清水寺をイメージして作られたと聞く上野の清水観音堂です。

こちらは、何度も参拝したり、近くを通ったりしていましたが、今回は、江戸33観音めぐりの札所としての参拝です。

しかも、2月の初午の日に御開帳があるので、その日に合わせて行ってみました。

ただ、千手観音の御開帳を狙って来る人も多かったので、御朱印をいただく列が長かったです。いつもはそれほど待つということがなかったのに、です。

御朱印ブームだからでしょうか。

 

上野公園の中の観音堂

清水観音堂横の庭

今回はお正月の時に行ったときの写真もくわえてブログ記事を書きました。

平家滅亡の源氏に捉えられた盛久が鎌倉の由比ヶ浜で打首になるところを、観音様の不思議なご縁によりすんでのところで、助かったという有名な故事があるそうで、それ以来、あやかりたいと千手観音さまにお詣りする人が絶えることがなかったといわれています。

江戸時代から霊験あらたかな観音様として知られていたのです。

その打首の日というのが、午年の午の日、だったので初午の日に御開帳となります。

お稲荷さんのお寺ではないのにと、以前からなぜ、初午の日に御開帳するのだろうと思っていたのですが、なぞが解けた気になりました。

『平家物語』にも登場する「受難身代わり観音」だったのです。

 

初午厄除大祈祷会

御開帳の日にお百度参りをすると願いが叶うと言われているのか、どうなのか。

私が行った初午の日は、お百度参りしている人を数名見かけました。今まで何度も参拝していますが、それほど見かけたことはなかったですが、この日は、見ました。

私が御朱印を待っている時間帯でそうなのですから、けっこうな人数になったことでしょう。

数を数えるための、「こより」を手にして、清水観音堂の舞台づくりの板の上、本堂前を行き来していました。

子年生まれの人も千手観音が子年の守り本尊とのことなので、子年生まれの人もこの祈祷会に参加するといいですね。

 

上野の寛永寺を始めとするお寺で清水寺を模した観音堂

 

以前は法要に参加しない人も近くまでいって御開帳の観音様をみることができたのですが、今回は、法要に参加した人のみが近くまで行けるようになっていました。

私は、他のお寺にも行く都合上、御開帳に合わせた法要には参加しませんでした。

初午の日の法要は、午前10時と午後2時にありました。

大般若経転読をしてご本尊の御開帳、となるようです。

清水観音堂月の松

清水観音堂は願い玉をいう玉を5回、月のところにめがけて投げます。

月の松です。これは、遠く離れたところから月の松と清水観音堂をみると絵になるのですよね。

 

月の松の願い玉

これが投げられた願い玉でしょうね。

 

上野の寛永寺を中心とした御朱印めぐりでも人気

上野の周辺、寛永寺の根本中堂、両大師の開山堂、不忍池辯天堂、パゴタと上野大仏の御朱印と、一通り回っていると話をしている人もいました。

パゴタと上野大仏は、御朱印をいただける時間帯が短いのですよね。

 

天海大僧正が比叡山に習い、寛永寺を開いたということで、比叡山や京都の寺院を模倣した作りになっています。

清水観音堂は、ここからもわかるように、京都の清水寺を模して作られました。

上野の山では現存するお寺のなかで、創立年代がわかっている中で最古のお寺だそうです。

国の重要文化財に指定されています。

上野の中でも高いところにありますし、清水寺をイメージしているなということは、行ったことがある人ならすぐにわかるはずです。

清水寺に安置されていた千手観音像(恵心僧都作)を寛永寺開山の天海大僧正に平家の武将が献じたことから作られた観音堂です。

もともとは、東京文化会館の裏手にあるすりばち山に建てられたあと、現在の場所に移されたそうです。

 

こよりを手にお百度参りをしてもよし

法要に参加しない人にとっては、外陣から遠くにある千手観音を見ることになります。

扉は開いていましたので、見えるはず、なのですが、よくわからなかったです。

「千手観世音」と書かれた文字の額は見えるのですが。

本堂の中では写真撮影できないので、どれも外から撮ったものです。

 

江戸三十三観音札所第六番と書いてある木札が見えました。

とはいえ、江戸33観音めぐりで来ていた人はいるのかしら。

御開帳目的で御朱印もいただきたいという人が多かったように思うのです。

 

「清水の舞台から飛び降りる」といいますが、清水観音堂は願い玉を投げる

今は、初午限定の御朱印も多くなっていますから、私の後ろのほうでは、「今日は○ヶ所回った」とか、「これから○ヶ所回らないと」と話をしている声が聞こえました。

中には、御開帳の日は、特別な御朱印になるのでは?と期待してきたという人もいました。

しかし、いつもと変わらない御朱印でした。私は特に江戸33観音めぐりだったので、あくまでも、観音さまの御朱印です。

ご本尊の千手観音のそばの脇本尊としては、子育て観音がありまして、子宝に恵まれない人が、昔から参拝に来ていたのだと聞きました。

 

 

お堂の外から、写真を撮ってみたのですが、やはり観音さまはよくわからずです。

仕方がないので、おみくじを引いてくれるという獅子舞の写真をご覧ください(笑)。

それにしても、法要に参加しない人も御開帳の日は、見せていただけるといいのですけどね。

 

最後に清水観音堂の敷地内にあった人形供養の石碑です。

清水観音堂の人形供養

先程も書きましたが、観音様の脇にある子育観音ですが、清水観音堂に安置されている子育観音は子宝に恵まれない人が信仰すると願いが叶うと言い伝えられて来ているそうです。

それが叶って、子どもを授かったら、丈夫に育つようにと人形を奉納するそうです。

その奉納された人形と、ご家庭で子どもが使ってきた人形を秋のお彼岸の終わりにここに集めて読経のうえ、荼毘に付するとのこと。

この人形供養碑は、これら人形を回向して供養するために建てられたというものです。