札所25番の久昌寺は、春の桜やカタクリの花が咲く時期と、夏の蓮の花が咲いた時期に行ってきましたので、両方ともご覧ください。

秩父札所めぐりの楽しみの一つは、花を見ることではないかと思っています。

それくらい花がきれいなお寺が多いのですよね。

スマホ写真では表現できないくらいです。写真が趣味の人は、ぜひともその時期、その時期のお花を撮りに秩父の札所めぐりしてもらいたいなと思っております。

入り口の黄色の花は、ミモザ(ギンヨウアカシア)でしょうか。

 


久昌寺はカタクリや睡蓮の花で知られる御手判寺

完全に逆光になっていて、暗くて見えなくなっていますが、山門と桜です。手前にお地蔵様と二十五番の石柱です。

ここから入るのが参道なのですが、この脇にも道がありまして、入ることができます。

奥に御手判寺と書いてある山門があります。

 



山門にもっと近寄って写真を撮りました。朱塗りの山門です。仁王門なのかな。

近寄ったら光の関係で、先程よりはわかりやすいですね。

久昌寺には、桜の時期に参拝できました。

その後行った時に、手前のところから写真を撮りました。



山門の脇の道からも、山門を通ってでも観音堂へは歩いて行けます。

ここの石段を登ったら観音堂です。

こちらも逆光のため、光ってしまっています。

観音堂まで行くところには、石仏が転がっていました。

首から取れてしまっているものも。


観音堂の隣は切り立った岩場に地層が見えて

こちらが観音堂です。

久昌寺では山門から一番近いのが観音堂になります。納経所は池のほうになります。

ブラタモリで、龍石寺が紹介されたそうですが、ここ久昌寺も、むき出しの岩場が観音堂の隣にあります。

 



観音堂の左隣りにあった地蔵尊の祠です。

 

後の崖を入れるとこうなります。

ブラタモリ的になりますね。



ご本尊の観音様はこちらに安置されています。

ここにも閻魔大王、御手判寺と書かれていました。

額には圓通閣だったかと。



観音堂の右脇に、秩父札所でよく見かけるいつもの奉納額の絵がありました。

寺の縁起にまつわるものです。

説明書きによると、

「堂は三間四面、表流れの向拝をふした方形造りで堂内には宮殿形の厨子がおいてあります。本尊は聖観世音立像で一木造り、座高五十六糎室町時代の作といわれます。

その昔、上ノ山奥野の女、心荒く父母親類縁者にも疎み果てられ自ら懐胎の身ながらも追い立てられ久郷の岩洞に住み、鬼女如く振るまい里人に恐れられていました。

女の子生まれて母に似ず神仏を尊び里人の助けにより、旅僧の持ちし観音像をまつり、母没後の菩提のために、この地を堂地にしたという、これが寺の草創である」

奉納額絵に描かれていたのは鬼のような女だったのですね。


古代蓮で知られる弁天池がある

観音堂の右脇を通って土手を上がると、池が見えます。弁天池ですね。

納経所と矢印が書いてあるので、納経所はすぐにわかりますよ。向こう側に本堂があります。

この時期は、蓮の花も咲いていないですが、後ほど、夏に参拝した時の写真もお見せします。

春ののどかな風景です。




納経所の方向に歩いてみたら、弁天堂があったので、そちらもお詣りしました。


先程の写真も逆光でよくみえないので、もっと弁天堂に近寄ってみました。

扉は開いていませんが、こちらの弁天堂も古い感じがしました。

日にちを違ってもう一度。

前よりは彫刻など、わかりやすくなったと思います。



観音堂でのお詣りは済ませたので、納経所へと戻ります。

納経所の手前には、小さなお地蔵様と水仙の花がきれいに咲いていました。


納経所に御手判の写真あり

 

