いきなり結願の証をだしました。
やっと武蔵野三十三観音めぐりが結願いたしました。
八十周年記念の「結願腕輪」もいただけました。数に限りがあるようですが、なんとかいただけました。
前回から書いていますように、最後の2ヶ寺は歩き巡礼(山登り巡礼?)ではないのですが、結願することを優先させました。
そのため、雨が時折降るという天候でしたが行ってきました。
ここ武蔵野三十三観音の最後の結願寺である竹寺は、前回の子の聖を祀る子の権現天龍寺と一緒に行く人が多いです。
それは参拝目的の人だけでなく、ハイキングの人たちも、です。
どうせ山のぼりするのなら、子の権現と竹寺を一緒に回ろうということです。
★竹寺の御開帳の参拝を兼ねて、翌年に竹寺と子の権現を歩き巡礼しました。これで武蔵野三十三観音霊場はすべて徒歩で行ったことになります。
竹寺というが八王寺
竹を模した入り口の柱と茅の輪を模した入り口の輪です。ここから先に見えるのが竹寺の駐車場です。
神仏習合の遺構と書いてあるように、竹寺は仏教(お寺)と神道が混在しています。神社はすなわち寺である、ということです。
天台宗、医王山、薬寿院、八王寺です。牛頭天王別当です。
しかし、竹寺という名前のほうがずっとよく知られています。
子ノ権現も天龍寺というよりも子ノ権現ですよね。
医王山とか、薬寿院とか医薬に関係する文字が並びます。牛頭天王も京都八坂神社、かつての祇園社で知っている人がいるかもしれませんね。
2021年は12年に1度の丑歳大開帳がある竹寺
埼玉県立奥武蔵自然公園の標識の上にあった竹寺の地図と料理の案内です。
ここにも書いてありますが、令和3年は丑年で、牛王ということからなのか、丑歳の大開帳があります。
12年に一度の吉縁です。
私も丑年にまた、お参りしたいと思っています。
それにしても牛王天王ですが、一体何の神様なのか。
神仏分離令でも権現や牛王天王は名前を改めるようにいわれています。
子ノ権現のような権現や牛王天王はよく知られる神様だったのですね。
牛王天王は八坂神社(祇園社)のご祭神として知られていました。
平家物語の冒頭にある「祇園精舎の鐘の声」といわれる祇園精舎は天竺五精舎の一つで、印度にありました。
この祇園精舎を守っているのが牛王天王です。
密教、道教、陰陽思想と習合して日本に伝わった神様といわれています。
日本では、なぜか、陰陽思想とかかわりがあり、素戔嗚尊(スサノオノミコト)と同体とされました。
新型コロナでは、「疫病退散」がいわれまして、神社で「蘇民将来之子孫也」の御札を配ることを見かけたとことがあるかと思います。
京都八坂神社では早期終息を願って、神事を行いました。
八坂神社の祇園祭りはそもそも「疫病退散」のお祭りです。
お寺ですが、鳥居があります。鳥居には「醫王山」の文字です。
石柱には牛王天王参道と書かれています。
武塔神が嫁探しの旅に出て一夜の宿を求めたのが蘇民将来の家です。他の家は断られたのですが、蘇民将来が受け入れました。
武塔神が速須佐之男命であると明かして、将来、疫病が流行ったら、蘇民将来之子孫であると言った人、茅の輪を腰につけた人は疫病におそわれることがない、と教えたのです。
武塔神は後に、八王を得ることになりますが、武塔神はスサノオノミコトといわれ、牛王天王と同体となり八坂神社では、牛王天王を祭神にしています。
竹寺では、頭に牛頭となって、片手に斧を持ち、片手に茅の輪みたいな索を持った木造の牛王天王坐像があり、そのまわりには八王子がお祀りされています。
竹寺の山内案内図です。
竹寺の本坊の他に弁天堂があったり、観音堂があったり、竹トンネルがあったり、牛王天王のお社があります。
鳥居をくぐって最初に見えるのが弁天堂です。
弁天池と弁財天様も見ました
こちらが、弁財天さまをお祀りしている弁天堂になります。
弁財天さまと言ったら、水です。
弁天堂の裏には池がありました。
さらに奥へと進むと竹寺らしい光景がみえました。
竹林ですね。
竹林の中にあった木のところに、このような彫刻が隠されていました。
こちらは南国風の感じがする彫刻です。
その先に竹が並んでいる物がみえました。
鈴木白祇句碑がありました。
しかし文字がよくわかりません。
先程の竹が並んでいたものは、竹メガネ、望遠鏡です。
「凸ばった下界を○く見てください」とのこと。角ばかりの下界です。
