前々回の最後にも書いた巡礼道です。

札所22番からの道についてはこちらの記事の後半に書いてます。

>>童子堂については旧童子堂跡地と明治巡礼古道の話も22番秩父三十四観音

看板には「巡礼みちハイキングコース」と書かれています。

札所22番から23番への道は、江戸古道と明治古道があるということ。そもそもは、童子堂が移転したため巡礼道が変わったのだということを書きました。

私の場合は、明治古道を中心に歩きました。

江戸古道は、旧童子堂が建っているところを通って、雑木林の中に入っていく感じでした。
旧童子堂のところくらいは、舗装された道路でしたが、途中からはおそらく山道になるのではないかな。歩いていないからわかりませんが。

 

そして、この明治古道も急な坂道があるということなので、諦めて自動車道(秩父荒川線)を歩きました。



ということで、ここから引き返しました。

時々雨の天気だったので、私は明治古道を歩かずに自動車道(秩父荒川線)を歩き続けました。


江戸古道を少しだけ歩いて札所24番へ


とはいうものの、江戸巡礼古道に未練たらたらの私は、秩父荒川線の自動車が通る道を歩きながらも巡礼の地図を見ていました。

すると少し歩くと、自動車が通る道、秩父荒川線のけっこう近くまで江戸巡礼古道が来るのだとわかりました。

そこで、江戸巡礼古道を歩いてきたら、馬頭尊の石仏?の先にある天保9年の二十二夜の石碑の近くから少し舗装道路を歩くことをみたのです。

ということで、その場所らしきところを通ってみたら、やはり、そうでした。

二十二夜と書いてある石碑を見つけました。

江戸巡礼古道と書いてある札もありましたから、間違いありません。



ちなみに、江戸巡礼古道を歩いていたら、この写真にあるような土の細い道を歩きます。

この雨でびっしょりの道を見た時は、江戸巡礼古道を選ばなくて(私の場合は明治巡礼古道を経由して江戸巡礼古道に合流する道ですが)正解だったと思いました。

たしかに札所2番の真福寺から降りてきた時も舗装された自動車道ではなく江戸巡礼古道を使って降りてきて、こちらのほうが風情があるなと思いました。

しかし、それも晴れた日だったからこそ、です。

このぬかるみの道を見た時は、選ばなくて正解だとしか思えませんでした。絶対、途中で転んでいるはず。


長尾根みちから自動車道へ戻る

ということで、江戸巡礼古道の中でも途中で、舗装された道(ただし、秩父荒川線の脇に入った道なので車は来なかった)を歩く部分になります。

看板には、「この道路は通り抜けできません」と書いてありますが、あくまでも、自動車は、ということでしょう。

札所案内となっていて、真ん中は通行止めになっています。

23番音楽寺から24番の法泉寺の方向はわかります。



途中まで舗装されているようですが、「通り抜けできない」と書いてあるところをみると、やはり途中で山道になるようです。

反対側の札には、「江戸巡礼古道」「長尾根みち」と書いてあって、ハイキングコース、人だけが歩いて通れる道であることを示しているようでした。

ということで、私もここで「長尾根みち」のハイキングコースから外れて、自動車道のほうに戻りました。

残念ですが、この時折降る雨の中では、山道を歩くには転んでしまうのは目に見えています。

6月、7月の頃はこのように天気も急変しやすいです。

8月の晴れの日が続くようなときでも夕立があったら同じことですが。

 



