高正寺は本当は、行くのを諦めていたお寺です。入間市の金子坂を経て龍円寺から歩いてやってきました。

19番、20番の札所を回っていたら、4時を少し過ぎていたからです。しかし場所を確認しておこうと思ったら、途中でご住職にお会いしましました。

御朱印は差し替えとして置いてあるということなので、どうせならと参拝したわけです。

19番の東光寺みたいな感じで、文書棚のようなところに御朱印が置いてありました。

今回の高正寺は仏子駅からはそれほど遠くなく(19番札所、20番札所は同じ仏子駅利用でも駅から遠い)、歩き巡礼の人なら簡単に行ける場所にあります。

高正寺に着きますと、たくさんのお地蔵様に出会えます。参道の両脇にお地蔵様です。

 


金子氏ゆかりの高正寺

山門のところの石碑には、武蔵野観音霊場の第二十一番札所ということと、奥多摩八十八ヶ所霊場の第六十九番札所ということが書いてありました。

武蔵野三十三観音のお寺でも、今まで回った中に実蔵院、新光寺、東光寺などが奥多摩新四国八十八ヶ所の霊場でした。

高正寺に龍円寺から行くには、金子坂というところを通ります。坂というよりも山のように感じた場所です。その金子坂の金子ですが、この金子坂付近に鎌倉時代に金子氏という豪族がいたそうです。

高正寺は、金子十郎家忠の弟親範が建立した寺と伝えられています。



山門を登ると見えるのが、門の上に梵鐘があります。鐘楼門です。

写真を撮るのを忘れたのですが、この鐘楼門のまわりには、十六羅漢も置いてありました。

手前の木々は、梅でしょうか。春だったらわかるのでしょうが。

金子氏のことですが入間市で歴史をたどると出てくる金子氏一族です。

入間市と青梅市との境にはも木蓮寺という地名があり、その近くに八高線の金子駅があります。

木蓮寺にある公会堂の裏側の小高い場所に金子氏一族の宝篋印塔と位牌が残っているそうです。

金子十郎家忠は、武蔵七党の村山党に属する豪族だったとのこと。

「保元の乱より壇ノ浦に至る源平合戦に加わり、数々の武功をたてた典型的な武蔵武士である。現在は6基の宝篋印塔と位牌が残されている」と入間市のホームページにありました。



鐘楼門をすぎると真正面に本堂がみえます。本堂右手には墓地がありまして、裏手には山がみえます。

真正面の本堂の前に回向柱が立っていて、お手綱がつながっていました。

参道の脇には石が敷き詰められていて、禅寺の雰囲気がありますね。

後で調べたら、奥多摩新四国八十八ヶ所の霊場にあるミニ版の弘法大師と観音様の石仏は裏手の山のほうにあるそうです。

墓地のほうになりますね。

 


満願殿という本堂に観音様が祀られて

「満願殿」と書かれた扁額がかかっている本堂です。満願の日が待ち遠しいです。

高正寺は古いながらも整った清潔感があるお寺だと思いました。

上部が尖った花頭窓がみえます。禅寺で流行ったデザインなのだとか。華頭窓とも、火頭窓ともいわれます。

 



回向柱から結ばれたお手綱が少し見えますが、本堂に向かって左側の窓と石灯籠です。

左右に提灯が飾られています。


お手綱は巻き上げられていますし、扉はしまっているので、観音様には会えなかったのですが、武蔵野三十三観音霊場としての本尊は、聖観音菩薩ということです。

聖観音菩薩が持っている蓮華が普通ならツボミなのに、高正寺の聖観音菩薩が持っている蓮華は、花が開いているそうなのです。機会があったら見たかったですね。

高正寺としての本尊は、虚空蔵菩薩で、これまた金子氏ゆかりのものだそうですがこちらは、秘仏とのこと。

 


本堂の左手の板碑は必見

本堂の左手には、六地蔵と中心に立つお地蔵様が見えます。道を挟んだ反対側にはブロック塀で囲まれた場所に青っぽい色の石碑、板碑があります(隣は、仏足石)。

高正寺にはいくつか板碑がありまして、そのうちの2つが入間市の指定文化財になっています。

「左から2番目の板碑は、紀年銘が残っているものとしては市内最古のもので、建長2年(1250年)庚戌(かのえいぬ)7月29日と刻まれている」とのこと。

紀年銘が残っている板碑の中では入間市最古のものになります。年が書かれていない板碑は他にも古いものがあるのかもしれませんが、それでは本当に古い年代のものなのか証明がつかないですからね。

けっこう素朴な感じのする板碑でした。梵字のようなものが刻まれていました。

 

左から4番目の板碑は、市内最大のもので、地上高2.05メートル、上幅53センチ、下幅65センチ、厚さ約8センチを測る。最近まで紀年銘の部分が欠損しているため年代が分からなかったが、山口県萩市の金子氏ゆかりの家から紀年銘が現存していた当時の資料が見つかり、市内最古の寛元4年(1246年)の板碑であることが判明した

左から2番目の紀年銘が残っている板碑では市内最古のものと同じくらい大きな板碑だと思ったのですが、左から4番目のほうが少し大きかったようです。

本来は、こちらの4番目の板碑が古いのですが、なんさ、肝心の紀年銘の部分が欠けていたため、年代がわからなかったそうです。

金子氏ゆかりの家から当時の資料が見つかったからこそ、入間市内最古の板碑、1246年、寛元四年のものとわかったわけです。

しかし、紀年銘が残っているものとして入間市内最古の板碑は、2番目のものになり、調べた範囲でわかった最古の板碑は左から4番目となります。金子氏一族のものだったようです。

いずれにせよ、古い板碑なのですが、両方とも高さがあって大きめだったのが特徴的だなと思いました。

武蔵野三十三観音の札所第7番の徳蔵寺で、板碑保存館で様々な板碑をみて、予め、学べたことが良かったです。

板碑保存館でお金を払ってでも見ておいたほうがいいですね。後々、板碑を見る時に予備知識があるとないとでは違ってみえますよ。

もし、見ていなかったら、板碑に対して気にも留めなかっただろうと思っています。たとえ、市内最古の板碑だと言われても「ふーん」で終わりだったかと。

観音霊場ですが、観音様だけお会いして終わりではもったいないですからね。それにしても武蔵野の地にいろんなお寺があったのだなと改めて思っています。

武蔵野三十三観音めぐりが無かったら、ご縁もなにも無かっただろうと。

竹寺や子の権現のような有名なお寺ならまだしも、多くのお寺を知らずに終わっていたはずです。


御朱印済みの用紙と白紙を差し替え

今は、開創八十周年の御開帳だからか、武蔵野三十三観音用の御朱印は、この箱の中に用意されていました。一番上の段に入っているとのこと。

自分の御朱印帳に入っている白紙の用紙は、上から三番目の段に入れておきます。

ご住職も不在の場合もあるでしょうから、このような方法だと助かります。

 


先ほど、鐘楼門のまわりにある十六羅漢の写真を撮り忘れたと書きましたが、こちらの写真に少しだけ見えます。

こちらは、駐車場のほうの坂道のところです。お釈迦様の誕生仏がみえます。右手は天を指し示し、左手は地を指しているというあの釈迦誕生仏です。

こうやってみると、鐘楼門もまわりも木々が多くてきれいなお寺ですね。手前には少しだけツツジが残っていましたが、春は花も楽しめそうです。