久昌寺の秘蔵、実物の写真となるお手判石です。

私も早速買いましたよ。

秩父の三十四観音霊場を開いた十三権者については、音楽寺や慈眼寺のところで書きましたが、その十三権者のひとり、性空上人が閻魔大王から石でできた御手判を預かって、久昌寺に納めたと言われています。

音楽寺の時のブログ記事>>音楽寺は枝垂れ桜が有名で秩父事件で鳴らした鐘も23番

御手判とは、あの世へ行くための通行手形になります。

江戸時代は、関所の通行手形として知られていました。

お寺においては、閻魔大王に見せる通行手形ということでしょう。

説明書きによると、

「これは当寺の宝物で「石の御手判」と言われています。今から約七六〇年前、十三の尊者が秩父路の聖地を巡礼されました。その折、ここにまいりますと、二十五人の菩薩が大変よろこび迎えられました。尊者たちは二五菩薩に因んで二五番目の札所と決められ、その上に、尊者の一人性空上人(実は地蔵様の化身)は、前に冥土に行かれて多くの罪人太刀を救ってあげた事が有ります。その時に閻魔大王より御礼にいだただいたこの「石の御手判」を当寺にに納め、巡礼者に与えるよう伝えられました。

これは日本百ヶ寺札所の中で、当寺だだ一つの貴い物です。この「御手判」を受けております方は、いつも身も心も守られ、理想の世界に導かれると伝えられている、この上なく有難い「御印」です」とのこと。

けっこう大きな紙に刷られていましたよ。ぐるぐるの渦巻きが特徴でしょうか。



さて、桜のころの弁天池です。

納経所の対岸には、久昌寺にある砦跡があります。

ちょっとした小山のようです。

その対岸のほうに、カタクリの花が咲いています。



弁天池は、橋を挟んで右左に分かれているのですが、観音堂から遠いほうに、睡蓮らしきものがありました。

ただし、まだ3月では花もなく枯れている印象です。



写真ではわかりにくいのですが、道端に野生の?カタクリの花が咲いていました。

紫色の小さい花がそのカタクリの花です。

ついつい桜のほうに目が行って上ばかり見てしまうのですが、久昌寺では下も見るということで。



もう少しアップになっているカタクリの花です。

弁天池の淵にも咲いていました。



納経所で言われた通り、対岸の山のほうには、カタクリの花がいっぱいです。

寄居の鉢形城の城跡にもカタクリが咲いている場所がありますが、それと同じような感じです。

カタクリの花は群生しているのですね。


 



再度、こちらは池のほうのカタクリの花です。

弁天池や遠くに見える納経所、その後の竹やぶなども入れて写真を撮ってみました。

春の訪れを待っていたようなカタクリの花です。

 



なんだか桃源郷のような久昌寺の本堂、弁天堂、納経所、そして弁天池です。

これがまた、7月になると池の様子が違って見えるのです。


7月に行った時は古代蓮や睡蓮が咲いていた

前回の札所24番は7月に参拝しました。

その時、長尾根みちのそばを歩いて(一部は長尾根みちも)みて札所25番にも行きました。

法泉寺へは江戸古道を少し歩き、白山神社も通り、廻り念仏で有名な札所24番へ

酒造りの森のところも長尾根みちから歩いてくる人は通るので、そちらに行ってみた時の写真です。

遠くに見えるのは武甲山です。

結局、どこから長尾根みちのハイキングコースから来た道なのかわからないため、戻りました。



看板には、酒造りの森(酒造資料館)、400メートルと書いてあるのですが、わからなかったため、まずは、自動車道に戻りました。

 



久昌寺が近づいてくると、遠くに見えるが、浦山ダムが見えてきます。

雨が降ったり止んだりの天気だったので、晴れているように見えますが、ダムのところは、霧がかっています。

 



さて、畑道や住宅地を歩いていると、久昌寺に到着しました。

前回、3月に来た時と同じく、石碑に二十五番と書かれているのがすぐに目に付きました。

前回は桜の花でしたが夏ですので、葉っぱの緑が多いですね。



今回は、仁王門(山門)を通らずに、脇の道を通ってみました。

御手判寺の文字がみえますね。

奥のほうに見えるのが観音堂です。前回は、逆光で光ってしまっていました。

 



