円泉寺までは、飯能駅から最寄りと思われるところまでバスに乗りまして、その後、20分くらい歩いて行きました。帰りは、すべて歩いて、今度は東飯能駅まで歩きました。この時は、40分以上は歩いたと思います。
山を遠くに見ながら、畑が多いところを歩いて行きました。途中に、幼稚園や小学校があるのを見ながらのどかな風景の中を歩いていきました。後でみたら、久邇カントリークラブがそばにありました。
円泉寺のすぐ隣には妙見宮があります。こちらについては、最後のほうに書きます。
円泉寺くらいの札所番号になると、だんだんと不便な場所になってくるという印象です。
入り口の寺標は真新しく、作ったばかりの印象です。六地蔵の先には「武蔵野七福神」「福禄寿」の旗が見えます。
六地蔵も新しい印象ですが、参道自体も新しいですね。新しくリニューアルして、できたばかりなのでしょうか。
円泉寺には本堂、観音堂、大師堂、阿弥陀堂ありで弁財天様も
大師堂です。こちらも新しいですね。まわりにある石燈籠は古びていますが、大師堂はリニューアルされたように感じます。
そして、石仏です。これは武蔵野三十三観音めぐりで、何度か目撃した奥多摩新四国八十八ヶ所の像ですね。57番となっていました。
入間市の東光寺、飯能市の浄心寺そして所沢の新光寺、実蔵院でも見かけました。しかし、これほど新しいものは初めてです。
いつも弘法大師とたぶん各お寺の御本尊でしょう。今回の円泉寺では、弘法大師と阿弥陀如来となっていました。毎回ミニタイプのかわいい石像だなと思っていましたが、今回の円泉寺では、かなり新しいものだったので、時折新しくするのかなと思いました。
圓泉寺は埼玉県で最も古い武蔵野七福神のひとつ
山門のところには、杖を持ったお地蔵様がいましたよ。かわいい顔のお地蔵様です。
武蔵野七福神の旗が境内に見えます。まっすぐ前に見えるのが本堂です。
今までの22番の円照寺、23番の浄心寺、24番の観音寺、さらには13番の山口観音(金乗院)もそうですが、こちら25番の円泉寺も武蔵野七福神のひとつで、布袋尊を担当しています。
武蔵野三十三観音で知ったお寺ですが、もしかしたら、武蔵野七福神でこれから行こうと思っている人もいるかもしれませんね。
埼玉県で最も古いといわれる武蔵野七福神です。昭和6年にはできていて、昭和13年にはお参りが始まっていたという戦前から続く七福神めぐりだったのですね。
だいたい1月1日から10日くらいまで行っているそうです。この時に福禄寿の御開帳なのだそうです。
私の場合は、この武蔵野三十三観音めぐりで、すでに布袋尊(山口観音、金乗院)、毘沙門天(浄心寺)、弁財天(円照寺)、寿老人(観音寺)はめぐってしまったということです。そして今回、円泉寺で福禄寿、です。
紫陽花の花手水になっていた
手水舎のところは、花手水になっていました。今、流行りになっていますよね。
ちょうど6月の紫陽花の頃だったので、紫陽花の花がいっぱいです。きれいですよね。
目の前に見えるのが本堂になります。横に広い感じでした。
こちらの円泉寺は、弘法大師が巡錫(じゅんしゃく)の時に開いたお寺と由緒にあるそうなのですが、江戸時代の火災で詳しいことがわからないそうです。境内には、江戸時代初期の住職の石塔があるそうです。
境内には本堂のほか、観音堂、大師堂、阿弥陀堂、天神社、そして妙見宮があります。昔は神仏習合でしたから、神社もあるのでしょう。
御本尊は、不動明王とのことでした。
武蔵野三十三観音としての御本尊は、十一面観音です。
歴史が古いと思われるのですが、一時期衰退していたけれど、天正年間、ならびに享保年間に再興され、慶秀が中興の祖として開山されたそうです。
本堂のすぐ左側に観音堂と弘法大師修行像があり
本堂と観音堂の間に前には、弘法大師の修行しているお姿の像がありました。
ごく一般のお家のような観音堂です。
縁側にようにみえる部分もありました。
回向柱は、お手綱も外されていました。
巻き上げではなく、すでに無かったです。
南無大師遍照金剛と書いてある石の柱ととも写してみました。これなら、観音堂と本堂の位置がわかりますね。