とはいえ、舗装されている道を見つけたら、またもや、巡礼道に戻りたいと思いながら歩きつづけました。

未練がましい歩きです。

途中で念仏坂、と思われる場所で、またもや、巡礼道へ。






木の札には、方向が書いてあるので、次の札所24番のほうへ進みます。

遠くに見えるのは、武甲山かな。



これが念仏坂なのか、よくわからなかったのですが、たしかに坂道です。

法泉寺へは、裏側から入ることになります。

法泉寺の本堂は長尾根の峠道への登り口になっていたそうです。



坂を登りきると、今度は下り坂になりました。

秩父では、このように至るところに、札所への道案内が立っているので助かります。

関係者の方々のおかげですね。

それを思うと、道案内もなかった、スマホの地図もなかった時代はどうやって歩いたものなのか。

私だったら、迷子になるのは、確実です。

舗装されている道ですが、道は濡れて遠くの山には、霞がかかったようにみえています。


白山神社を法泉寺のすぐそばに見つける

坂道を下っていくと、すでに時期を外した紫陽花がところどころに咲いていました。

しかし、法泉寺となっていたのに、鳥居がみえます。

お寺のそばに、鳥居や小さな祠があったのは、よく見かけたので、そのような場所かと思っていました。



ここで歩いてきた道を振り返りました。

百合の花が咲いていたので、それも記念に撮っておこうと。



坂道をさらに下っていくと、小さいながらも鳥居と社殿があります。

後で知ることになりますが、法泉寺で御朱印もいただける白山神社です。

御祭神は

菊理媛神(くくりひめのかみ)

伊邪那岐命

伊邪那美命

白山神社といったら、白山比咩神ですね。菊理媛神は、それと同じ神様のようです。



 

秩父市役所が書いた白山神社の御由緒です。

「当社の縁起について、書(新編武蔵)によると、養老元年(717)に越前の大徳法澄法師が、秩父峯に登り、しばらく滞在していたある夜のこと、品のある姫の姿をした神様が、天から降りてきて枯れ木で正観音をつくり『私は日の神なり』と大徳法澄法師に告げたと言う。それと同じくして後の山鳴りとどろき三社の神々が現れた。うち一人の神はこの山に住む白山姫の神と言い、時にはお寺を守るため十一面観音に化身すると言った」

ということが書かれていました。

山の神であるご本尊を守るためいる神様のようですね。

「その後、白山権現として祀られていましたが、明治に入りますと、観音堂から西南二百五十メートルの小山の上に間口十二尺奥行き十八尺の大きな社殿を建てて遷座され、社名も白山神社としてお祀りしたのです。別所村村社として大祭日には神楽、獅子舞等の催し物もあったと伝えられています。

この度、老朽化により百五十年ぶりに二十四番法泉寺脇に移築遷座されました」

かなり大きな神社だったのですね。

移転を重ね、神仏分離令で離れ離れになったのでしょう。そもそもは法泉寺が白山神社の境内にあったそうなのですが(神仏習合の時代)、神社はその場所を法泉寺に譲り、移動、遷座したということです。

