狭山市駅から徳林寺に行き、観音堂にたちより、その途中では八幡神社にも少し参拝して、慈眼寺へと歩きました。

今度は、入間市に入っていきました。
バスが使えるのかもしれませんが、歩き巡礼なので、とにかく歩いて行きました。

到着したのが蓮華院です。狭山市方面からだとかなり歩きましたが、入間市駅からは歩いて15分から20分くらいで着きます。

歴史ある文化財が多い蓮華院は入間市の中心的お寺

参道からまっすぐ先にあるのが観音堂です。気持ちがいいくらいまっすぐです。蓮華院の住所は入間市春日町2丁目なのですが、近くの地名が「黒須」となっています。

古くからある地名のようです。蓮華院の観音様は千手観音なのですが、別名が、黒須観音とも呼ばれています。

参道の左右に石燈籠が立っている中をずんずん入っていきます。

実は慈眼寺から歩きだったので、脇のほうから入ったのですが、とりあえずこのように正面から入り直ししました。

何度も思うのですが、埼玉県は秩父の札所がありますので、そちらの寺院は知られていますが、このような武蔵野三十三観音の御開帳などなかったら、私も埼玉県西部地区のお寺なんてずっと知らなかったと思います。

こうやって縁ができて、こういうお寺さんがあるんだと毎回発見です。


蓮華院の千手観音像は入間市の指定有形文化財

まずは回向柱があるので、こちらに観音様がいらっしゃることがわかります。

こちらの柱には梵字が多いですね。

屋根には、シャチホコではありませんが、何かがあって、そこに網が張られていて守っているようでした。

創建は鎌倉時代の建仁元年(1201)で、『新古今和歌集』でも有名な歌人としても知られる寂連法師による開基と伝えられているそうです。

古刹の雰囲気があるお堂だなと思っていたら、観音堂の前に文化財の説明の看板が3つもありました。

木造千手観音立像、蓮華院観音堂付勧進帳、蓮華院の鰐口が指定有形文化財になっていました。


蓮華院の観音堂付勧進帳

こちらの蓮華院の千手観音様は秘仏となっていて、御開帳でも開いていないようでした。

毎年1月17日の黒須観音例大祭の時には観音堂が開くそうなのですが、拝観は外からのみ、ということでした。

遠くから見ることができるなら、双眼鏡使ってもいいのかな?

蓮花院観音堂は記録によれば天保6年(1835)に再建されたもので、総けやき、寄棟造りの建造物です。随所に彫刻が施されています。前面1間幅を外陣とし、その奥を内陣とします。

入間市のサイトによると、このように書かれていて、再建されたもの、とはいえかなり古いことがわかります。

外陣の天井は鏡天井とのこと。吉川緑峰が描いた龍があるということです。見てみたいですね。

内陣の天井は、格天井になっていて、花鳥風月が描かれているそうです。

観音堂付勧進帳とありますが、勧進帳というと、ついつい歌舞伎を思い出します。弁慶が書いてもいない勧進帳をスラスラと読み上げるというものです。

そもそもは、寺院の堂宇などを建立するためのお金や材料の寄付募集の趣意書です。

その勧進帳が残っているということですね。天保4年(1833)の「観音堂再建勧進帳」によるとこちらの千手観音様は行基が感得した尊像とのこと。

このお堂の再建にあたって作成された勧進帳には、繁田武兵衛、水村甚左衛門など地元の寄進者の名前が多数記されているそうです。

地元の方々によって、このお堂が作られていたことがわかります。



梵字が多い回向柱ですね。

さて千手観音菩薩像は入間市の指定有形文化財(彫刻)になります。

蓮花院観音堂の本尊で、カヤ材の割矧ぎ造、頂上仏面に十一個の変化面をそなえ、中央の合掌手と宝鉢手に脇手三十八手を加えて四十二臂を数える千手観音菩薩像です。

 

天保4年に再建されたことからわかるように、蓮華院の観音堂は焼失しています。

永禄12年(1569)に天災のために焼失したのですが、この千手観音菩薩像は損傷もなく、残ったそうなのです。

ますます信仰の対象になりますよね。

像内にある木札に、天文16年(1547)、前年焼失した本尊を、根岸(現狭山市)光明院の法印覚重が願主になり、鎌倉仏師長慶が再興した旨が記されています。

長慶はときがわ町にある慈光寺本尊の千手観音菩薩像も制作していますが、残っているのは頭部のみで体部は後補です。頭部体部ともに一体で残るこの像は、この頃の鎌倉仏師の活動ぶりと作風を知る上でも貴重な遺例です。

