狭山丘陵にある圓乗院です。

武蔵野三十三観音の霊場として行きましたが、同時に現在巡礼中の狭山観音霊場としても行きました。なぜなら、狭山観音の第17番霊性庵の御朱印はここ、圓乗院でいただくからです。

もちろん霊性庵には先に訪れていて参拝に行っています。いずれ狭山観音霊場の記事を書いた時に写真をアップしましょう。

いずれにせよ、まずは武蔵野三十三観音めぐりです。


錐鑽不動尊(きりもみ)が御本尊の圓乗院

冒頭の写真でもわかるように、錐鑽不動尊と書かれた碑が立っています。

調べてみると、こちらの圓乗院は、武蔵野三十三観音の3番霊場の三宝寺とも縁が深いお寺のようです。

三宝寺も不動明王が御本尊でした。

寛延二年、1749年に建立されたとされる鐘楼門まで石段を上がっていきます。

狭山丘陵の中腹だけあって見晴らしは良さそうです。

紫陽花の咲いている頃で、境内に入る前からきれいな庭です。



鐘楼門にまでの間にもいくつか歴史あるような石仏群や石の燈籠などがありました。

鐘楼門の梵鐘を打つ木が出ていました。


歴史ある鐘楼門は寛延二年のもの

圓乗院の御本尊である不動明王は約400年前に和歌山県の根来寺の本尊を写したものだそうです。

階段を登った先が鐘楼門です。

ここの梵鐘は除夜の鐘とかで、打つことがあるのでしょうか。



仁王様がけっこう怖いですね。

歴史ある建造物であることはよくわかります。

圓乗院は多摩四国八十八ヶ所の霊場にもなっています。

この圓乗院は、愛宕山医王寺とも言われていたように、薬師如来も本堂に安置されているそうです。



東やまと20景にもなっているようです。

これによりますと、

「東大和公園の東側に隣接しています。

この寺院は、過去に不慮の災禍で古記録が消失したため、創立当時の事情は定かではありません。ただ、この寺院にある歴代塔には賢誉法印(平治元年(1159)寂)が始祖という記録があります。

徳治二年(1307)の年号のある板碑は、市郷土資料になっています。

また、鐘楼門(梵鐘を懸けた山門)は、寛延二年(1749)に建てられたものです。

山門と美しい庭園ががやすらぎを与えてくれる静かな寺院です」

と書いてありました。

本当に、美しい庭園です。お花を添えたお地蔵様が見えました。


正面の本堂に如意輪観音

参道をまっすぐ歩くと、回向柱が見えました。

真言宗智山派でよくみる南無遍照金剛の文字が見えました。

今まで武蔵野三十三観音で見たきたものよりも長いお手綱です。


手前に添えられたお花も美しいのですが、どれくらい長いのかわかるようにと写真を撮りました。

この回向柱からさらに階段を登ります。

御開帳の立て札も、御開帳が令和二年四月一日から最後の部分が黒く塗られていました。

六月三十日までと当初書かれていた部分です。


徳治二年の板碑あり

本堂に行く前に、先ほどの郷土資料になっているといわれてる板碑のことが書いてありました。

徳治二年銘の板碑となっています。

「円乗院が所有する徳治二(一三〇七)年銘の板碑は、市内でも古い記録を持つ板碑である」

と書いてありますね。

板碑については、前回の札所七番の徳蔵寺で学んでいます。

緑泥片のもので、現在は本堂内にあるそうです。長さ73センチメートルといいますから、けっこう高さがありますね。

板碑(青石塔婆とも)は墓石ではなく、供養塔で、現在墓石のそばに立てかけらている板の卒塔婆と同じ意味をもつ、ということが書いてありました。

前もって徳蔵寺の板碑保存館で学んでいたからすぐに理解できました。

 


階段脇に聖観音菩薩像

聖観音菩薩の像を見ながらさらに階段を登ります。その後ろには、梵字が書いてある白い塔がみえます。供養塔でしょうか。

それにしてもこれほどまできれいにお庭を管理するのも大変でしょうね。至るところに花が添えられています。

 

 



本堂前には延命地蔵尊の立像がありました。

下に子どもがいて手にも子ども抱いています。子育て観音でよくみかけるタイプのお地蔵様バージョンというところでしょうか。

本堂には、「愛宕山」の山額が掛かっていました。

 



本堂の左手には、六地蔵もありました。

その奥にもお地蔵様が並んでいました。

 



如意輪観音様は遠くから拝見させていただきました。

小さめの像でした。如意輪観音様なのですが、弥勒菩薩っぽい感じも受ける観音様です。

お手綱で繋がれていたので、如意輪観音様はわかりましたが、御本尊の不動明王がよくわかりませんでした。

 

先ほどからお手綱が長いということを書きましたが、本堂のところから下をみた写真です。

途中で塔のところに掛けてあるくらい長いのです。

本堂の前まで来ますと、眺めがいいです。



参拝を済ませて、戻る途中、石の橋のところに蓮の葉の間に菖蒲が一輪だけ咲き残っているのを発見しました。

五月の頃だったら、見応えあったのでしょう。

それにしてもこれだけのお庭を管理するのもすごいことです。

古い歴史あるお寺ですが、祈祷寺というより檀家寺でしょうが、しっかりお庭を管理して美しさを保っています。

だからこそ、東大和市の東やまと20景になっているのでしょうが。



下に降りていったら、いつもの小坊主がいましたので、納経所がわかりました。

受付所となっています。

先ほども書いたように、武蔵野三十三観音の御朱印とともに、狭山観音霊場の霊性庵の御朱印も無事いただきました。



帰り道、鐘楼門を出たらふと見つけたものです。

「天保十四年吉祥日両親の菩提の為め七條袈裟と表門石階段を寄進す」と書いてあるを発見しました。

天保というと江戸時代ですね。1843年ということなのですが、その頃のものがこれほどまできれいに残っているものなのかな?と思いました。後で彫り直したのでしょうか。

177年の時を越えて、石階段は寄進されたものだと知った次第です。それだけでなく、七條袈裟も寄進していたのですね。