飯能市に入って武蔵野三十三観音めぐりも後半部分のクライマックスです。
飯能市に入ってきますと、なんとなく秩父の札所めぐりのような感覚になってきます。
私が秩父の札所めぐりをする時は、いつも飯能市を通って行くからなのか、それとも埼玉県の山側という雰囲気が同じだからなのか。
ここ浄心寺も秩父の札所に行ったような感覚になりました。
見どころたくさんの浄心寺ですから時間も十分に取っておいたほうがいいです。
武蔵野観音霊場二十三番という石碑と、下のほうにも「第二十三番札所 浄心寺」と書かれているので、間違うこともありません。
私は実は先に第二十四番の観音寺に行ってから浄心寺に行きました。ところどころ、番号とおりに巡っていないのですよ。
こちらの浄心寺では住職から親切にしていただきました。「お接待もできなくて」と小さめのお守り、バッグにつけておけるようなお守りをいただきました。
おそらく住職もきっといろんなところに巡礼に行ったのでしょうね。お接待の話が出てくるのは、四国八十八ヶ所くらいかと思っていました。
関東でいえば、旧小机領の三十三観音は、お接待が盛んな場所でした。
浄心寺は奥武蔵野の飯能市に入って
入り口のところにあるお地蔵様は麦わら帽子をかぶっていました。
門を入ってしばらく歩くと、扉がありまして、ゆるやかな坂道になっていました。
紫陽花の花もきれいに咲いています。桜の時期にはお参りができませんでしたが、当初6月30日までと聞いていた御開帳の終わりに間に合うようにと、6月中に全部回る予定でいました。ですので、あと10ヶ寺以上あるなと思いながらの巡礼です。
桜の時期にも花がきれいなのでしょうが、冬に回るよりは木々の緑がきれいです。
浄心寺の駐車場には、大きめの観音様がいらっしゃいます(門から入って左側の裏手に墓地がある場所)。
その崖の下にも紫陽花がきれいです。
緑が多い場所であることは写真からもわかるかと思います。裏手に山のような場所がありました。それについてはまた後ほど。
だるま市もあるという浄心寺
お寺の境内に入っていきますと、入り口近くに梵鐘があります。
鐘撞堂のそばには六地蔵も立っていました。武蔵野三十三観音のお寺には六地蔵があるお寺が多いです。
安産や子育ての子安地蔵菩薩もいらっしゃるようです。
雲行きが怪しい感じになっていますね。この日は雨が時折降ったりしていました。
6月の巡礼は雨に当たることも多くなります。
こちらの浄心寺では、1月にだるま市と、くまで市が開かれるそうです。毘沙門天のお祭りだそうですよ。
境内に入ってすぐに見えた薬師堂
浄心寺には本堂の他にも、いくつかのお堂があります。
それらは、山側にありまして、階段を登っていく必要があります。
こちらは入ってすぐのところにあった薬師堂です。瑠璃殿と書かれています。
そのすぐ下には地蔵堂らしき場所がありました。赤い旗にも「南無地蔵菩薩」と書かれています。
黄土色の石は庚申塔で青面金剛のようでした。
くろかみ地蔵菩薩と白衣観世音菩薩
この地蔵堂と思われる場所には、いくつかの石碑や石仏が安置されています。
向かって左側には、武蔵野三十三観音で何度かみかけた小さめの弘法大師と観音様です。
奥多摩新四国八十八ヶ所の霊場(第十番)でもあったのです。また、高麗坂東三十三観音の第九番の札所でもありました。武蔵野三十三観音の霊場でもあり、武蔵野七福神の毘沙門天担当でもあります。
その隣には、くろかみ地蔵尊です。
髪の毛の病気、頭部に関する病気にご利益があるのだとか。後で調べたら、左手に持っていたのは、髪の毛だそうです。
どのお地蔵様も麦わら帽子をかぶっているので、よくわからなかったです。
その隣は、大きめの石に、白衣観世音菩薩が彫り込まれている石のようでした。白衣観音は、衣をまとって手を衣の中にいれているのですよね。なんとなくそのような形のものが彫ってあるように見えました。
本堂は麓に、観音堂と毘沙門天堂は山側に
こちらが浄心寺の本堂です。
本堂前の松が特徴的らしいのですが、写真に入っていませんでした。
浄心寺としての御本尊は、阿弥陀三尊とのことです。
浄心寺は明応年間の創立なのだそうですが、その時代より古い板碑(1275年)が存在しているためにもっと古くからあったのではないかといわれています。
飯能市には、能仁寺というお寺があるのですが、そちらの五世吉州伊豚和尚が中興の祖となり、慶長12年に再興されています。
御開帳の立て札は、本堂前にありました。
ご丁寧に終了の日を訂正してありました。
立て看板がありまして、毘沙門天と観音堂は階段を登る必要があることがわかりました。
本堂前も美しい庭ですね。
登ってみるとわかるのですが、観音堂のところは小高い場所になるので、見晴らしのいいところになります。
階段を登ると、左に観音堂、右に毘沙門天堂があります。
浄心寺においては、お手綱が普通に垂れ下がっていました。
