断崖の岩肌が壮観なのは、橋立堂です。秩父札所では他にも観音院もありますが、札所の順番通りに回っていくと、まずは橋立堂に驚きます。

橋立堂は、山号を石龍山といいまして、石と龍です。

実際にみるとそのとおりと思いますよ。

武甲山の西端に位置します。浦山口駅から歩いていきまして、この入口に立った瞬間に圧倒されました。


石灰岩体の岩肌がみごとな橋立堂(はしだてどう)

この断崖は、高さ75メートルもあるそうです。

武甲山の石灰岩体の西の端にあります。武甲山の岩屋にあります。武甲山と言えば、石灰です。

石灰岩体の下のほうは、玄武岩というのですが、この橋立堂まで登ってくるときのゴツゴツした岩のことなのかなと思いました。岩に関してはよくわからない私なので、まずはこの断崖に圧倒されました。

この岩肌については、話が2億年前に遡るそうで、タモリさんのような人は惹きつけるものがありますね。



実は橋立堂には秩父札所めぐりをしている時、後回しにしてしまった場所になります。

なんせ前の札所から、えっちら坂を登っていきましたら、いきなりこの看板を見つけたからです。

「橋立堂の鍾乳洞が臨時休業中」

橋立堂のほうはやっていたのかもしれませんが、どうせ行くなら鍾乳洞も行きたかったので、泣く泣く、この看板を見てからは引き返したのを覚えています。

 


馬頭観音を祀る橋立堂は札所では珍しい

で、再度出直して行ったわけです。

それまでに別の札所を回ってしまったので、後半になってしまいました。

本来なら、27番から続く修験道の道場として続けて訪問していたらわかりやすかったでしょう。

奥の院になる鍾乳洞があって、これが「胎内潜り」と言われてます。仏界を体験できる場としても知られています。

観音堂のすぐ裏まで岩肌です。武甲山の西参道の登山口としても知られています。

 


到着したら、鍾乳洞の入口や寺務所がある広い場所がありまして、そこからさらに階段を登ります。

橋立堂の観音堂は、さらに階段を登っていくので、観音堂からはこのような景色が見えます。

下に見えているのが、カフェになります。

カフェについては、また後ほど。

ここからは遠くの山も見えまして、眺めはいいですね。

ちょうど夏の時期だったので、緑が濃い時期でした。



観音堂は結構古いお堂です。

江戸中期の建立で、札所では珍しく馬頭観音をお祀る橋立堂です。

なんでも馬頭観音をご本尊にしているのは、日本百観音のなかでも橋立堂と、西国三十三所の札所29番である松尾寺の2ヶ寺だけなのだそうです。貴重ですね。

江戸時代には、馬といえば、交通手段の筆頭で、農作業にも欠かせない存在です。


大蛇と白馬の縁起

いつもの札所にかかっている由緒を描いた奉納額です。

郡司報蛇身です。

郡司に悪業有り。

「此の寺に一度上げし燈明の功徳によりて地獄に落ちず、大蛇に転ぜられ然れども此の地に悪龍出て人馬を喰ふので村民此の堂に祈念したれば御堂の内より観音の化身白馬となりて出現、以来此の地平穏となる」

観音霊験記によると、この村の郡司が悪龍になって人や馬を食べるので、村人がこのお堂で祈念したら、白馬がお堂から出てきて、白馬は龍に飲み込まれたそうです。

それからは龍は悟りを開いて、大人しくなり、鍾乳洞の洞内の石になったというものです。

鍾乳洞の洞窟生成仏をみてそう思ったのではないかと言われています。

江戸の時代から馬との関連が深かったようです。

 



観音堂に向かって右側にはお地蔵様がありまして、こちらに秩父市教育委員会による説明書きがありました。

右の端には、写真では切れてしまっていますが、馬の銅像があります。



 

説明書きのところからもこの岩肌が間近に迫っていることがわかります。

「この札所は高さ八十米のある石灰岩の直立した岩壁下に建てられ、堂は三間四面、宝形屋根で江戸中期になるものといわれます。

本尊は馬頭観世音坐像で、像高二十八糎の小さいものですが、三面六臂の姿はひきしまり、鎌倉時代の優秀な作として、昭和三十三七月の指定文化財になっています。

縁日には近隣からくる馬を曳いた参詣者で雑踏を極めたといいます。

 