このように階段があって観音堂へ行きます。車は脇の道を通るのでしょうね。この先が土手になっていて、そちらに弁天池があります。



今回は、雨で濡れた参道になっています。

観音堂です。



前回よりは、奉納額絵をもっとアップに撮ってみました。

奥野の鬼女です。

読めなかった部分もありますが、「昔、欲深な女が山にこもって悪業をかさねた村人は思いあまって女を荒川に投げ入れたが一命を取り留め、其の後鬼女は女の子を出産したが親に似ず美しい心の持ち主で此の地に観音堂を建て母の菩提を弔ったと云う」と書かれていたかと。

 



先程も書いた久昌寺の説明書きです。

先程は、後半部分だけ書いていましたが、前半部分も紹介しておきます。

 

「この札所は通称御手判寺といいます。この由来は播州書写山の性空上人、秩父巡拝の折、閻魔大王から贈られた石の手判を当寺に納めたという。これにちなんで御手判寺ともいうのである」

と、説明書きにありました。御手判石の写真もありました。


観音堂のすぐ横の岩肌を遠くからみて

観音堂のすぐ脇も札所19番、龍石寺のような岩肌が見えています。夏だと、木々が生い茂ってわかりにくいでしょうが、ところどころ岩が見えています。

手前に草むらは、弁天池の土手になります。その先にピンク色の彼岸花に似たような花が咲いていました。


もっと近寄った時の観音堂と岩肌の写真です。

 


睡蓮と蓮が多くなっていた弁天池

さて、3月には殺風景な池でしたが、7月は様子がちがっていました。

これは、弁天堂近くの弁天池の睡蓮です。

ところどころピンクのつぼみが見えます。



こちらは、観音堂に近いところからの写真です。

私は、蓮と睡蓮の違いがわかっていなかったのですが、睡蓮は水面に浮かんでいるように花が咲くそうですから、こちらは、睡蓮ですね。

それに、葉っぱに切り込みが入るのが睡蓮だそうです。


睡蓮は一日のうちで、咲く時間が決まっているのだそうで、札所を23番、24番、25番と歩いてきたので、午後では開いてないようでした。

花はつぼみのように見えていました。

朝咲くタイプと夜咲くタイプがあるそうです。



春の時は、カタクリが咲いていた納経所の対岸のほうを歩いてみました。

7月だと百合の花ですね。

まずは弁天池を一周します。



7月ともなると、紫陽花は終わりの時期でした。

一部のみ、残っていましたが、枯れかかっているようでした。



春にはカタクリの花が咲いていた対岸のほうに来ると、今度は、蓮の花が見えてきます。



蓮の実がみえますね。蜂の巣のようになっています。

水面から茎が出ているので、これは蓮ですね。

未だに調べないと蓮と睡蓮を間違えてしまいますが。



弁天池をぐるりと回って、観音堂を入れて写真を撮りました。

これは蓮です。古代蓮と言われるものだと思います。



観音堂から離れた本堂に近い弁天堂の裏にはピンク色の蓮の花が見えてきました。

水面から茎が立っていて、そこにピンク色の花です。



蓮の実のほうが目立っていますが、手前にピンク色の花があるのがわかるでしょうか。

こちらはまだ、つぼみです。



なんとか、咲いている蓮の花を撮りたいと思っていましたが。

ちょっとだけです。



こちらの写真では、なんだか花が寝てしまっているような。

 



