3月に御府内八十八ヶ所の御朱印をいただきに練馬高野台の長命寺に行ってきました。その時、これから開創80周年記念として総開帳が行われることを知りました。

その少し前に秩父の三十三観音めぐりをしていた時にポスターでも見ていたので、ああそうだなと思い出しました。

それで武蔵野三十三観音用の御朱印帳をいただくことにしました。

しかし、総開帳は4月1日からとのことでしたので、まだ御開帳用の御朱印にはなっていませんでした。

その後、緊急事態宣言が出るとは思っていなかった頃です。

開創80周年記念の総開帳の武蔵野三十三観音

桜はちょうど開花したばかりの頃で、まだ見頃とはいえない状態でした。

しかし山門は春ののどかな感じが表れています。



山門を入ってすぐのところに桜の大木がありました。

前もって調べていなかったので、長命寺がこれほど広い境内のお寺だとは知りませんでした。


4月の御開帳では稚児行列も

私が入ってきた山門は、寺務所が近いほうの山門でした。

札には受付所と書かれていますね。まだ、緊急事態宣言の前だったので、4月19日に御開帳の法要を行うということが書かれていました。こちらの御開帳は、武蔵野三十三観音とは別で弘法大師の御開帳だったと思います。

調べてみたら、本来は弘法大師のご縁日である21日、4月21日に御開帳となっていたそうなのですが、今は、土日に合わせたのでしょうか。

例年稚児行列もあるそうなのですが、今回はその後、中止になったようです。

私が行った時点では行う予定だったのに。こんなに変わってしまうなんて。


御朱印は武蔵野三十三観音の御開帳前だったので

これだけ広い境内ですから、本堂も立派な建物でした。

ここでお経を唱えてから、御府内八十八ヶ所としての御朱印と、武蔵野三十三観音としての御朱印をいただきました。

武蔵野三十三観音の御開帳は始まっていなかったので、普通の御朱印です。



桜の古木は咲きはじめていましたが、他の木々がまだ葉っぱもなかった頃です。

御開帳の始まる4月1日くらいでしたら、もう少し緑が増えていたかのかな。

本堂前のお地蔵様のところから写真を撮りました。



六角形の形になっている珍しい地蔵堂です。

練馬の名木が隣にありました。イチョウですが、かなり古くからあるようでした。



本堂に向かって左側を歩いていくと、奥の院への道がありました。

「入口」の文字が見えます。「かうや山」と書いてあるようですね。

長命寺は縁起等によれば、小田原豊穣誌の家臣であった北条氏没落後、隠居して慶算となり、高野山に登って修行した後に弘法大師の像を安置したことから始まります。家督を継いだ増島重俊が高野山にならい、堂宇を建てたそうです。



先ほどの六角形の地蔵堂が見えます。その横の道が奥の院への道です。こちらは、「東高野山」奥の院とのことです。

東京にも高野山がある、ということ。東の高野山ということですね。東京都の指定史跡になっています。

高野山に行ったことがある私はイメージが付きましたよ。

本家本元の奥の院を凝縮したような感じです。

長命寺は何度も火災にあっていますが、梵鐘など焼け残ったものもあるそうです。



奥の院への道には、このように多くの石仏がたっています。


古刹らしさは奥の院の彫刻に

御廟橋です。

まさしく高野山の奥の院ですね。

本家本元の高野山の場合、橋より奥は、写真を取ってはいけないという神聖な場所に入ることになります。



まっすぐ奥の院である御影堂まで歩いて行きました。奥の院の後ろにもかなり多くの石仏が見えました。

その手前には、句碑なども見えました。



中国の故事から来ているのではないかと思っている彫刻群です。

これはかなり見応えがありましたよ。


長命寺の長生きの井戸として有名な姿見の井戸

御府内八十八ヶ所の十七番の弘法大師霊場

御影堂への道の途中に長命寺で有名な井戸がありました。

「姿見ノ井戸」です。この井戸も江戸御府内八十八ヶ所と関係があったのですね。御府内八十八ヶ所17番である長命寺と四国八十八ヶ所霊場の十七番である井戸寺と関係が深く、昔からこの井戸に顔が写れば長生きができるとして知られています。