その昔この地に惨酷非道、仏神の信心なき領主、領地をみまわり、銅を持って鋳し地蔵菩薩像を里人崇敬し拝するをみて、仏神の益何事あろうと、打ちこわしその財を己れに費やせば、領主たちまち病に死し、その子孫すべて跡方なく消えたという。

まもなく大蛇出て里の憂いとなり、里人は一心に当山に祈ればいづくなく白馬現われ心よげにははしり大蛇この馬を一口に呑まんとするに、白馬の額より光明をさせれば、たちまち大蛇人語を発し「吾先に死し領主なりいままさに仏知にひかれた得脱を得たり、吾この姿を末代にとどめて衆生の信心をはげまさん」と池中より出れば金鱗へんじて石と成り、白馬は本尊の御帳に走り入りたという縁起があります」

以上が、秩父市教育委員会の説明書きです。

 



馬との縁が深い橋立堂です。

左手には、左甚五郎作といわれる馬の木像があります。

馬堂の中に見えます。



馬は親子なのかな。

左甚五郎というと、秩父神社の彫刻を思い出します。

つなぎの龍とか、子育ての虎とか。



馬頭観世音坐像は、秩父市の有形文化財に指定されていました。

「この馬頭観世音は、木造寄木作りの漆箔三眼、三面四臂の像で、現在は、四臂の一部と馬頭を欠いているが像高二十六・五センチ、鎌倉時代の優秀作である。

昭和三十三年奈良博物館石田茂作博士を班長とする秩父観音霊場学術調査団の総合調査により判明したもので、秩父観音霊場の中でも注目される貴重な佛像である」

ということで、奥にみえるのは、石田茂作博士の像なのかと思いました。

 



その石田茂作博士らしき像がある観音堂の左手も洞穴のように見えますが、上は岩肌がそびえ立っています。




向かって左手にも、お堂がありまして、聖観音菩薩のような観音像ともうひとつ像が祀られていました。

夏の暑い時期でしたので、緑が濃いです。


再度、観音堂です。

こちらで参拝します。



階段から降りたら、石段のところに「橋立堂」と書いてあったことに気づきました。

青もみじもきれいですし、下にはりんどうの花が見えました。

参拝が終わったら、納経所で御朱印をいただきます。



納経所のすぐ隣が橋立鍾乳洞の入口になっています。

馬頭観世音菩薩が珍しいからでしょうか。

七観音霊場にもなっているのですね。

せっかくですので、鍾乳洞にも入ってみることにしました。

鍾乳洞の料金は納経所の隣から入ったところにあります。出入口から入っていきます。

入場券売場と矢印が書いてあるのですぐにわかります。

大人は200円でした。

入ってすぐの場所が広くなっていまして、私は納経帳やらペットボトルやら大荷物と、斜めがけバッグを持っていたのですが、大きなバッグは入口のベンチのところに置いていくようにと言われました。

大きな荷物を持っていては鍾乳洞の中を登っていけないからです。

中がどんな感じなのか写真をお見せしたいところですが、「洞内撮影禁止」なので説明だけになります。



他の方々も鍾乳洞の洞内は撮影していませんが、ここの入口までは写真や動画を撮影していますね。

ということで、鍾乳洞内の写真なしで、道だけです。



先程の入口の写真からもわかるように、鍾乳洞に入るには、階段を下っていきます。

秩父のジオパークのサイトによると、

橋立鍾乳洞は、県内唯一の観光洞であり、国内でも珍しい縦型の鍾乳洞です。急傾斜の割れ目に沿って地下水が浸透し、石灰岩が溶けてできた空洞が鍾乳洞(石灰洞)になりました。見学路の総延長は約140m、一番低い地点から高い地点までは約30mあります。鍾乳石や石筍(せきじゅん)、石柱などの洞窟生成物には、昔から「弘法の後ろ姿」や「下り龍の頭」などの名前がついています

