東光寺と龍円寺は、比較的近い場所にあるので、車で来た巡礼の人でも歩き巡礼の人でも一緒にお参りすることがほとんどだと思います。

歩き巡礼の人は、ぜひとも、この看板を見つけて「近道」を通って下さい。おそらくグーグルマップでは出てこないと思いますので。

「武蔵野観音霊場第二十番札所、真言宗智山派 龍岳山歓喜院 龍圓寺」そして、「近道」と書かれた看板です。

住宅地を通って行くことになります。

東光寺や龍円寺のあるところは、お茶の製造工場などありまして、狭山茶の茶畑もあります。○○園という名前のお茶の販売所、お茶の製造工場が多い地域です。


東光寺からは近道を使って行きました

こちらが龍円寺の表参道になります。ゆるやかな坂道を登っていきます。まっすぐ先に見えるのが本堂になります。

お寺の寺標があります。入り口には寺標の石碑とともに、開創80周年の立て札があります。

この写真は比較的ましなのですが、太陽の光の向きがよくなかったようでどの写真も光ってしまっています。

まわりが明るすぎて肝心の場所が暗く写ってしまっていますが、ご了承下さい。

龍円寺は、入間市の新久の天王様のお祭りの舞台として地域で知られるお寺となります。神仏習合のなごりなのか、龍円寺と八坂神社とのお祭りです。

ヨミヤ(宵祭り)、ホンマチと2日に渡って行われます。ヨミヤの午後から天狗、榊、獅子、神輿山車などの順で龍円寺を出て、大門坂を下り、八坂神社へ向かいます。

御神幸の途中では住民の方々を獅子が噛んで厄除けを行うそうです。今回の龍円寺から八坂神社までの行列なのですね。天狗やら神輿、山車も出るということです。

山車の上での新久ばやし(市指定無形民俗文化財)が貴重ですね。江戸との交流で、商人や職人が行き来しているうちに習い覚えたというお囃子だそうです。

お祭りの日には賑やかだそうですよ。なんだか見てみたくなりました。

歩き巡礼の人なら、仏子駅から歩いていると途中で八坂神社が見えますので(高台にある神社)、そこで見える八坂神社に向かって歩くお祭りなのだなとわかるはずです。


観音堂と鐘撞堂は本堂の左手に

本堂の左手に行きますと、一段高い場所があって、そちらに観音様がいらっしゃる観音堂があります。

鐘楼のほうからもゆるやかな坂道がありますし、階段を登って高台に行くこともできます。

この梵鐘は昭和二十三年に新しく作られたものだそうです。以前の梵鐘は享保年間(1716年から1734年)に作製銘のある梵鐘だったのですが、戦時供出で失ってしまったそうです。

観音堂の裏手には墓地が広がります。



まず、目についたのは観音様の像と弘法大師像です。

観音堂は、本堂の左手に歩くと見えてきます。

ちなみに、本堂の右手に庫裏(寺務所)があります。本堂を正面にして左右に広がるタイプです。

観音堂のさらに左手には、弘法大師の大師堂があります。

それとは別に地蔵堂もありまして、ひとつは子育て地蔵尊、もうひとつは日切地蔵尊です。

観音堂の中をのぞいてみましたら、中はけっこうきれいになっていました。

厨子の中に小さめの観音様がいらっしゃいまして、しっかりそこからお手綱がつながっていました。

 


札所の本尊は千手観音

こちらが階段側の観音堂への入り口です。

こちらでは珍しくお手綱が巻き上がっていませんでした。

武蔵野三十三観音としての御本尊は、千手観音になります。

開山開基についてははっきりとしたことがわかっていないそうなのですが、建仁元年六月に武蔵国を巡礼していた寂蓮法師が千手観音菩薩を祀る堂宇を建立したのが始まりと伝えられています。

宝永六年に亡くなられた俊誉和上が中興の祖といわれています。

明治三十四年三月に焼失してしまった観音堂ですが、大正三年に再建され、昭和四十二年以降、本堂などとともに整備されたそうです。

こちらの観音様は子安、子育ての観音様として知られているそうです。

写真が太陽の光の関係で暗くなってしまっていますが、木々が立ち、緑に包まれた小高い場所にたつ観音堂です。

「唐様式破風造り瓦葺きの屋根」が特徴だそうです。


観音堂のそばには2つの地蔵堂があり

こちらが子育て地蔵尊になります。

子育て地蔵尊の地蔵堂が新築されたときの記念碑もありますね。



こちらが日切地蔵尊のお堂です。

隣にも石碑が立っていますね。

 


本堂には虚空蔵菩薩、北狭山茶場を記念した石碑もあり

本堂と庫裏です。

本堂には御本尊の虚空蔵菩薩が祀られているとのこと。

慶安二年、徳川家光からいただいたお墨付きの朱印状(寺領十五石)があり寺宝の古文書として保管されているそうです。

写真に撮り忘れたのですが、龍円寺の境内には石碑がありまして、北狭山茶場の石碑だそうです。

文化文政年間(1804年から1830年)を起源として明治初め狭山茶の産地として広く知られるようになり、茶業が埼玉県の重要産業になったことを記念して建てられた記念碑です。

昭和十二年に建立された石碑で、根布川石で作られた三メートルを越える大きな石碑です。



御朱印は住職がいらっしゃったので直接いただきました。

ちなみにここに書いてあるように武蔵野三十三観音霊場の御朱印は、午前九時から午後四時までとなっています。

こちらの龍円寺には、納経所に担当者不在の時のことが書いてあってありがたいと思いました。

霊場指定の御朱印帳を持っている人は、御朱印済み差し替え用紙と持参している御朱印帳の用紙を交換するように、ということです。

御朱印料は、所定の料金入れに入れて納めること、となります。

特に、武蔵野三十三観音の後半の番号の札所は再度訪問するのも大変なことになります。

そのことで、巡礼を止めてしまうのももったいないことです。

ご住職が不在の場合を考えてこのようにしていただくのは、ありがたいことです。そうすれば後回しでいいやとして、結局、巡礼を諦めてしまうことを防ぐことができるでしょう。



今回のブログ記事は、この入間市によって建てられた案内板を参考に書きました。