観音様と握手会ですね。昭和61年に再建されたという観音堂です。入母屋造の建物です。
正面にいらっしゃるのは、武蔵野三十三観音の本尊としての十一面観世音菩薩です。
柱に書いてくれてありました。
こちらの十一面観音像は、そもそもは別のお寺にありました。本明院という修験道のお寺で、明治の修験道廃止令が出たために廃寺となりました。そこで十一面観音像が浄心寺に移されたそうです。
浄心寺の観音様は身代わり観音としても知られているそうです。
そのほか右脇立に千手観音、
東京にある永平寺東京別院麻布大観音の御分身である十一面観音がいらっしゃるとのこと。
中をのぞいてみたら、三体ありまして、カーテンのような緞帳が下がっていて観音様自体はよく見えませんでしたが、お手綱がつながっていたのは見えました。
なぜか向かって右側の観音像からも綱が見えていて、真正面の観音ともつながっているようでした。
真ん中の観音像からもお手綱がつながり、右側の観音様からも綱が見えて、真ん中の綱につながるようにお手綱がつながっている、という感じでした。
やおろしの毘沙門天は武蔵野七福神でもある
観音堂前にある回向柱から浄心寺の毘沙門天堂の写真を取ってみました。
こうすれば、位置がわかるでしょうか。
毘沙門天堂も観音堂も、山の中腹のような場所にあります。
こちらが毘沙門天のお堂です。切妻屋根です。
浄心寺がある場所は、矢颪といわれる場所なので、矢颪(やおろし)毘沙門天とも呼ばれます。
この柱は、御開帳の時のものでしょうか。
毘沙門天というと、寅年開帳とかあるのかしら。
「大悲毘沙門尊天 寅歳御開帳」と書いてありました。
武蔵野七福神めぐりでは、毘沙門天担当です。お正月の頃は、こちらの毘沙門天堂にお参りする人が多いのでしょう。
浄心寺の六世梁観禅棟和尚は、江戸駒込の吉祥寺で修行していたそうです。学業成就をその寺の毘沙門天に祈願したところ、その功徳により学頭、トップになることができたそうです。
その後八幡町にあった堤家伝来の毘沙門天像を譲り受けて、境内に安置したそうです。毘沙門天の恩を忘れなかったのですね。
それ以来、トップの成績にあやかろうと毘沙門天をお参りする人が絶えず、学業成就の祈願として信仰されてきたとのこと。
毘沙門天堂の中はあいにく扉が開いていなかったのですが、外からのぞいてみたら広かったです。ふとその時に気付いたポスターが。
現在、巡礼している武蔵野観音霊場とともに、狭山観音霊場のことも書いてある、両方が載っているポスターでした。
狭山観音霊場は、歴史が古いのですよね。私も回っている途中ですが、廃寺になったところもありますし、今では住民の方々が守っているというお寺(お堂)もあります。
「名刹の歴史を訪ねて」として武蔵野三十三観音だけでなく、狭山観音霊場のことも書いてあるのがいいなぁと思いました。
浄心寺には奥の院もあり
木のまがりを利用して「武蔵野観音霊場第二十三番札所」と書いてあるのがいいなぁと思っていましたら、ふとみると、「奥の院」があることに気づきました。
奥の院には、三社権現宮があるそうで、その参道となるのが、手前に見える苔むした階段でした。
三社、というのは、天神様、お稲荷様、そして、お犬様の三神です。
お犬様?と思ったのですが、そう言えば秩父の三峯神社はお犬様を祀っていますね。
宝登山神社も奥宮に行くとお犬様です。
さらに階段を登るのか、と思いましたが、やはり見てみたい気持ちが勝り、奥の院の三社に行きました。
鳥居があることから、神仏習合のなごりなのでしょうね。
こちらでもお参りさせていただきました。
あいにく雨が時折降るという天候だったために、ここからの見晴らしの良さを満喫することもなく下に降りました。
晴れていたら、飯能市の光景が望めたのでしょう。
本堂向かって右手の脇のところに、武蔵野観音と武蔵野七福神の御朱印受付と書いてある小屋のような建物がありました。
そこで御朱印をいただきます。住職不在の時は、書類棚のところから取る仕組みになっているようでした。
その脇に料金を入れる箱のようなものがありました。不在の場合の対応の仕組みがあると本当に、ほっとします。また、再訪するのもなかなか大変な場所が武蔵野観音霊場では後半に多いのです。
私が参拝した時は、住職の方がいらっしゃった時だったので、対応していただきました。
グーグルマップにも書いてありましたが、親切な住職です。
「このようなご時世だからご接待もできなくて」、とおっしゃっていただけるだけでもありがたいことです。
脇に書いてある紙には、武蔵野観音御開帳を一時中止していた時のことがわかるようになっていました。
御朱印は置いてあるので、差し替えしてほしいとありました。他の寺院ではその時、「中止」とだけなっていたのに、浄心寺では、できるだけ御朱印対応していたのだなぁと思いました。