高麗神社の近くをめぐり聖天院に行きまして、次は勝音寺です。

高麗川沿いになります。高麗聖書教会という教会のそばにあります(田んぼがあって、少し奥まったところに)。

武蔵野三十三観音めぐりでは中盤で、狭山観音めぐりも一緒に行っていたのですが、狭山観音は歴史が古いためか、けっこう廃寺になっているところがありました。観音堂だけ残っているような場所です。

それから比べたら、まだ武蔵野三十三観音はお寺に人がいない、ということは少ないなと思っていました。

しかし、例外のひとつはこちらの勝音寺です。兼務寺院になっているそうです。


人はいないが管理はされている勝音寺

兼務の寺ということですが、上の写真のように梵鐘もあります。

本堂も立派ですし、庫裏もあります。

草ぼうぼうというようなお寺ではありません。

ただし、御開帳ですが、当然のことながら観音様には会えず、ということになります。

人がいないのに、文化財である観音様を扉を開けたままにして、置いておくこともできないのでしょう。


花頭窓も立派ですね。

法要など行うときがあるのでしょうか。

それにしても本堂と対比して、回向柱の真新しいこと。

観音様には会えないですが、お手綱は巻き上げになっていませんでした。

握手できますね。

ということは、この扉の向こう側には観音像があるのでしょうね。

日高市のホームページによると、

勝音寺の本尊として安置されています。千手観音の右側に不動明王、左側に毘沙門天を両脇侍とする珍しい三尊構成です。

三尊とも檜材寄木造りで、像高は千手観音が52センチメートル、不動明王は39センチメートル、毘沙門天は41.5センチメートルです。千手観音の台座で発見された墨書銘に、享保18年(1733年)の修理を行ったことと、南北朝時代の延文5年(1360年)に再興されたことが記されていました。昭和61年に三尊の解体修理の際に、千手観音の像内から天正9年(1581年)の年紀を持つ4枚の銘札が発見され、このときに鎌倉仏師の法眼長盛が手を加えたことがわかりました。法眼長盛は大蔵法眼とも名乗り、聖天院本尊不動明王の造立も行っています。



柱には「開扉千手観世音菩薩為十方群類結縁参詣者諸願成就」と書いてあります。

雨が降り出してしまったので、お手綱にも雨粒がぽつぽつと見えています。

空がどんよりとしているから、なんとなくわかるでしょうが。

勝音寺はなんども火災に見舞われたのだそうです。こちらの観世音菩薩像は、耐火製の厨子の中に入っているとのこと。勝音寺の御本尊が観世音菩薩坐像ですが、そのほかにも不動明王像、毘沙門天像も一緒に入っているそうです。

昭和61年に解体修理され、千手観音像から天正9年の記載がある銘札が発見され、鎌倉時代の仏師長盛(大蔵法眼)が手を加えていたことがわかっているそうです。

今では日高市の指定文化財になっていると千手観音像です。


御朱印は書き置きを差し替える

私は観音様の御姿(御影札)も一緒に購入しているので、こちら勝音寺に来たときは、一瞬、もし御姿が購入できなかったら、と心配しましたが、書類箱を開けてみたら入っていたので安心しました。

御朱印は、代金を置いて、書き置きを差し替えします。

 


勝音寺の千手観音坐像のほか大般若経も市の指定文化財になっている

境内には百日紅も咲いていました。

日高市の指定文化財もありますし、なんだか住職がいないのはもったいない気がしました。

勝音寺には、千手観音坐像のほかにも、指定文化財に「大般若経」もあります。

1362年から64年に写経したものも残されています。

 

釈迦が説いた教えを記録したもので、600巻余の膨大な経典です。これを大般若経と呼びます。僧昌旭が康安2年(1362年)から貞治3年(1364年)の3年間をかけて600巻を写経しました。ただし、600巻の内87巻は享保8年(1723年)に補写されています。

高麗神社には、国の指定文化財になっている大般若経があるそうですから、ここの高麗神社付近は文化財の宝庫といえるでしょうね。



庫裏もありましたし、お正月やお盆の時期には、兼務の僧侶がこちらにやってくることもあるのでしょうか。

こうやって回向柱も建っているわけですし、僧侶が書いているのか、地域の人が書いているのかわかりませんが、御開帳には参加されていることはわかりました。

御開帳でも無ければ、御朱印もいただける機会がないのかなとちょっと思いました。

これは御開帳の時期以外に参拝した人がいたら、聞きたいところです。

日高市の指定文化財もあるくらいのお寺ですから、これからもきれいに管理して勝音寺を維持していってほしいなと感じました。

 

勝音寺の近くには高麗郷古民家や巾着田もあり

勝音寺の近くには、曼珠沙華(彼岸花)で有名な巾着田もあります。

高麗川がぐにゃと曲がって上からみると、まるで巾着の袋のような形の地形になっていることからそう呼ばれているそうです。

高麗駅方面に歩いていくなら、巾着田に立ち寄るとか、高麗郷古民家に立ち寄るのもいいと思いますよ。

残念ながら私が行ったときは、この高麗郷古民家は休館日でした(私が行った時点の休館日は月曜日と火曜日)。

それでも外から建物全部とはいかなくても見ることができました。