本堂がけっこう広いことがわかるかと思います。
寺務所は、本堂に向かって右側にありましたが、御朱印をいただいた場所は阿弥陀堂です。
観音堂の前にはかなり大きな木が植えられていました。
その手前には、紫陽花が生けてありました。
お昼すぎに行ったのですが、観音堂のところに工事の人がいて写真がなかなか取れなかったのですが、午後になったら仕事場へ行ったのでなんとか写真が撮れました。
観音堂の扉が少しだけ開いていたので中をのぞいてみました。木像の十一面観音がいらっしゃいました。
観音堂の扉は、ほとんど閉まっていたのですが、観音様の前の扉は開いていましたから、御開帳になるのかな。
売店や休憩処でもある阿弥陀堂で御朱印をいただきました
阿弥陀堂です。
こちらは休憩所でもあり、お茶所でもあり、パワーストーンも売っている場所となっていました。
中には、円泉寺で一番古いといわれる阿弥陀如来像があるとのことでしたが、気づきませんでした。
こちらで今回は、御朱印を書いたものをいただきました。
御朱印は休止と書かれていたのですが、本堂のところに、阿弥陀堂で御朱印を置いてあると書いてありました。
すでに書いてあるものと差し替えです。パワーストーンの売店(匠工房)の人がいたからいいようなものです。
この方がいらっしゃらなかったら、ずっと武蔵野三十三観音は結願できないままで終わってしまうところでした。歩き巡礼ですと、なかなか再訪も難しいですからね。
武蔵野三十三観音としての御朱印をいただく時に、武蔵野七福神の御朱印も一緒にいただきました。
住職が書いた福禄寿の顔になっている御朱印です。福と禄と寿の文字を使っています。
住職が書き溜めたものが置いてあったのです。
札所の番号が後半のほうになると、けっこう書き置きと差し替え、ということが多かったです。
それでもお参りして御朱印をいただけると安堵しますね。
こちらは、観音堂の前にあった弁財天をお祀りする場所でした。銭洗弁財天だそうです。
蛇が2体ありました。白蛇様ですね。これから弁財天堂にするのでしょうか。
阿弥陀堂のほうにも弁財天様が祀られているそうです。私も売店のところで御朱印をいただく時に見かけたような気がします。
すぐ隣には妙見宮あり
すぐ隣には妙見宮へ登れる階段がありました。
円泉寺まで歩いていた時は、道路から先に見えたのがこちらの妙見宮で、小高い丘のようなところに建っていました。
もともとは平将門が京都で学んでいた時、中村妙見宮に危機を救われたそうで、東に帰る時に、その御神体を拝受して守り神にしたといわれています。
平将門の影武者である綿貫豊八が平松村に落ち着き、その妙見菩薩をここに祀ったのが始まりといわれています(ここのまわりは、飯能市大字平松となっている場所)。
妙見宮へは外の道路からも行けるようになっていますが、こちらの円泉寺の脇からも階段で登れるようになっていました。
階段のところにある紫陽花がきれいに咲いていました。ここにある紫陽花が花手水になっているのかもしれませんね。
手前には馬頭観音様の石碑がありました。こちらには、お供えの菊の花がありました。
歩き巡礼の途中で見かけた加治神社
円泉寺とは関係がないのですが、円泉寺まで歩いている最中に、御開帳の文字を見ました。天神様の御姿を御開帳だそうです。
加治神社と書いてありました。それも本開帳が三十三年ごとという長いスパンでの御開帳です。
真ん中の年に中開帳が行われるそうです。
平成31年3月の最終日曜日に春祭りだそうで、その時だったみたいですね。
そうなると昨年終わったばかりですから、今度は中開帳を待つしかないですね。
天神様ですから、菅原道真公ですね。「導き天神」と称えられ、学問の神様になっています。開運や厄除けの神様でもあったのですね。
歩いているところから、100m先となっていたので、次の札所に行くためにこちらの加治神社には行ってなくて遠くからだけしかみていません。遠くにも鳥居がみえました。
神社でも御開帳ということをやるのだなと思った次第です。