とのことで、埼玉県内の唯一の観光できる鍾乳洞なのですね。

さらに珍しいことに「縦型」なのだそうです。鍾乳洞といえば、横穴を入っていくイメージあると思いますが、ここ橋立鍾乳洞は縦に動きます。

中は狭くて、はしごを登ったり降りたりしますが、基本は登っていくもの、と思ってください。



ここからは、鍾乳洞内になるので、残存ながら、ここまでです。

ここまで先ほどのところから、下ってきました。縦型なので、鍾乳洞の中では登ります。

かなり狭いですよ。

鍾乳洞のところは、ゴツゴツした岩で、先程の橋立堂の観音堂裏手にあった石灰岩の岩肌とは違った岩であることはわかるかと思います。

この鍾乳洞が「胎内くぐり」となるわけです。

橋立堂は修験道の道場だったとのことですから、ここで穢れを祓い、いったん死んで生き返ることをしたのでしょうね、

橋立堂の奥の院とも言われてます。


ということで、鍾乳洞を出てきました。

残存ながら、鍾乳洞撮影禁止なのですが、道を見れば、今度は下っていくことがわかるかと思います。

鍾乳洞の入口から中では登っていたのですね。

 



鍾乳洞の中は、1回しか通れませんので、納経所のほうへ戻ります。

観音堂が見えてきました。

それにしてもここらへんは、岩がゴロゴロ落ちていますね。



ネットがかかっていないと、いつ岩が落ちてくるかわかりませんよね。

 



大きな荷物であったバッグを取りに戻りましたら、「廿八番奥之院」と書いてあることに気が付きました。

日本一の岩窟ですね。たしかに縦型は珍しいでしょう。



鍾乳洞の中ははしごを登ったりしますし、中は濡れていたりします。

靴が汚れたり、手が汚れたりします。

出入口のところには、蛇口が用意されていました。

そのそばにあった百合の花はきれいだったので、写真を。

まさに百合の花が咲く夏です。



橋立堂周辺の文化財にも最初に書かれているのは、橋立鍾乳洞です。

その次に秩父札所28番の馬頭観世音菩薩坐像が書かれていました。

史跡でもある秩父札所二十八番石龍山橋立堂

岩かげ遺跡も秩父市の指定史跡になっていました。

秩父市のホームページによると、

橋立鍾乳洞の80mにもおよぶ切り立った絶壁地点一帯は、岩かげになっていて、激しい風雨でも充分しのげる。
この岩かげ遺跡は、縄文時代草創期からのもので、国内では少例しかないといわれ、規模の大きい点では、おそらく日本一のものといわれている。押型文の土器片、貝飾りのほか弥生土器等も発見されている。

たしかに、切り立った岩壁の下は、えぐられた形になっていて荒川の侵食でできたと言われてます。それも数万年前の話です。

縄文時代からあるということで古墳時代からのものですが、弥生土器も発見されていたのですね。





橋立堂の入口にある青もみじがきれいです。ここはジオパークの説明書きもありました。

そこには、宮沢賢治も来たことが書いてありました。

ここは武甲山の西端になるそうなのですが、武甲山は「プレートの移動と大陸の隆起、侵食を繰り返して、石灰岩と緑色岩(玄武岩が変質した岩石)からなる武甲山が形成された」と考えられているそうです。

最後にカフェの話も

橋立堂の納経所のお向かいにあるカフェに立ち寄り休憩

橋立堂に来る手前の石の洞穴のような場所にカフェの案内が出ていました。

JURIN’s GEOというカフェでした。

スペシャリティアイスコーヒーの「淡雪(あわゆき)」が有名だそうです。

かき氷とアイスコーヒーが合体した品です。

夏は汗がでますから、飲み物がほしくなりますよね。

私も鍾乳洞を登ったりしましたので、アイスコーヒーの魔力に勝てず。。。



 

浦山口駅の時刻表を確認して時間がありそうだったので、アイスコーヒーを飲んで一休みしました。

氷が溶けたら、さらにアイスコーヒーを足すようになっています。

ミルクも砂糖も使わないで飲むという本格派のアイスコーヒーです。ストローさえ付いてこないという徹底ぶり。

豆本来の甘さを利用しているからです。コーヒーって苦いと思われていますが、紅茶よりも糖質が多いので本来の味は甘いのです。

どうしてもブラックが苦手な人はカフェオレを。

こだわりのアイスコーヒーを飲むことができて幸せでした。