 



その隣には、珍しいものがありました。

全国の名高いトンネル工事の奇石「貫通石」です。

よくぞこれだけ集めたと思うほどたくさん並んでいます。

どこかの化石館や博物館みたいです。

お寺に奉納された石なのですが、昔はいろいろなモノがお寺に奉納されていましたよね。

算額なんて、今でいえば答案用紙みたいなものです。和算の解き方などが書いてあるものがお寺に奉納されています。

それを思うと今は奉納されるものもパターンが決まっているような気がするのです。

そう思うと、こういう珍しい石を奉納するのもひとつの手です。多くの人に見てもらえます。

それにしても石だけを集めるもの大変だろうに、それをひとつひとつ見やすいようにケースに入れてあるのもすごいことだなと思いました。

 



奥には薬師堂もありました。

薬師如来様と、日光菩薩、月光菩薩です。

今は、薬師如来様のお力をいただく時ですね。

自由に見せていただいて感謝です。


いつもの小坊主が指し示していますからわかりますが、納経所はこちらになります。

味わいある寺務所です。納経所と書かれた木の板もかっこいいです。

他の方のブログにも書いてありましたが、徳林寺の住職の対応は優しさがあります。

 



徳林寺の境内には、このように至るところに石仏がありますよ。

それも年代を経てきたようなものから、最近造られたと思われるものまでいろいろです。

納経が済みましたので、矢印の観音堂のほうへと行きまして、観音様にお会いします。



本堂の脇には、もっとわかりやすい地図が石に刻まれていました。

現在地から歩いて3分とのことです。

行ってみるとわかりますが、まさに、この地図の通りの配置です。

不動堂があって、観音堂がありまして、石の階段を登っていきます。

広い通りから石材店のところを曲がります。


観音堂と不動堂に到着

向かって右側には「徳林寺鎮護」と上に書かれて「福徳院大聖不動明王尊」と書いてある石碑が、左側には、「武蔵野十七番」と上に書かれ「狭山福寿聖観世音菩薩」となっていますね。

まずは、この階段を登ります。階段で登るのが難儀だというほどでもない高さです。

 



階段の途中にも石の祠や石仏、石碑など置いてありました。



私の目的は、観音様ですので、先に観音堂へ行きます。

この大きな観音様が後ろで守っている観音堂です。

回向柱も立っていました。ただし、大きな観音様の邪魔にならないようにか、脇からつながっています。

回向柱には「武蔵野観音霊場開創八十周年記念総開帳圓満成就祈修塔」となっていました。



お堂の前には立派な龍の彫刻が見えます。

武蔵野第十七番札所と、狭山福寿観音菩薩と書いてあります。

 



ガラス越しですが、いつでも観音様とお会いできるようになっていました。

ここの観音堂にしろ、不動堂にしろ、祈りの場を提供しているように感じました。

後で調べたら、先に不動堂があって、その後に観音堂と大観音を建立するようになったとのことでした。

たしかに、大観音像は新しく、お堂も新築っぽい感じがしました。



こちらが隣の福徳院の不動明王です。福徳院不動尊と提灯に書かれていました。

埼玉県にある普通のお寺というたたずまいです。それから比べると、徳林寺のほうは、すでに山門から年代を感じますし、六角堂も古びた良さがあります。

こちらの不動堂では、不動明王の真言を唱えました。

福徳院不動尊は狭山では綿貫家という長者さまがいて、綿貫家代々の守本尊として祀られていたそうです。

特に、二代目孫兵衛が不動明王を篤く信仰していて、成田山に寄進をしていたそうです。

成田山新勝寺は彼の篤信に感銘を受け、大護摩を厳修してその浄灰をもって不動明王の尊像を謹製し、開眼の上、綿貫家に授与したと伝えられています。

その後、本尊は明治8年徳林寺に17世賢光師が在住の時に寺へ寄贈され、明治30年には入間郡柏原村の小山保が所有していた御堂が寄進されることになり、諸信者の協賛を得て現在の場所に移転されました。

それを現在は、徳林寺が管理しているのでしょう。

狭山三十三観音でも、いくつかは無住のお寺になっていますが、別のお寺でそのお寺の御朱印とともにいただける場合があります。無住ですから現在は建物だけで(場合によっては石碑だけとなっているところも)誰もいないわけです。

御朱印なども縁があるお寺が管理することを託されるのかもしれませんね。



 

お堂とは別の場所に、観音様がずらりと並んでいました。

七観音の違いがわかるなと思いました。

馬頭観音、千手観音、聖観音、如意輪観音、准胝観音、不空羂索観音、十一面観音です。

六道の世界をサポートしてくれる六観音といわれますが、准胝観音もしくは、不空羂索観音といわれて、六観音となるのですね。

こちらに置かれているのは、六観音ではなく、両方安置されているので、七観音になっていました。



不動堂の前には綿貫家の東西碑と呼ばれる石が置かれていました。しかし文字はよく読めませんでした。

長者様だった綿貫家は徳林寺に不動明王像を寄贈したりしているので縁が深かったのでしょう。

現在、不動堂を管理しているのは徳林寺なのでしょうね。そういえば、徳林寺には、板碑もいくつか所有しているようでした。