実は全龍寺は2回行っています。

武蔵野三十三観音の御開帳は新型コロナの関係で一旦中止になったものの、一部のお寺は開いていたとのことも聞きました。

それで、ちょうど自転車にて全龍寺方面へ行くことがあったので、ついでにと脚を伸ばしてみました。

電車と歩き中心の巡礼なので、自転車は私としてはアウトなので、あくまでも下見ということで行ってみました。

サイクリングで行く予定の場所よりもさらに遠かったので、途中で引き返そうかと思いましたが、行ってみてよかったです。


入口に安産子育て守護地蔵があった全龍寺

地域の人々の信仰の対象だったのでしょうか。

小さなお堂なのに、赤い旗がたくさん立っていました。



こちらが全龍寺の寺標です。その前には、武蔵野第6番納経所を指し示すいつもの小坊主の看板がありました。

入口からすぐにあるのですね。

後ろには禅寺でよく見る「不許葷酒入門」の石碑がありました。こちらは歴史を物語る感じの古さです。



自転車から降りまして、全龍寺をみましたら、休みの日だったためか、私のほかにも二人来ていました。

しかし、御開帳の札には、御朱印、掛け軸、御影などの対応を控えさせていただく旨のことが書いてありました。

御朱印はいただけないとわかりましたが、参拝は可能になっていました。

後ろに見えるのは梵鐘です。



見た所、おそらく全部を建て替えしたばかりではないかと思うほど、新築っぽい感じがしました。

そのわりに、背の高い木々が生えていまして、古いお堂を全面的改築したのかなと思いました。

こちらの門の手前には、斎場がありまして、その前には広い駐車場がありました。

5番札所の多聞寺は、山門が古くて重厚感がありましたが、こちらの全龍寺は山門のようなものが見当たりませんでした。


十六羅漢や石燈籠、六地蔵もある全龍寺の境内

中に入って気がついたのが、羅漢像です。十六羅漢ですね。

壁にそって立っていました。



表情がリアルでおもしろいなと思いました。



境内に敷いてある小石の新しさに比べると十六羅漢は古びていました。

 



境内はこのようになっていて、新しさと古さがミックスされたような感じを受けます。

赤い柱の鐘楼が目立ちますね。

鐘楼の向こう側は墓地になっているようでした。



回向柱にはお手綱がつながっています。

大圓鏡智とか、成所作智、妙観察智など四文字熟語っぽいものが書かれていました。

境内の真ん中に立つ石塔の彫刻がいいですね。


本堂前には仁王像

本堂前には、仁王像があります。

お手綱は巻き上げられていましが、本堂からつながっていることがわかりました。

柱のほうは単に布だけという感じでしたが、本堂のほうは、三編みのように編んでありました。

 



「安松山」の寺額がかかっていますが、扉はしっかり閉じてあります。

周りがあまりにも新築っぽさがありますが、本堂の扉や額は古さが見て取れます。



仁王像とお手綱を中心に写真を撮りました。



全龍寺には、聖観音菩薩と一葉観音がお祀りされているそうです。

それを模した像だと思うのですが、観音様の像が2体立っていました。



聖観音菩薩の隣は、一葉観音です。

一葉観音の由来が書いてある石碑もありました。

一葉観音も由来を書いた石碑も比較的新しいように感じました。

 

一葉観音の説明書きもあり

これを読むと一葉観音についてわかります。

「一葉観音とは、三十三観音の十三番目の観音様で、一葉の蓮華に片膝を立てて座っているお姿をしています。

道元導師が中国に渡り禅の教えを学んで日本に帰国する際、洋上で暴風雨に遭い、一心に観音経を倡えると、蓮葉にのった観音菩薩が海上にあらわれ、たちまち風雨が治まり無事に帰国されたと云われています。

空海、円仁の祖師方をはじめ、野口英世博士なども交通の安全や水難から身を持って守ってくださる観音様として信仰されたと云われています。

当山との因縁は不明であるが、本堂内には、武蔵野三十三観音第六番霊場の本尊として祀られています」

と書いてありました。

やはり本堂内にお祀りされている観音様を模した像のようですね。

野口英世も洋行の時は、海上安全のために持仏として持っていったそうです。科学者でも観音様を持っていったわけです。観音様だとか、不動明王や毘沙門天など科学的ではないと言われやすいのですが、医学博士も観音信仰なのですね。

 



一葉観音の隣には、七福神の石像です。

その隣がおもしろいなと思ったのですが、廻し七福神なのです。丸いところが動くか、それとも単に丸いだけなのか。縁起物なのでしょうね。

 





入口の寺標のところにあった小坊主の看板がこちらにもありました。



十六羅漢のそのまた奥には、六地蔵がありました。

東久留米市のホームページによると江戸時代の石仏なのだそうです。

 



鐘楼の下には、ボタンの花が咲いていて、その奥には、インコを飼っている大きな鳥かごというのか、鳥を飼う場所がありました。

私が一通り見終わると、他にもいた参拝者がいなくなっていました。

あの方たちは、御開帳を目当てだったのかどうかはわかりません。


全龍寺へ二度目の訪問



6月に入って再度、御開帳となった武蔵野三十三観音です。今度は場所もわかっているので、5番霊場から歩いて来ました。

4番から5番もかなり遠かったですが5番から6番も住宅地ばかりとはいえ、かなり距離はありました。

前回、写真を撮りそこなったのですが、こちらの建物が全龍寺の境内に入る前にある斎場です。

普門閣となっています。



今回は、張り紙と剥がされて、御開帳であることがわかるようになっていました。

この時に、令和二年の御開帳は、十二月末日まで延長となったと聞きました。

この立て札は、そのままになっていましたが。

以前の70周年だか、75周年だかわからないのですが、その時は、半年間に渡って御開帳となったので、それを思えば、6月から12月までとなって、同じくらいの期間の御開帳になったのだなと思いました。

 



ただし、再度の御開帳とはなったものの、本堂の扉は閉ざされたままでしたし、お手綱は巻き上げられていました。

次回の85周年があるのか、それとも90周年になるのかわかりませんが、その頃はどうなっているのでしょうか。

観音様とお会いできるのかどうか。

回向柱には平等性智、妙観察智と書かれています。



小坊主が指し示すところが納経所です。受付所と書かれていました。

七福神の石像と廻し七福神

前回来たときは遠くからしか移していなかった「廻しし七福神」の亀です。

亀の上に載っている玉のようなところをよくみると七福神が隠れています。



隣の七福神と一緒になっていますが、こちらのほうが玉のところに浮き彫りになっていておもしろい形だなと思いました。



今回は、本堂のほうから、入口に向かって写真を撮ってみました。

これで境内の広さや小石が敷いてある境内の規模感がわかるかと思います。

 



前回と同じく、本堂の扉は閉まったままだということがわかるかと思います。


武蔵野三十三観音としての本尊である一葉観音の像を今回も写真を撮りました。

次回の御開帳では実物にお会いできるのかどうか。

前回と同じく、塀の周りには十六羅漢が並んでいました。



今回は、もうボタンの花はなく、木々の緑が濃くなっているような感じがしました。

六地蔵や石仏の多層塔も前回と同じようにありました。

4番から6番まで歩き巡礼しましたが、本日はここまでとして、その後は近くの水天宮に立ち寄ることにしました。