私は、高野山の本家本元の山にも行きまして、総本山である金剛峯寺を訪ね、宿坊を利用したことがあります。

高野山に入った瞬間から空気感が違うということを身を以て体験しました。奥の院などにも行きましたが、高野山のケーブルカー駅を降りた時点でもう何かが違うのです。

和歌山県には行っていたのに、関東住みのわりに、高野山の東京別院には行ったことがありませんでした。

今回、青物横丁駅から品川駅方面に向かって歩きながら江戸33観音めぐりをしまして、港区になりますが、その先の高野山東京別院にも行ってみることにしました。

品川駅からは歩いて15分くらいかかりますので、私はその前に寄った一心寺からバスで行くことにしました。

一心寺のブログ記事は、こちら

>>一心寺(品川成田不動山)は3時までと知らず再度出直しで御朱印を江戸33観音めぐり第30番

他には、高輪台駅、泉岳寺駅、白金台駅でも歩いて行けます。

 

こちらの高野山東京別院は、高野山ですから弘法大師。そして、弘法大師といえば、四国八十八ヶ所の巡礼の旅です。御府内八十八ヶ所も御府内ですから、ここ高野山東京別院が札所1番となります。


江戸33観音めぐりの札所29番として行ってみた

私が行った日は、あいにくと、いろいろと工事中でした。合掌礼拝入山門と書いてありますが、ネットがぶら下がってみえませんね。

写真としては残念なのですが、おそらく結縁灌頂を前にして準備していたのでしょうね。

春と秋にある、結縁灌頂ですが、高野山のみならず、ここ東京別院でも行っています。

和歌山県まで行けない人、東京別院のほうが近い人には便利ですね。もちろん、和歌山県まで行って行うことも可能ですが、年齢のことなどでそこまで行けない人もいると思うのです。

私は結縁灌頂を体験したことがまだありませんが、どうなのでしょうね。どのようなものなのか、もう少しわかったら体験してみるかもしれません。

とりあえずは、札所めぐりの結願を優先です。


正式には、高野山真言宗総本山金剛峯寺高野山東京別院

門のところは、工事中になっていましたが、中に入ることはできました。

入ってすぐのところに鐘楼がありました。

高野山東京別院といいますが、高野山金剛峯寺の東京別院なのですね。

鐘楼やまわりの灯篭は思っていたよりも、真新しさを感じました。

 

 


悩んだ末に御府内八十八ヶ所の納経帳も購入

江戸33観音めぐりでは、観音様との同行二人(どうぎょうににん)なのでしょうが、御府内八十八ヶ所めぐりでは、弘法大師との同行二人でいいのかな。

弘法大師の像がありました。

後でも書きますが、御府内八十八ヶ所めぐりの納経帳も購入してしまいました。


 

めちゃくちゃ立派なお堂です。

しかし、やっぱり和歌山県の高野山のほうが私は好きかな。

南無大師遍照金剛の「遍照殿」となっていました。

お堂の中は、弘法大師の文字が入った額がありました。

ご本尊は、弘法大師です。

江戸33観音めぐりとしてのご本尊は、聖観世音菩薩ということになります。

ご本尊が弘法大師なので、メインの場所は弘法大師でありまして、内陣の左手にひっそりと、聖観世音菩薩の像がありました。

聖観音菩薩のご真言を書いた木札に「江戸三十三観音 札所29番」と書かれていました。

そのほか、堂内には、閻魔大王の像やお賓頭盧さまの像もあって、ロウソクをお供えできるようになっていました。

 



高野山東京別院は、高輪縁結び大師ともいわれているそうです。

高輪は、もともとは高縄と書いて、魔が入ってこないようにと結界の意味があったそうです。

縄ということでいろんなものを結ぶ、人と人の縁を結ぶなどで、縁結び大師なのですね。

ということは、婚活女子のパワースポットになるのかな?

 

高野山東京別院では、毎月、何かしら行事がありますし、習い事、写経や阿字観瞑想なども行っているようでした。

そういえば仏画教室というものもありました。

写経やみんなでお経を唱えるという教室もありました。


驚いたことに、お不動様の不動堂がありました。

護摩法要もあるようでした。

 

 



初詣の時はもちろんのこと、21日の初大師の日も護摩祈祷会があります。

やはり弘法大師ですから、21日はご縁日ということです。


四国八十八ヶ所のお砂踏みができる

四国八十八ヶ所の88番、大窪寺の文字が見えます。

令和2年でしたので、逆打ちの年です。

札所88番からお砂踏みしてみました。

しかし、砂なのでしょうか。

砂というか石のプレートという感じですが、めぐることには変わりないだろうと、気にせず回ります。

 



高野山東京別院では、実際にお砂踏みを体験できる会が6月にあると聞いたことがあります。

それは室内だったと思います。

石碑と石仏はどれも真新しく、出来きあがって間もないのではないかな。


 

高野山東京別院写経奉納塔

奥のほうに行きますと、写経奉納塚がありました。

それだけ写経を受け付けているのでしょう。

そのまた奥には、たくさんのお地蔵さまがいらっしゃる場所がありました。



 


神社のような明神社

神社のような「明神社」がありました。

こちらも新しく出来たばかりのようでした。

平成27年高野山を弘法大師が開創されてから1200年ということでいろんな行事がありました。

私は、4月に高野山で法要があると聞きまして、おそらくその頃が一番混雑するだろうと、大法会は避けて別の日に行きました。


本山の成満を待ってから、事業を発願したそうです。

唱えるのは南無大師遍照金剛ならぬ、「南無大明神」だそうですよ。

どうやら平成27年に丹生都比売神社、紀伊国一の宮の神社の宮司による鎮座祭をおこなって、奉祝祭、開眼法会が神仏混淆で行われたことが書かれていました。

ということで、ここは神社なのですね。

そもそも弘法大師が高野山を開く時もまずは神明社を祀ってから、だったのです。



以前、東京別院にも神明社があったのに、明治維新の頃の神仏分離令で神社がなくなって、この平成27年に再建されたのだそうです。

私が行った時は、この神明社のあたりが工事中でした。まだ完成していなかったのか、それともリニューアルだったのか。

山門のところもそうでしたが、いろいろと物が置いてありまして、お取り込み中、といったところです。

第一殿から第四殿まで社殿が並んでいます。

 

お守りや御朱印は、本殿左側でいただきます

写真をみると、左手に「写経できます」と、写経ができる旨のことが書かれていましたが、その日は他にも参拝する予定があったので、今回は、写経の体験は行わずに帰りました。

 

こちらの寺務所の窓口で、まずは江戸33観音めぐりの観音様の御朱印をいただきました。

 

 

そのあと、御府内八十八ヶ所の専用納経帳を購入しました。

88ヶ寺の御朱印をいただくわけですから、かなりの厚みになりますね。

今までの御朱印帳は厚手の紙でしたが、御府内八十八ヶ所の専用納経帳は、薄い紙になっていました。

発願してしまったので、何年かかってもいいやと開き直って御府内八十八ヶ所巡礼もすることにしました。

御府内八十八ヶ所は、札所の番号がバラバラなので、どこから始めてもいいのですが(番号順にも並んでいない)、やはり1番は、ここ高野山東京別院になりますね。