立川、所沢、川越、筑波山などのほか、サンシャイン、東京タワー、新宿のビル群、それにスカイツリーも見えるそうなのですが、前回の子ノ権現天龍寺と同様、霧がいっぱいでまったく見えません。
これを使ってみるには、冬の空気が澄んだ晴天の日になるでしょうね。
武蔵野三十三観音の最後の観音様がいる観音堂へと歩きます。
その手前には、平和の鐘がありました。
小さめですが、竹を組んだところにあります。なんでも不発弾を利用して作った鐘で、広島長崎を訪れ平和を祈って奉納されたそうです。
そして八十周年記念総開帳の立札です。いつもの立札よりもちょっと大きめに見えました。
こちらは、牛王明王となっていました。
手に斧を持っていますね。日中国交正常化を記念した時に中国の人が作って奉納したそうです。
竹寺の入り口近いところに観音堂
さて、再度観音堂です。
この武蔵野三十三観音開創八十周年総開帳の立札のところです。
三十三番、竹寺(八王寺)の文字がみえます。
狛犬らしきものがある観音堂でした。
本坊や牛頭天王社の拝殿に比べると小さく感じます。
簡素な造りで、こじんまりとしています。
反対側の狛犬さん。
観音堂は緑に囲まれています。青もみじがキレイです。秋は紅葉がキレイでしょう。
ただしお手綱は巻き上げになっていました。
扉が少し開いていて、質素な建物の中に聖観音がいらっしゃることがわかりました。
観音堂のお向かいには、瑠璃殿があります。瑠璃ですから薬師如来です。牛頭天王の本地佛である薬師如来がこちらにあります。
「武蔵野三十三観音総開帳結願成就」の文字とともに、観音堂をもう一度。
緑多き中にあることがわかるでしょうか。
私の背丈では届かないところにお手綱があります。
筍めしのお弁当がおいしい竹寺、お蕎麦もおすすめ
竹寺に行ったら、蕎麦でしょ。
ということで、竹寺特製の竹笹そばをご紹介。
12時から午後2時30分までやっています。
茅葺き屋根へどうぞ、ということですが、同行者がこちらで食べている間に私は、境内を見て回りました。
私は、ここにも写真がある、竹寺特製のお弁当を持ち帰りしました。
すごくすごくおいしかったです。
こちらは午前11時から午後4時までと書いてありました。
ここに、案内が貼ってありますが、私が行った時はちょうど7月15日の牛頭天王大祭を前にしていまして、明日、茅の輪を取り替えるという前日でした。
年に1回茅の輪を取り替えるそうで、私が見た後には新しいものに変わっているはずです。
逆に言うと、私は一番古くなった茅の輪を見たことになります。
竹寺というとお寺のイメージありますが、牛頭天王のほうは祇園社のような神社形式の建物で、この大祭も神社でよくある例大祭のようなお祭りなのでしょう。
竹でできた鳥居あり
本坊の近くには、竹の鳥居が並んでいました。
ちょうど私が行った時はお昼時でした。私たちの他には人がいなかったのですが、しばらくするとお昼のお蕎麦を目当てにしたような人たちが訪れていました。
雨のこともあって、休日なのにほどんど人がいないという珍しい竹寺です。
まわりは霧がかかっていて幻想的です。
竹林や竹のトンネルあり
竹林のほうにあった小沢克己の句碑です。
けっこう幻想的な光景です。
雨の日もまたいいものです。
竹寺というだけあって、竹林は見事です。
こちらはどこへつながる道なのか。
本坊近くに出る入り口がありました。
鬱蒼とした竹林のほうから、本坊方面をみた写真です。
光があるのが、食事処です。
竹林になっている方面の入り口から真正面に本坊がみえます。
本坊にて、御朱印をいただきました。
そのほか、牛頭天王の護符なども売っていました。
茅葺き屋根が特徴的です。
左にみえるすっと立っている木は高野槇(コウヤマキ)の木です。
こちらがコウヤマキの木です。竹寺のコウヤマキと書いてありました。
飯能市の指定天然記念物になっていました。
飯能市のホームページによると、
この寺の本坊前の庭に、古い歴史を物語るかのように大きなコウヤマキが生育しています。目通りの幹周り3.9m、樹高25m余に達していて、この木の特徴ともいえる深緑色の葉が集まって形づくっている細長い卵形の樹冠を見ることができます。
太田道灌(おおたどうかん)が植えたと伝えられることから「道灌槙(どうかんまき)」の名があります。
