アニメ「ヤマノススメ」は、何度か駅でポスターを見かけていたので以前から知っていました。子の権現や法光寺のある吾野駅でも見ました。

ツイッターでも、アニメの聖地訪問で、観音寺に行ってきたというツイートみかけました。

ですので、観音寺=アニメの聖地というのは、前もって知ってから観音寺へと行ったのです。

アニメの聖地となる寺院は、秩父の定林寺や同じく秩父の大慈寺も行っているので参拝の経験ありです。

観音寺の御開帳の立て札は、入り口の寺標の石碑のところに立っていました。


観音寺の入り口には飯能鬼子母神のお堂

境内に入りますと、まっすぐ本堂まで伸びる参道があります。

 

入り口の右手にこのようなお堂と、その先にある寺務所がみえます。本堂(観音堂)と不動堂があるとのことでしたが、先に鬼子母神のお堂に行ってみました。

このお堂は、入り口すぐ右手にあるのですが、鬼子母神のお堂でした。飯能鬼子母神とのことです。

パソコンの字では出ないのですが、飯能鬼子母神の「鬼」の字は上の角がない字になります。

鬼子母神は、子どもを食べてしまっていたので、お釈迦様が末の子を隠してしまいました。

それで子どもを失う悲しみを知って安産、子育ての神様に変わったのだとか。

お堂の中をのぞいてみたら、手にザクロをもち、胸のところに子どもをかかえた鬼子母神の姿がありました。

子育て、安産の神様ですね。


その後、参道に戻りましてまっすぐ歩いていくと、参道には蓮の花のつぼみがみえました。蓮の鉢植えのところには、布袋尊が祀られていました。

蓮の鉢植えが並んでいます。すぐ左にはお地蔵様がいました。

その先に、何やら白いものが見えます。

この近くに芭蕉の句碑が立っていたそうなのですが、白いもののほうに気が行ってしまいました。


だんだん近づいてきました。手前の石燈籠は、龍がけっこうリアルに描かれているなぁと思って写真を撮りました。

鐘撞堂にみえる場所に白い象です。


アニメにも出てくる白い象

アニメ、「ヤマノススメ」に出てきたといわれる象です。白い象です。鐘楼堂に鐘ではなく、白い象というのは大変珍しいですよね。象は仏教では神聖な動物として知られているそうです。

この象は、観音寺の檀家さんが作ったのだとか。奉納ですね。昔から、地域の人々がお寺に奉納していて、それが文化財として残っていますが、この象もそうなるのかな。

そういえば、観音寺では「ヤマノススメ」の絵馬も売っているのですよね。秩父の定林寺や大慈寺でも思ったのですが、アニメの絵が書かれた絵馬は持って帰りたくなってしまうのですよね。

みなさん、絵馬をかけていますが、中には持って帰る人もいるのかしら。

私はまだ「ヤマノススメ」を見ていませんが、そのうち見てみようと思っています。埼玉県が舞台ですよね。

定林寺の「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない」は全部見ましたよ。「あの花」から比べると「ヤマノススメ」はアニメの名前を書くのが短くていいです(笑)。

白い象というと、妻沼聖天様の太師堂にも白い象がいたなと思い出しました。

仏教と白い象は密接な関係がありますよね。お釈迦様と白い象の話を聞きます。

お釈迦様の母であるマーヤ王妃が夢で白い象が天から降りてきてお腹の中に入ったと、目を覚ますとお腹に赤ちゃんを宿していることを知り、それがお釈迦様だったというわけです。

白い象の前(鐘つき堂)の手前には、厄落としの玉がありました。厄割り石ともいうそうです。石を落として割ることで、災いや悪いことが打ち砕かれるのですね。

かわらけ投げのようなものです。厄落としの石を合掌してはさんで、三回上下に振って、地面に置いてある「厄」と書いてある石にめがけて投げます。厄落としの石に込めた厄難が割れる、ということです。

「厄落としの玉は、御朱印所にあります」と書かれていました。御朱印を頂いたら、その時に買う人が多いのかな。

 


江戸時代から巡礼の札所になっていた観音寺

孔雀明王の石碑の隣に埼玉県が作製した観音寺の説明書きです。

昭和五十五年三月の埼玉県の説明書きの案内板です。

般若山長寿院観音寺は真言宗の寺で、市街地の中の寺として親しまれ、江戸時代(文化、文政期頃)には、高麗郡三十三ヶ所霊場の十番札所として庶民の信仰をあつめた。「法の音幾世絶えせず仰ぐらん百の願いの人の心に」という巡礼御詠歌も残されている。

如意輪観世音を本尊としているが、西国三十三番、坂東三十三番、秩父三十四番観音堂場の各御本尊の写しを合わせた百観音も本堂に安置されている。

また、境内には、文殊菩薩、不動明王、毘沙門天、大歓喜天、荼枳尼天、弁財天、大黒天、寿老人、布袋尊等などもまつられており、特に天狗地蔵は幼児のすこやかな成長を祈る人たちの信仰が厚い。