弁天池の真ん中に橋がありまして、そこからは、つぼみの蓮なら写真が撮れました。

蓮の実もあります。



蓮の実のほうが目立ってしまっていますが、ところどころ、ピンク色花が見えます。

ここは、3月の時は何も見えなかった場所です。

カタクリの花を写真に撮る時、遠くから池の全体を撮っていましたが、あの時は見えていませんでした。





今度は、睡蓮の花のほうに戻ります。

3月の桜の咲いていた時期とは、池の様子が違って見えました。



真ん中の橋を挟んで、睡蓮と古代蓮とに分かれているようでした。

7月は百合の花がきれいです。



本堂がある方向から、3月にカタクリが咲いていた久昌寺の砦跡の方向を写真に撮りました。

7月は、小山の木々がかなり茂っていますね。



3月の時も少しだけですが、睡蓮の葉は見えていました。

しかし、こんなに多くはありませんでした。




方向を変えて久昌寺砦跡の方向を写します。まわりの風景も3月とは違っています。木々の多さが目につきました。

弁天池のこちら側は睡蓮がたくさんですね。向こう側に蓮の花が固まって咲いています。

 


久昌寺の冬の光景

春の桜やカタクリの花の頃と、蓮や睡蓮の頃の次は、冬の光景です。

観音堂の裏も寒そうですが、なんと言っても池です。

弁天池がスケートでもできるくらいに凍っています。

春が待ち遠しいところです。

裏山もけっこうスカスカです。

夏にはあれほど木々の葉っぱが

生い茂っていたのに。

池の間の橋というか、渡れる場所を通りました。

夏は蓮花や睡蓮がたくさんあったのに、氷ばかりです。

裏山を登って、久昌寺砦跡を見ようかと思いましたが、日没が近かったので次回来た時にします。

帰りは稲荷社の方から帰りました。

遠くに武甲山が見えました。

稲荷大明神です。

稲荷社のほうから見た観音堂

今回見た寺標など。

今回発見した道案内の石です。

みぎ廿五番となってます。

こちらは小学校の前にある、右二十五番です。

馬頭尊

こちらは久昌寺から離れたところです。

廿二夜塔や子待塔です。

浦山口駅の近くある不動尊の水

札所25番の久昌寺からは浦山口駅に行き、そこから帰りましたが、浦山口駅近くには、不動の水があります。

最後にそちらもご紹介しておきます。

なお、浦山口駅の不動の水近くには、札所28番の橋立堂へ行くための歩行者の道があります。

ただし、歩行者ための迂回路ですから、車も自転車も通れません。

その迂回路を示す看板の近くに不動の水があります。



木に書いてあるのは、不動尊と不動名水となっていました。

湧き水のような場所と、蛇口がついている場所とに分かれていました。

鉄柵を挟んで、向かって左に不動堂があります。それでこちら側を不動名水と呼んでいるのかなと思いました。

 



久那水道組合が書いた注意書きを見ますと、

朝八時から夜七時までとなっていました。早朝や夜はご近所迷惑になるのでしょう。

飲料水施設管理費を二百円いただきますとなっていました。

あとは、駐車場内はエンジンを止めるだとか、路上駐車は絶対にしないこと、とか、近所の迷惑にならない様にする事などマナーですね。

赤い鳥居が印象的です。

神々しい感じがします。



こちらが鉄柵を挟んで右側にあった不動尊です。

ちょっとだけ小高いところにあります。

階段を登って参拝です。



不動堂の前には、お地蔵様の絵が飾ってありました。

不動堂の上のほうには剣のようなものも飾ってありました。

建物も古びていますから、歴史ある場所なのでしょう。



先程の蛇口のある場所を不動堂の方から写真を撮りました。

不動名水と書いてある木に、荒川村教育委員会とあって、荒川村があった時代にこのような設備にしたのかなと思いました。

今では市町村合併で、荒川村や吉田町などとともに秩父市となっています。

こちらの湧き水が出ている場所で、ちょっと水を飲んでみました。

私が行った時は、他のもハイキングや登山の帰りのような人たちが来て飲んでいました。

秩父では、このような名水は至るところにありそうですよね。

後ろの山から滲み出るのがわかりました。