電車と歩きをメインにした武蔵野三十三観音めぐりの続きです。
今回は、如意輪寺を出て札所5番の多聞寺を目指します。
なお、今回は、札所4番から6番までを一気に歩こうと思っていました。
地図でみると軽く行けそうに思ったのですが、4番から5番も距離があったし、5番から6番も距離がありました。
しかし、どちらも住宅地なので、もし喉が乾いたとなれば自動販売機も、コンビニも見つけることができたのはよかったですね。
番号が後半になるにつれ、山のほうへと入っていきますからね。
紫陽花と共立学校のヒバに出迎えられた多聞寺
いつものとおり、なぜか山門からではなく脇から入っていきました。
車の往来はある方の道からです。
このブログ冒頭の写真のように、寺標の石碑も新しかったです。
そちらから入ると、まず目についたのは、紫陽花とこの共立学校跡の立て札です。
市指定旧跡となっています。
共立学校となっていたので、共立女子大かと思ったら、この地の村々が共同で作った学校とのことでした。
明治17年に新築でこの場所にあったそうです。
当時あったヒバの木は2本だったのだそうですが、今も残っているのは、1本のみということです。
でもこうやって残しているのですね。
多聞寺のことに話を戻します。
山門ではなく、脇から入ったので、本堂よりも薬師堂のほうから来ました。
しかし、そちらから入ったからこそ、紫陽花がきれいに咲いていることに気づくことができました。
六地蔵も後ろ姿になっています。
多聞寺の中に入ってから山門の存在に気づきまして、山門へと歩いて入り直しました!
宝塔山多聞寺です。御開帳の立て札がありました。
当初、6月30日までとなっていたので、6月中に回らないと終わってしまう!と慌てていた頃です。
ここの札にも期間としては、令和二年四月一日から、六月三十日までとなっています。
多聞寺の山門は一見の価値あり
山門がすごいのですが、その前に、手前に見える看板にも書いてありますが、東久留米七福神霊場の毘沙門天が多聞寺です。
ご本尊は毘沙門天なのですね。
もちろん武蔵野三十三観音ですから観音様もいらっしゃいました。
七福神めぐりでは毘沙門天のお寺
多聞寺の山門は、東久留米市の指定文化財になっています。
それによると「江戸時代の嘉永5年頃の建立と考えられます。また、天保年間に材木を落合川に流して江戸に運び、獅子の彫刻を彫らせたとも伝えられています。
総欅造りの四脚門で屋根は銅板葺、禅宗様を主とした折衷様で造られています。控え柱(細い柱)の上部の獅子鼻(獅子の形をした飾り)や妻(横側)の海老虹梁(中央が上に湾曲した梁)の彫刻はすばらしく、江戸時代末期における地方の建築技術の特色を示しています。また、柱の上部は二手先(二段組)の斗きょうの形をした組み手)で大きな屋根を支えており、重厚な趣を感じさせます」
と書いてありました。
江戸時代末期の建築や彫刻のあり様がわかります。
確かに重厚な造りです。
欅で造られているのですね。獅子頭については、先ほどの写真のほうがわかりやすいかな。
この写真は、主に脚の部分をメインに撮ってみました。
前に見えるのは、本堂と回向柱です。
さて、山門から入り直した多聞寺です。
本堂と回向柱とお手綱がみえます
赤い旗もいくつかみえたので、檀家さんがしっかり支えているのでしょうね。
先ほどの入ってきた時にあった薬師堂よりも本堂が新しくみえます。
調べてみたら、弘法大師誕生1200年を記念して昭和50年に建てられたものだそうです。
道理で新しく立派だと思いました。
本堂には、ご本尊であり、東久留米七福神めぐりの毘沙門天と観音様が祀られいるそうです。
しかしながら扉が閉まっていて見えません。確かにお手綱はつながっていました。
その立派な本堂から山門をみたところです。
回向柱に綱がつながっているのは、わかりますね。回向柱に弘法大師のお寺、真言宗とわかる「南無遍照金剛」「三密加持」の文字が見えました。
今や、別の意味のほうが有名になってしまった「三密」です。
それにしても山門はこちらの高いところから見ても重厚感があります。
こちらからみると赤い旗が立っている方面が、最初に私が入ってきた方向です。
薬師堂などがあるほうです。
本堂の扉が閉まっていたので、中が見えなかったのですが、本来のいつもの御開帳だったら、中が見えたのでしょうね。
本堂にある須弥壇が毘沙門天のお使いとなるムカデが描かれているそうです。
お経を唱えてから本堂に向かって右手にある納経所へ行きいました。
いつもの小坊主が指し示しているので、すぐにわかります。
こちらにも紫陽花がきれいに咲いていました。
普通のお宅のように見えましたが、ブザーを押して中で納経です。
納経を済ませて次の札所6番へと急ぎます。
納経所を出たところから檀家さんが使う会館のようなものがあって、そちらに瓦が置いてありました。
この瓦は以前の本堂にあったものでしょうか。
手前には、子育て観音らしき像が立っていました。その奥にも紫陽花の花がみえます。
後で多聞寺のことを調べてみたら、多聞寺には、板碑が残っているそうです。
それに気が付かなかったのも残念でした。
さて、次の札所6番までもけっこう距離があるのですよね。