それが元に戻ったような感じなのだと思います(本当に元に戻るには一緒の場所に、でしょうが)。

どおりで、新しい社殿だなとわかった次第です。


法泉寺は高台にあり石段は116段も

法泉寺が見えてきました。

ここまで来るのに、坂を登りましたが、法泉寺は石段を登らないといけないお寺の一つです。

高台にあるため、眺めはいいですね。



こちらが、その石段です。

ここを登らないと上で納経も、参拝もできません。

小坊主もくたびれて寝ているのかな。



境内に入って、本堂に向かって左側に六地蔵がありました。

その脇にも観音様でしょうか。

本堂の前には、なにやら茶筅みたいなものがぶら下がっていました。



本堂の両脇にその茶筅みたいなものがぶら下がっています。

法泉寺の建物の造りは、珍しくて、本堂前面の両脇に仁王門が組み込まれた形になっています。

本堂に仁王門を取り入れたという珍しい建築物です。


廻り念仏の大きな数珠あり

本堂の額には、「大悲閣」となっていました。

格子戸の中には、仁王様なのでしょうか。

本堂の中には、大きな数珠がかかっていて、大数珠を回して廻り念仏を行っている時の写真もありました。

それにしてもこの茶筅みたいなものは何だろう。他の人の写真では、緑ではなく茶色になっていましたので、本物の竹を使っているみたいなのですが。


お寺の説明書きのところからみえる秩父の山々です。

「この札所は三間四方形つくりで江戸中期になるもので、唐様を随所に配した変化のある意匠をこらして妙味のある本堂であります。

特に唐戸は凹字形に後退してつけ、左右に仁王様をまつり八角柱で変わった造りをみせております。本尊は聖観世音一本造りの坐像で高さ二十五糎室町時代の作で宋朝風のものと云われます。養老元年の昔、越の大徳泰澄の夢のお告げにより、この堂地に加賀の白山を勧請したものと云い、本尊も彼の山より表わし像を刻み、まつったと云う。又武州恋ヶ窪に慈悲深い遊女がこの観音を信じ、修行等朝怠らず食を供したと云う縁起があります」

加賀の白山を開いた大徳泰澄法師が、ここに白山を勧請したのが始まりということです。

高台ですから景色はいいです。特に、雨が降ったり止んだりの天気のためか、霧なのか、雲なのかがたなびく山々です。

 



後半に書かれた縁起に基づいて、この奉納絵は描かれているようです。

恋ヶ窪の遊女として、遊女が描かれていました。



もう少しアップに撮りました。

恋ヶ窪の遊女は口の中の病気があったようで、この白山の観音様を信じて楊枝を使ったら治ったということです。

やはりこの観音様は、白山の観音様(白山観音)なのですね。


恋ヶ窪の遊女にまつわる黒文字楊枝守りあり

本堂に向かって右側に納経所がありました。

 



先ほどの恋ヶ窪の遊女のことがこちらにも書いてありました。

「恋ヶ窪の遊女が口の中の病にかかった時秩父の修業に来て白山の観音様を信じてこの楊枝を用いたところ口の中の病は忽ち癒えてしまった」

それだからか、黒文字楊枝守りが売っていました。


白山神社の御朱印もいただいて

白山神社の御朱印もここでいただけます。秩父別所となっていますね。

私は、御朱印もそうですが、菊理媛神の御姿もいただきました。

ご利益は縁結びと夫婦円満だそうです。

納経を済ませ、御朱印もいただきました。

今度は、表参道である石段から降りてみます。


116段の石段が難所かも

けっこう急な坂になっている石段でした。

降りる時は手すりにつかまらないと、危ないかもしれません。



弐四番と書いてあるのかな。石段の下に石碑がありました。

それにしても登る前にみたら、すくみそうな石段です。



表参道から来ていたら、ここに説明があったので、白山神社の御朱印は法泉寺の納経所で受付することがわかります。

先程の境内にあった秩父市の教育委員会の説明とほぼ同じですが、説明書きがここにもありました。

こちらのほうが、新しく作ったもののようで、恋ヶ窪の遊女の話は、さらに付け加えられていました。

「又、武州恋ヶ窪の遊女、口内の病に悩んでいたところ、秩父の修行僧が一本の楊枝を与え、白山の観音様を信じてもちうべしと教えられ、歓んで信心し、かの楊枝で口内をそそいだところ、忽ちにして癒えたという縁起があります」

このようにさらに詳しくなっていました。



こちらから来ていたら、この数字も目に入ったでしょうね。

納経所これより百拾六段です。

お寺によっては、たまに納経所だけは階段の下にある(坂東の札所2番岩殿寺のように)というようなこともあるのですが、ここ法泉寺は違います。階段を登ってこその納経所です。

とはいえ、私のように裏から来るという手もあります。

私の場合は坂道をハアハア言いながら登りましたが、車は通れそうに思いましたから。



法泉寺前の道標です。

「右廿四番入口」と書いてあって、真ん中に「観世音」です。

「左二十五番道」ですね。

ここから見ても、石段の高さがわかりますよね。頑張れ~と言いたくなるような。



法泉寺のまわりを歩いていたら、すぐそばに、このような神社も見つけました。

こちらの石段は少なくてすみそうです。それにしても名前が見当たらなかったので、何神社かはわかりませんでした。

歩き巡礼だと、祠だとか、石仏だとか、このような神社だとかをたくさん見つけますね。