ですが、網があってよくわからず。でも井戸自体は古く、まわりが石で出来た石井戸でした。



さて、先ほども少しだけ見えていた、御影堂の裏手にある石仏群です。

身代わり閻魔様などいろいろな石仏です。



石仏はかなりバラエティに富むものでした。

こちらは、観音様ですね。如意輪観音、聖観音菩薩など見えます。



徳川家光公の供養塔というものもありました。

三代将軍家光から朱印地を賜ったことからもわかるように、徳川家とも縁が深いのですね。

五輪塔、宝篋印塔、石燈籠を家光に一周忌に建てたそうです。


八角形の建物が観音堂

本堂の左手側の敷地をしばらく歩くと、観音堂を発見しました。八角形の建物です。

手前には、三鈷の松も見えました。弘法大師に関係あるお寺では見かけることがあります。

長命寺の縁起によると、十一面観音像を勧請して谷原山と山号を付けたそうなので、こちらに安置されているのは、十一面観音様ですね。聴くところによると、開山のころの観音様ではないそうなのですが、今も十一面観音様でしょう。

 



御開帳にはまだ、なっていなかったのですが、お手綱があったので、観音様と握手です。

4月に入ったら、武蔵野三十三観音の寺院にあったお手綱はどれも巻き上げられたので、貴重な機会だったわけです。4月1日に参拝に行った人はお手綱もあって、御開帳で観音様ともご対面できたのでしょうが。

しかし、それもいつまでやっていたのかわかりません。

それを思うと御開帳前に行ったのが良かったのかも。

「奉武蔵野三十三観音霊場会開創八十周年」の文字が見えますが、始まってすぐに中止になったのだろうと思います。残念なことですが。

 



境内の広さがわかるでしょうか。

弘法大師の像が見えます。弘法大師千百五十年遠忌の塔も見えました。

木々の緑も見えますが、まだ本格的な緑が濃い季節ではないですね。


練馬区最古といわれる梵鐘

鐘撞堂のほうに行ってみました。死者供養のための十王ですね。

奥の院のほうと比べると比較的新しい石仏のようでした。



こちらの梵鐘は火災にも焼けることなく残っていたそうなので、お寺の中でも古い文化財といえるでしょう。

練馬区最古の梵鐘で、慶安三年と書かれているそうです。

桜の花もしばらくしたら満開でしょう。


梵鐘の近くにある門が長命寺最古の門

現在門として使われている南大門と鐘撞堂の近くにある仁王門が長命寺最古の建造物だそうです。

寛文年間に建てられた建造物となるとのこと。古いのですが、ハリのところにある鳥の彫刻など手が込んでいます。

阿吽の金剛力士像、仁王様の前には、わらじがたくさん掛かっていました。

南大門があるので、ここを入口には使っていないのですが、これは残しておきたくなりますね。

ここの門から後ろに見えるのが御朱印をいただく寺務所になります。


南大門には持国天と多聞天

目がパッチリの持国天立像です。



こちらは多聞天です。

仁王門がお寺最古の建造物なので、こちらは比較的新しいのでしょうが、重厚な作りです。



持国天立像と多聞天立像の両方を入れて南大門の写真を撮ってみました。

真正面に見えるのが、本堂です。



南大門の入口には、大きな石に「長命寺」と彫られていました。そこには、「東高野山」の文字がありました。

御開帳のスタートの日だったら、十一面観音様のお姿を見ることができたのかなと思うとなんだか惜しい気がします。次は、開創90周年になるのか、それとも85周年で御開帳を行ってもらえるのか。

令和2年の4月1日から6月30日までの御開帳の予定がこんなことになったので、令和2年の間は、開創80周年の御朱印になるらしいのですが、御開帳としては、各霊場にて観音様には会えない模様。