江戸33観音の札所めぐりの人だけでなく、ぜひ一度行ってみていただきたいのが永平寺別院の長谷寺です。

私は今まで永平寺というと修行が厳しそうなお寺だなとか、質素な感じのお寺だなと思っていました。

しかし永平寺にまで行くようなこともなく、機会があったら行ってみようかな程度だったのです。

それが今回、江戸33観音札所めぐりで行くことになり、想像以上のお寺だと思いました。

永平寺に行けなくても、永平寺が味わえる、永平寺に行ったことがある人にとっては、まったく違うと思うのでしょうが、それでも素晴らしいお寺でした。

麻布、六本木にこのようなお寺があることを知っただけでも札所めぐりしてよかったなと思っています。

ただし、渋谷駅からバスを使うか、表参道駅や六本木駅から歩いていくか。

都心にあるのに、ぽっかり空いた場所にあります。たぶん渋谷駅からバスを使う人が多いかなと思います。

私は、前回行った梅窓院から歩いていきました。歩き巡礼が基本です。

 

長谷寺専門僧堂と大本山永平寺別院と門に書いてある

麻布というのか、六本木というのか。住所では西麻布になります。

梅窓院は外苑前駅すぐそばでしたが、こちらの永平寺別院、長谷寺は地下鉄の駅(表参道駅)からは遠いのです。

それで、梅窓院から歩いて行ったら、永平寺の裏手のほうから行くことになりました。

裏手からでも境内が広いことがわかります。いきなり上の写真のように門が見えたのですが、入れないようになっていたので、入口の山門をぐるっと探しました。

門のところに、「専門僧堂」と書かれていることからわかるように、若いお坊さんの修行の場でもあります。
修行道場、いうなれば、曹洞宗の学校のようなものでしょうか。


麻布大観音といわれるほど大きな観音様が

ブログ冒頭の写真のように大きな門を通って中に入りました。

重厚そうな木でできた門でした。

中に入ると、本堂と鐘楼がありました。

まだ寒い時期だったのですが、鐘の周りはビニールで覆われていました。

鎌倉式の鐘だそうです。鐘をひとつきごとに礼拝するという一撞一礼で撞きます。

まだお正月の初詣の名残が残っているような境内です。

そもそもこちらの長谷寺ですが、観音堂が出発点だそうです。

慶長三年、鎌倉の長谷寺、大和の長谷寺と同じ木で作られた十一面観音像がお祀りされていた観音堂です。日本三大長谷観音だったそうです。

観音堂を補陀山長谷寺として開創したとのこと。徳川家康の時代に2万坪以上あるお寺だったのです。

正徳6年の時に二丈六尺の観音様を作ったそうです。

それまであった観音像は大観音像の宝冠の中に納めたそうですよ。

 



本堂へ行くまえに青銅でできた地蔵尊がありました。

裏に回ると、法衣に戒名が書かれています。

そこから本堂を写真を撮ってみたら、風神雷神の姿が見えました。

冬でありますが、木々の緑がきれいです。

きれいに整えられた境内です。

私が行った日は風に強いまだ寒い時だったので、これはこの風神からの風びゅーびゅーかと思うほど。


本堂の前は、風神雷神のお姿です。

中に入ってみたら、ちょうど3時だったかの法要の最中でした。

若い修行僧と一緒に法要を行い、教えている最中のようでした。若い修行僧30名、修行僧が10名いるとのことです。

私も一緒にお経を唱えました。

本堂は、法堂というそうです。春と秋に修行僧が入ってくるのだとか。



お寺としてのご本尊は、釈迦牟尼佛で、その隣に文殊菩薩、普賢菩薩がいらっしゃるとのことです。

ここ永平寺別院では、安居者を募集しているそうですよ。

高齢者や障害のある人でも受け入れるというところがいいですね。

私の中でも真面目な僧が集まるイメージです。

年に1度、大本山永平寺への宿泊研修があるそうです。

出家したら僧堂行事のほか、観音堂祈祷、法事、葬儀などを通じて学ぶことができます。

生活や勉学に必要な衣資料は支給されるそうです。

今どき珍しいくらい真面目な人たちが集まっているのでしょうね。

私も男なら、出家していたかも。

 

修行僧の場としての永平寺別院

こちらは、僧堂です。坐禅堂とも呼ばれるそうです。

三人寄れば文殊の知恵といわれる文殊菩薩が中央にあって、そこを囲むように修行僧ひとりに対して、1畳与えられているのだとか。

坐禅をする場であることはもちろんのこと、睡眠、食事をする生活の場なのです。

麻布大観音が安置される観音堂の中へ入る

今回のメインイベントである観音堂です。見た目がお城のようです。

永平寺別院に行きましたら、本堂や鐘堂もいいのですが、こちらに立ち寄るのをお忘れなく。

二丈六尺の大きな観音様ですが、実は、昭和二十年の戦火によって伽藍とともに焼失しています。

現在あるのは、さらに大きな三丈三尺(約十メートル)の大観音様を再建しました。

 