コウヤマキは、日本だけに生育する固有種で、一属一種の貴重な植物でもあります。枝に長枝と短枝があります。長枝の節部の回りに多数輪生する短枝の先に綿状の葉が着いており、傘の骨を開きかけて逆さにしたような形になっているため、葉が密生して見える特徴を持っています。
福島県以南の限られた山地に生育し、特に高野山周辺の山地に多いことで知られます。高野山の六木、木曾の五木の中の一種でもあります。高野山と関わりが深いということ、また、火にも強いということなどから、寺院の境内に植えられているのを時々見かけることができる木です。
再度、境内に入り本坊の脇にある竹の鳥居をみました。
この手前にいつもの小坊主がいましたよ。
竹笹そば膳の受付は本坊へと書いてあります。御朱印、祈願、お守り、精進料理もまずは受付に行ったほうがいいようですね。
そこで注文してから同行者は中に入って食事をしました。
本坊脇に精進料理の食事処あり
同行者は、注文してから、こちらの入り口から入りました。
こちらが食事処となっているようでした。
「武州竹寺」と「奥武蔵俳句寺」と入り口に書いてあります。
先程のコウヤマキのところから食事処を撮しました。
食事処に向かって左側に本坊があります。本坊受付を小坊主も指し示していますからわかりますよね。
後ろに見えるのが銀杏の木かな。
私は御朱印をいただくために本坊へ行きました。
その時に持ち帰りのお弁当を注文しておきました。
竹寺絵図です。境内の配置はこれでわかるかと。
すでに駐車場の茅の輪、入り口の鳥居、弁天堂、弁天池、観音堂、瑠璃殿、牛頭明王像、竹めがね、トーテムポール、平和の鐘、竹の鳥居、お食事処、コウヤマキ、本坊へは行きました。
後は本殿の方面です。
本坊から本殿は2分となっています。
私はお弁当を注文してから、本殿のほうへ行きました。竹寺というと茅の輪の写真をよくみると思いますが、それは本殿に向かっていった途中にあります。
それと気になった山のほうにある「鐘撞堂」です。
まずは、竹の鳥居を通って本殿へ歩きます。
本殿へは茅の輪をくぐって行く
こちらが本殿へ向かう途中の石段のところにある、茅の輪です。「古伝茅の輪」と書いてあります。
この翌日は茅の輪が取り外されて新しいものに変わっているはずです。さすがに1年経つとこれくらい黒ずんで枯れた色です。取り替えたばかりは緑色なのかな。
鳥居は銅製だそうです。
こちらの鳥居には「天王山」と書いてありますね。
牛頭天王だからでしょうか。
来る時にあった鳥居には、「醫王山」でしたが。
茅の輪の隣にあった祠と謎の石です。「太神」の文字はみえますが、何だろう。
こちらが本殿です。
牛頭天王はこちらにお祀りされています。
本殿は比較的新しく、実は焼失して平成15年に建て直ししているからです。
本殿は神社形式の建物です。茅葺き屋根に枝が生えていました。
霧が多い雨上がりの様子です。
幻想的にぼんやりと光りがみえます。
屋根に生えている枝が気になって写真を撮りました。
これは夏しか見られない光景かなと思いまして。
芽吹いたのでしょうか。
本殿に向かって左側に、またもやトーテムポールです。
こちらのほうが本格的です。牛の姿がみえます。
近づいてみるとこのようになっています。ミノタウロスみたいな牛です。
隣にあったトーテムポールもなんだか不思議な雰囲気です。
本殿のまわりを歩いてみました。
ここが登ってきた石段です。
本殿のほうに来ると、神社の雰囲気ですね。
本殿の裏手には牛頭天王の絵馬や開運招福のお正月(?)の絵馬もありました。
本殿の裏手は山のようになっています。
うっそうとした木立です。
絵馬のところから山からの展望がいいようですが、残念ながら、霧ばかりです。
竹寺は、前回の子の権現天龍寺の鐘撞堂のところよりは低いようですね。海抜490メートルの高さです。
本殿の裏手に行ったら、子の権現への道になっていました。
左上に行くと、名栗小殿への道だそうです。
私達は、帰りに小殿方面に出ました。
小殿には、バス停があるので、歩きで登ってきた人はそのバス停の方に出て帰ることが多いみたいでした。
石柱には、瑠璃光城と書いてあります。
瑠璃光ですから、薬師如来の城ということか?昔の城は今では石垣のようになっているところが多いですからそのイメージかな。
もう一つの石柱は、なんでしょう。必應?
