武蔵野三十三観音を巡っていると、お寺によっては、檀家さんが多く来ているお寺もあれば私ひとりがお寺の境内にいるということがあります。

もちろん訪問した曜日、時間によっても異なるでしょう。

雨天の日、晴天の日によっても異なると思います。今回の全徳寺では、山門のところでも人に会いましたし、観音様にお会いしている時も、御朱印で納経所に行った時も人に出会いました。

上の写真や下の写真を見るとわかるように、自転車で来ている人などご近所さんが多いような感じがしました。

地域の人に愛されているお寺ではないかと思った次第です。


全徳寺は無住のお寺を集めたそうで

北野院全徳寺と書かれた石碑とその後ろにはお地蔵様がいましたよ。

山門には、梅林山と額に書いてあります。そのように梅の花やロウバイの花が咲くお寺なのだそうですが、残念ながら時期が違ってしまいました。

全徳寺のロウバイは、所沢市の所沢百景にも選ばれているくらいです。

全徳寺は永禄年間の1558年から1570年くらいの頃に開創されたお寺だそうです。

その頃、この周りにあった数カ寺の無住のお寺を集めて全徳寺としたそうです。

 

広い駐車場がある全徳寺

その当時の無住のお寺を集めたからなのか、檀家さんが多いからなのか、全徳寺まで歩いて行ったとき、まず目に入るのが広い駐車場です。

私は実は、札所13番の金乗院を先に行きまして、その次に12番の全徳寺に行きました。

その時、歩いたのが、北野天神通りです。

西所沢駅からも、小手指駅からも距離があるのですが、北野天神社がここらあたりでは、一番の有名な神社のようでした。

しかし、次に行った妙善院とは反対方向だったので、北野天神には残念ながら参拝に行っていません。

歩き巡礼だとどうしても道すがら立ち寄ることはできるのですが、反対方向だと立ち寄るとそれだけ時間をロスしてしまうのですよね。

今回は、次の札所への時間を優先して、北野天神はいずれ機会があった時に参拝したいと思っています。

その点、車での巡礼の方々は、一緒に北野天神もお参りしてみてはいかがでしょう?

さて、余談はさておき、広い駐車場ということからわかるように、檀家さんが多いにしろ、車で来る人が多いのでしょうね。

それだけ駅からは離れた場所にあるお寺です。

山門の左右にお地蔵様です。

こちらの石碑には、曹洞宗梅林山と書かれています。

御由緒書きとともに、お地蔵様が向かい合っていますね。


普悲観音様の観音堂

山門を入ってすぐの場所に、観音堂がありました。

すぐにわかりますよ。観音堂の隣には、大黒様と恵比寿様ですね。商売繁盛っぽい感じになっています。

残念ながら、このご時世ですので、お手綱も巻き上げられていました。



まずは、観音堂にて、お経を唱えます。

観音堂の中をのぞいてみたら、衣に両手をいれたこぶりな形の観音様がいらっしゃいました。

珍しい普悲観音だそうです。手を衣に入れているので、お手綱の綱がお身体に巻きつけてありました。

指につながっていることが多いのですが、手が出ていない珍しい観音様ですから、そうしたのでしょうね。

 

観音堂から本堂や庫裏の方面を写真に撮ってみました。

本堂は、なかなか立派なお堂なのですが、火災で何度か焼けてしまって、こちらの本堂は、平成元年に建てられたお堂なのだそうです。

 



私は観音様の巡礼なので、本堂のほうでは一礼だけしたのですが、平成ということですから、山門よりは新しいのでしょうね。

御本尊は、釈迦如来なのだそうです。

それにしても立派な本堂ですね。


ロウバイの花と墨梅画で知られる全徳寺

それから比べると、鐘撞堂のほうが歴史ある建物の雰囲気あります。

今になって気がついたのですが、「全徳寺新築記念碑」があって、こちらも真新しいものでした。

所沢百景の紹介のページには、この梵鐘とロウバイの花がきれいにマッチしていて1月末から2月くらいは見頃なのだろうなと思いました。

13代住職である雲溪は墨梅画の作者として名をはせたそうで、そこからも「梅林山」という山号らしいお寺です。ロウバイは、観光協会の花の名所作りの一環として植樹したそうですよ。



お寺から出る時に、山門からオモテの道を写真に撮りました。

こちらにもお地蔵様がいらっしゃいます。

山門の前にいるお地蔵様も古い感じがしましたが、こちらも古びた感じが出ていますね。

全徳寺は本来ならロウバイの咲く季節がいいのでしょうが、残念ながらその頃には御開帳の時は終わってしまっていますね。

墨梅画とロウバイのお寺として、所沢では知られているお寺だということです。

所沢には数え切れないほど来ていますが、まだまだ知らないところはありまして、武蔵野三十三観音の巡礼でもしなかったらずっとご縁がなかっただろうなと思いました。