昭和52年に、前後十年の時を経て、麻布大観音と観音堂が建てられたということです。

木造としては日本最大級の観音様です。樹齢600年以上の楠1本を使って作られたそうです。

麻布大観音は十一面観音像ですから、その色々な面から人々の苦しみを救ってくださる観音様です。

間口六間二尺、奥行七間二尺の重層入母屋造りの観音堂ですが、現代っぽさも兼ねそなえています。
天井まで届きそうな後背です。

左手には蓮華の宝瓶を持ちまして、右手には錫杖を持っています。

後背にも仏様が見えます。右足を少し前に出しているという長谷式の観音様です。

向かって右下には、梅花観音様です。お花が可愛い愛らしさがある観音様です。

こちらの観音様の下には、坂東、西国、秩父の百観音をめぐった時の土が埋められているそうです。

それなので、ここ麻布観音様をお参りすれば百観音をめぐったことになって、功徳がいただけるとか。

しかし、私は実際にめぐるつもりですけど(まだどの霊場も途中なので、結願していないが)、気持ち的には先に巡ってきたということかな。

 

観音堂を一回りしてみました。

麻布観音様に向かって、左手には、鎮守の大夜叉明王が祀られていました。


観音様をお守りしているようにも思えました。

そのすぐ横にも観音様でしょう。小さめの観音様です

観音堂は、毎日、午前6時から午後5時まで開いているそうなのですが、寒い日だったためか、私のみ、独占してしまいました。

観音様とのツーショットを取ればよかったか。

永平寺別院禅行住坐立寶陀山と書いてあるのかしら。ところどころ読めません。

日本芸術院会員の大内青圃作の大観音像です。

観音堂では毎朝、ご祈祷をおこなっているそうです。

観音様の縁日である十八日、毎月18日の午後2時からは月例祭が行われているということです。

今度、月例祭に参加してみたいです。

こちらでは延命十句観音経を唱えました。観音経のフルバージョンを唱えたいくらいでしたが、そこまでやるとなると私の場合、30分くらいかかってしまいますので、延命十句観音経ですね。

般若心経を写経していましたので、納経所に向かいます。

大庫院が御祈祷や御朱印の受付場所

大庫院は、寺務所でもあり、客殿でもあります。調理室もあるそうです。

驚いたことにこちらの永平寺別院、長谷寺では納経を済ませて写経を預けますと、御朱印代は不要ですと言われました。

時間をかけて丁寧に御朱印を書いていただきました。合掌して受け取りました。

 

長谷寺庭園にも行ってみた

永代寺別院、長谷寺ではお墓もそばにありまして、お墓参りの人もやってきます。
お墓参りの人たちが休憩する場でもあるのでしょう。

きれいなお庭と微通亭という場所がありました。

ここにはなんとお稲荷さんです。

麻布稲荷と呼ばれるお稲荷さんが祀ってありました。

微通亭の天井のほうにお祀りしてありますので、上を見上げてみてください。

お寺とお稲荷さんはなぜか組み合わせなのですよね。


微通亭の横には、お庭と池があります。

その奥には、不老門がありました。

ただし、これ以上は入ってはいけませんね。

修行僧が出入りする場所なのでしょう。
ここから先は立ち入り禁止になっていました。

 

微通亭のまわりには、花や木が植えられていて、おそらく枝垂れ桜が見られそうです。

私が行ったときは、椿が咲いていました。

こちらの場所は、3月か4月頃がいいでしょうね。

池と花が映えそうです。

変わった形の梅の花が咲いていました。

永平寺東京には、梅の花が似合うかな。

後ろには、微通亭の麻布稲荷のお稲荷さんの狐の像が見えます。

狐は比較的新しい感じがしました。


手前には、石仏も見えます。

こちらの微通亭で少し休んでから帰ることにしました。

行きにもたちよった水屋です。後ろに少しだけ墓地が見えます。

水屋の水鉢には具一切、無量とか、頂禮とか文字が見えます。お経の文字かな。
龍の口から水が出ます。大きな龍と小さな龍です。

最後にもう一度、観音堂の写真を撮りました。

達筆すぎて読めませんが、額には園通殿、院かな。

どこかのお城と言われてたら、そのようにも見えるお堂です。

山門を出て外からも観音堂の写真を撮りました。

名残惜しいですが、また観音様にお会いしたいと思います。

自分では今まで東京のお寺にはいろいろ行っていた(七福神めぐりなどで)つもりでしたが、江戸33観音札所めぐりで、また新たな出会いがありました。

こういう機会でもなかったら西麻布に永平寺の別院があるなんて、気が付かなかったでしょうね。