医王稲荷へお参り
いったん、元来た道を戻りまして、来る途中で見た稲荷社へ行ってみました。
医王稲荷です。案内絵図でも気になっていたのが、この稲荷神社と鐘撞堂です。
本殿のほうからは、稲荷社と平行した道がありました。
本殿より先に稲荷神社にお参りする人は、本殿へ向かう参道の途中で石段を登りますので、そちらのほうがわかりやすいです。
稲荷神社にもお参りしました。
お寺でも稲荷社があるところもありますよね。だからさほど神仏習合だとか、気にならないです。
こちらが本殿へ向かう道から稲荷神社へ行く場合の石段です。
石段の先はこのような山道っぽい造りになっています。
鐘撞堂へ
鐘撞堂のことが気になってまわりを歩いてみました。
本殿下の道を歩いていたら、お手洗いがありまして、そのお向かいの山を上ったような場所にこのようなお社がありました。
裏手に出ると、山道でした。先程も書きましたが、小殿バス停への道があるようです。
その手前には、鐘楼との文字が見えたので、この方向に行けばいいのだなと思いました。
こちらはけっこう山登り的な場所になります。鐘楼への道です。
靴がトレッキングシューズとかウォーキングシューズでないと登れないでしょうね。
ハイヒールはなおさらです。
途中で建物が見えたので、到着だと思って喜んだら、ここはお社ですね。
神社っぽい雰囲気があります。
さらに山道を登ります。
ここら辺りになりますと、すでに汗だくです。
雨の日で晴天でもないですが、山道なので汗びっしょり。
到着しました。まさしく梵鐘です。子ノ権現に比べたら、竹寺の場合、鐘楼までは遠いです。
竹寺に行く人は多いでしょうが、この鐘撞堂、鐘楼まで行く人は少ないだろうと思います。
靴の用意がない場合はここまで来るのはおすすめできませんね。
本殿までにしておいたほうがいいでしょう。
この鐘楼のまわりは、どこかの山の頂上に来たような気分です。
しかし、展望がよくないですね。
晴れていたらどれだけきれいな光景が見られたことか。
ほぼ、霧の光景です。
おそらくですが、晴れていたら絶景だと思います。
それとも見えるのは、山だけなのか。
何れにせよ、今日は無理です。霧の光景のみ。
鐘楼を見たら、すぐに戻りました。
滑らないように降りるのも大変です。
やっと竹の鳥居のところまで戻りました。
この隣が本坊です。
峠の茶屋風の茅葺き屋根の本坊
竹林のほうからみたら、この本坊の光が遠くに見えて、昔ばなしに出てくるような雰囲気でした。
御朱印もそうですが、お守りなどはこちらの本坊で購入します。
私は、御朱印のみならず、結願の証やら、護符やら、いろいろと買い込んでしまいました。
蘇民将来のお守りは、大中小とありました。蘇民と書かれいますね。
除災招福 子孫繁栄の蘇民将来の御守りです。
木札かと思っていたら、こけしのような作りでした。
お守にしては、大きなものです。
私は、記念になるので、護符をいくつか買いました。
こちらには、「蘇民将来子孫門戸也」と書かれている護符です。
茅の輪守りなどもありましたし、普通の大きさのお守りもありました。
竹寺特製の「真竹」筍めしは一日限定20個まで
待ちにまった筍めしを受け取りました。真竹(マダケ)です。
第3弾となっているように、時期によって異なるようです。
第1弾は、たけのこが出始めの頃でしょうね。若竹とかかな。
7月初旬でしたが、たけのこのお弁当があるのに驚きました。
たけのこシーズンも終わりになって生たけのこには、その頃、出会えませんでしたから。
たけのこ五目ごはんの他、煮たけのこ(マダケ)や、揚げたけのこなるものもありました。こちらもマダケだそうです。
キャラブキや山菜です。精進料理ですね。
デザートとしては、竹笹ようかんです。
本日中にお召し上がりください、ということで、家に帰ってから食べました。
中身はこれです。
紅葉のてんぷら?もありました。
とにかくおいしい!
精進料理でこんなにおいしいとは。
さわらびの湯に入って温泉を味わってから帰る
ハイキングの人もそうなのでしょうが、さわらびの湯に入ってから帰りました。
早めに山を降りた人ならこちらに立ち寄ってから帰るのもいいですね。
私の場合、竹寺でハイキングと呼べる部分は、鐘楼のところくらいでしたが(それでも汗だく)。
さわらびの湯には、外湯と内湯があって、外の温泉に浸かると、この写真で後ろに見えている山々の森の様子が見えますよ。
森林浴を温泉に入りながらできるというわけです。
こちらのさわらびの湯では、売店のみの利用も可能でした。
お土産を買って帰ることもできますね。
令和2年の時点では、大人ひとりが3時間、800円ですから、リーズナブルです。
定休日が毎月第一水曜日とのことなので、帰りに温泉に入ってから帰ろうと思って予定していた人は気をつけましょう。
営業時間は、午前10時から午後6時までというのは、ハイキング目的の人にはちょうどいい時間だと思います。
しかし、温泉だけの人は夜に入りたいということもあるかと思います。
午後6時までということも気をつけたいですね。
ちょうど七夕の頃だったので、入り口には笹に短冊を結びつけられるようになっていました。
その奥には、笹で見えにくくなっていますが、木彫りの像があって、やさしく頭をなでるといいことがあるかも?と書いてありましたよ。
温泉にも入って、結願もできて大満足で帰りました。