堂内の建物は、慶応四年五月に起こった「飯能戦争」によってことごとく焼失したが、明治十六年に再建された。

境内には、鎌倉期のものといわれる五輪の塔や板碑がある。また、俳聖芭蕉の句碑や水原秋桜子の句碑もある。

読めるかぎりを書いてみました。高麗郡三十三ヶ所霊場とは、高麗坂東三十三観音のことでしょうか。だとしたら、高麗坂東三十三観音霊場は江戸時代からあったのですね。

「飯能戦争」の時に全部焼けてしまったとのこと。幕末から明治に変わるころ、上野の寛永寺の彰義隊と分かれた振武軍は、飯能にある天覧山の麓の能仁寺を拠点として官軍と戦ったそうです。しかし、負けてしまいその時の兵火で観音寺も焼失です。

本堂には、如意輪観音のほか、百観音の写しの観音像があるのですね。

天狗地蔵はどれなのか、よくわかりませんでした。


参道の右手に観音堂である本堂

参道の突き当りが不動堂(福聚殿)になっていて、そのすぐ右手に、本堂でもある観音堂があります。

それなので、お手綱がつながる回向柱は、参道右手に立っていました。

残念ながら、お手綱は巻き上げられ、本堂の扉は閉まっていました。

本堂の中には、如意輪観音様がいらっしゃるそうです。

お寺の縁起によると、弘法大師が如意輪観音を刻み、その像は胎内仏として、現在の本尊の中に入っているそうです。

本堂の中を見れたらよかったのですが、本堂の中の御本尊の左右に、先ほどの埼玉県の説明書きにあった「百観音」安置されているとのことでした。

それら百観音の写しを拝むことで、百観音に参拝したのと同じご利益が得られるのだとか。

さらには、中に珍しい「絵馬」があるそうです。それも絵に書いた馬ではなく、本物そっくりの馬です。

天井からつらさげられていて、その下には扁額のようなものがあって、「安永三年」のように奉納した年号が描かれいるのだそうです。



こちらのほうが参道と回向柱の位置がわかりやすいですね。

回向柱には、「三密」の文字が見えます。

今でこそ、皆さん、三密と言いますが、私が知ったのは、真言宗のお寺でいただいたカレンダーに書かれていた「三密」の文字で、です。身密、口密、意密の三密です。密閉、密集、密接なんかではありません。

「三密加持疾顕」の文字です。

参道の奥に見えるのが、不動堂です。

こちらの不動堂には、武蔵野七福神の寿老人もお祀りされています。

本来の参道は、本堂まっすぐ前にあります。

だから、参道の突き当りに不動堂があるのが変に感じますが、古くは本堂前にあったのです。

白い象の横、現在の参道に並行して県道があり、そこを車が多く通っています。

そちらの青梅飯能線の道路に出る方向が本来の参道になります。

そのすぐ先には入間川が流れていて、川で働いていた船頭さんたちに観音寺は信仰が厚く、江戸時代は川のほうから参拝に来たのだとか。

入間川を少し下ると、飯能河原と呼ばれる場所があって、そこは夏になるとバーベキューをしに来る人、子ども連れも多く、川遊びもできてキャンプのテントが多く見られる場所になっています。


四国八十八ヶ所霊場のお砂踏みもできる観音寺

不動堂の前にある像は、弘法大師像です。

四国八十八ヶ所霊場のお砂踏みができるようになっていました。真言宗ですね。

檀家の方々と3年に渡って四国八十八ヶ所を回ってきたそうです。

その時に、コツコツとお砂を集めていたものが、弘法大師像(修行大師)の足元にあります。コンクリートで固められた部分です。弘法大師の像のすぐそばをまわります。

隣に、回り方の図が書いてありますので、私もそのとおりに歩いてみました。左から時計回りにゆっくりとまわります。その時には、「南無大師遍照金剛」と唱えます。

私の父が四国出身なのですが、子どもの頃、この「南無大師遍照金剛」と呪文のように唱えていたそうです。しかし、区切る場所を間違えていたとか。

四国八十八ヶ所の霊場を巡拝したことと同じご利益が得られるとのことです。

 


不動堂には七福神の寿老人や多くの天部が祀られて

寿老人の額が掲げられていました。

「福寿殿」と書かれた木の板があって、そこには、「まごころこめてはたらいておまいりするといろいろのしあわせが頂けます」と書かれていて、その隣に「奉安置」として、「文殊菩薩・不動明王・持國天・増長天・廣目天・毘沙門天・大歓喜天・茶枳尼天・辯才天・大黒天・寿老人・布袋尊」とびっしり書かれていました。

武蔵野七福神としては、寿老人です。


観音寺から23番の浄心寺へ行ったのですが、途中、観音寺へ参拝した船頭さんたちが働いていたという入間川を写真に撮りました。

場所によっては、かなり広い川になります。

隣には、飯能大橋というきれいな高台となる場所にかかっている橋もありましたが、以前からあると思われる橋のほうを歩いて川の写真を撮りました。

そのため飯能大橋だったら、もっと上のほうから川を眺める形になりますが、目線が入間川に近い感じでわかりやすいかなと思います。