鎌倉時代の仏師の作風を知ることができる貴重な千手観音菩薩像なのです。

これは黒須観音例大祭に見てみたいですね。

横のほうに墓地があってそちらにも観音様の石像がありましたが、やはり御本尊を見てみたいです。

ついつい観音様に気を取られてしまいましたが、こちらの鰐口も入間市の指定有形文化財になっています。

この鰐口は、比企郡千手堂に納められたものだったのですが、蓮花院にあるのです。なぜここに来たのかの理由はわからないのだそうです。

鰐口は左右の「耳」と呼ばれる部分の角度に時代の特徴が現れるということです。

「蓮花院の鰐口の耳は真横を向いており、江戸時代の鰐口の特徴が出ています」ということで、真横に耳が来ている、といいますか、時代によってその角度が違っていたということを知りまして、今後は鰐口の耳はどこについているのか、気にして見てみようと思いました。

鰐口には、銘文が刻まれていて、寛政二年(1461)の作で、釜形四郎五郎が小用村の鋳物師松本に鋳造させ、比企郡嵐山町の千手堂に奉納したものであると書いてあります。

蓮華院の近くにあったお寺の井戸から引き上げられたという伝説もあるのだそうです。


古びた石仏や石塔などがある蓮華院

鐘撞堂が遠くに見えますが、この写真にも小さいお堂や、石の塔などがみえるかと思います。

 


千日回向名号塔も付近では最古のもの

阿弥陀如来の功徳をたたえる「南無阿弥陀仏」の六文字を刻んだ塔を「名号塔」といいます。

川崎大師にもありました。

蓮華院の名号塔は、正面と左右側面の3面にそれぞれ「南無阿彌陀佛」と刻まれた入間市内唯一の名号塔だそうです。

 

正面に「千日回向所」と彫られているのが見えました。

正面と左右側面に総勢約50人の名前が彫られていることから、これらの人々が死者の冥福や自らの極楽往生を願って千日間の念仏供養を行い、その満願成就を記念して、延宝9年(1681)に造立したことが分かります。

左右側面に刻まれた村々の名前やその人数は、念仏供養や造立に何らかの形で関係したものと考えられます。村々は市内に限らず現在の狭山市や飯能市、日高市の一部に広がっていて、当時の念仏信仰の様子が分かる資料として貴重です。

この千日回向名号塔には、石工の名前が彫られていて、そのような石造物は入間市内だけではなく近隣の市町の中でも最古のものになるそうです。

蓮華院の歴史がわかるようなものばかりですね。


彰義隊遭難者の碑付地蔵も蓮華院に置かれている

彰義隊とは、幕末期の1868年(慶応4年)、江戸幕府の徳川慶喜の警護などを目的として渋沢成一郎や天野八郎らによって結成された部隊です。



幕末の慶応4年(1868)3月に入間市のこの地で起こった彰義隊殺害事件を記録したものになるそうで、大正10年(1921)に彰義隊隊長だった本多晋によって建てられたものだそうです。

隊士を供養するために村人が地蔵を建立したそうなのですが、以前は、別の場所(県立豊岡高校正門付近)あったそうです。

それが蓮華院にありました。今は入間市の市指定文化財(史跡)となっていました。

私は最初、地蔵と書いてあったので、隣の祠に入っていたお地蔵様かと思ったら、けっこうぽつんと立っていました。他の無縁仏とともに安置されています。

立て札がなかったら見過ごしていたと思います。


このお地蔵様ですが、台座のところに「かわごえ道」などと刻まれていて、道標の役目もあったようです。


西 町屋道と彫られています。

この事件については『豊岡町史』大正14年刊、高麗大記筆「桜陰筆記」、『彰義隊戦史』をはじめ彰義隊頭取の本多晋の碑文などにも書かれているそうです。

でも、昔は、このようにして供養のための碑文やお地蔵様を作っていたのですね。

古い文化財だけでなくお庭もきれいな蓮華院

蓮華院の入り口近くには鐘撞堂もありまして、そのまわりもきれいな庭になっています。

私が行った時は、まだツツジが入り口に残っていました。他ではとっくに終わっていた時期ですが、蓮華院の入り口のところには、ツツジが咲いている部分もありました。

秋は、紅葉がきれいで、冬は山茶花が楽しめるそうです。

百日紅もあるそうなので、これからは百日紅の季節に入るところだったのでしょう。



十三重塔や六地蔵も見えます。

こちらにある木もかなりの大木です。歴史あるお寺ですから、植えてある木も大木になるでしょう。

木の根元には、少量ですが、ツツジが咲き残っていました。



入り口近くまで戻りましたら、いつもの小坊主が見えましたので、納経所がわかりました。

納経所は、ちょっと離れたところにありまして、小坊主が指し示している方向になります。

蓮華院の御本尊としては、不動明王になるそうです。もちろん、武蔵野三十三観音としては千手観音菩薩が本尊ですが。

本堂は焼失してしまい、位牌堂のほうに御本尊を移したそうです。



こちらは、納経所に近い裏手にあった山門です。

この古さからいうと、昔はこちらの山門から出入りしていたのではないかなと思いました。

石碑に「真言宗蓮華院」と刻まれた入り口(そちらに御開帳の立て札もあり)もいいのですが、このように地味ながらも、木板に「真言宗智山派蓮華院」と書かれたものも味わいあっていいなと思うのです。