深川不動尊に行ったときに、一緒に御府内八十八ヶ所の霊場も回ってきたことは、前回の深川えんま堂の時にも書きました。
深川不動堂の近くにもいくつか御府内八十八ヶ所の霊場となっているお寺がありますので、今回は、そのうちの3ヶ寺について書きましょう。
まずは、深川不動堂に行っていた時、毎回、立ち寄っていた永代寺です。
門前仲町駅から深川不動堂に向かっていく道の途中にあったのでいつも立ち寄っていたのです。
ここ永代寺が御府内八十八ヶ所の霊場だったとは、今回初めて知りました。
そういえば、入口の石柱に、御府内八十八ヶ所、厄除弘法大師と書いてありました。
永代寺の参拝には、お賽銭箱のそばに参拝次第が書いてあるので、それに沿って参拝ができるので、便利でいいですよ。
永代寺(第68番)には聖天様のお守りや子育て地蔵尊もあり
独特の形をした本堂です。上にちょこっと帽子のように乗っているのは、何でしょうね。
永代寺の略縁起を読みますと、近くにある富岡八幡宮の別当寺として京都の長盛上人が永代島に創設したお寺です。
永代島とは永代橋東側一帯のことだったようです。現在の深川公園一帯はすべて永代寺の敷地となっていたとのこと。
いつもは非公開ですが、毎年3月21日から28日まで弘法大師の御影供が行われ、そのときは江戸庶民にも見学が許されていたそうです。
将軍家からも祈祷を頼まれたりと富岡八幡宮とともに広い敷地をもったお寺だったようです。門前仲町というところからもわかるように、江戸時代の門前仲町の中心だったことでしょう。
ただ、明治時代に入って、神仏分離令が出て廃仏毀釈によって廃絶かという危機もあったようですが、関東五ヶ寺院に数えられる名刹をなくすには忍びないとして、吉祥院を永代寺として残したようです。
永代寺に行きましたら、お賽銭箱の前に参拝次第があるので、それに沿って参拝するといいですよ。
懺悔文から「次 開経偈」のように、書いてくれてあります。
般若心経は全部は書いてありませんが、聖天様の真言なども書いてあります。
歓喜天真言の次が弘法大師の南無大師遍照金剛なのですね。
本堂に向かって右手に、御府内札所納経所があります。
中に入って御朱印をいただきます。
本堂に向かって左手には、地蔵堂があって、取持子育地蔵尊がありました。
本堂の内陣に入って向かって左側のスペースが観音様の場所になっているようでした。
歓喜天は秘仏ですし、あとは弘法大師でしょうか。
次は萬徳院へと向かいます。
瑠璃光山萬徳院へ(第46番)
萬徳院にいきますと深川不動堂あたりとは違って、ひっそりとしています。
梵字で書かれているのでしょう。塔がありまして、弘法大師御入定千百五十年記念と書かれていました。
お寺の本堂は、2階にあるようでした。瑠璃光山と書いてあるところからもわかるように、薬師如来がご本尊です。
戦災殉難者慰霊碑や供養塔がありました。
ちょっとしたお庭がありますが、こじんまりとしたお寺です。
菩提寺としてやっているようで、基本的に訪れる人はお墓のある人だけなのでしょう。
和とかいてある石仏のそばに寺務所がありまして、そちらで御朱印をいただきました。
永代寺とは違って参拝に訪れる人はあまりいないようでした。
次は、少しだけバスに乗って、弥勒寺へ行きました。弥勒寺まで来ますと、墨田区になります。
弥勒寺橋跡は江東区と書かれていましたが。江東区と墨田区の境にある橋だったのでしょう。
今は、史跡となり、廃橋になっています。
弥勒寺(第46番)は弥勒寺橋の先、北東に
橋の説明のところにも書かれているように、弥勒寺は本所に移転したのは、元禄二年の時です。
薬師如来がご本尊になります。もともとは、弥勒菩薩がご本尊だったのだそうですが、徳川光圀から薬師如来像をいただいてからご本尊は薬師如来となったとのこと。
弥勒寺の薬師如来像は江戸十三薬師にも数えられるほどの有数のお寺だったようです。
川上薬師と呼ばれていたとか。その昔、徳川光圀にお寺を没収された際、川に向かって薬師如来の像を投げたら、その像が川下ではなく、川上に向かって流れたことから川上薬師と呼ばれているそうです。
しかし行ったのが、4時を過ぎていたので、本堂の扉は閉まっていました。薬師如来がどのようなのかは、わかりませんでした。
観音聖像建立由来記を読みますと物悲しい話ではありますが、ここに祀られてよかったのかもしれません。
昭和20年3月10日の東京大空襲で命を失った人のための観音様です。
1時間に10万人もの遺体があったという東京大空襲です。早くに戦争が終結していれば民間人の犠牲もなかったと言われています。いつの時代も弱いものが犠牲になります。
3月10日にあったことは、いろんな記録で読むことができますから、ここには詳しくは書いてありません。
この聖像の元に3500体もの遺骨が収集され永代にお祀りされているそうです。
戦争の災難にあった人だけでなく、関東大震災にあった人の御霊も慰め、冥福を祈るために作られた観音様なのです。
東京都の史跡となる杉山検校墓菩所や、医療のはり供料塔所在地でもあります。杉山検校は、はり、あの鍼灸治療の鍼です。日本の鍼の先達となった人です。
その鍼師でありました杉山和一が本名です。江島杉山神社にお祀りされているそうですが、こちらにもお墓があったのですね。
幼い頃に失明してはり師になったという杉山和一ですが、江ノ島の弁天様の祠に詣て断食までして鍼の術を極めたそうです。
もしかしたら、はり師たちは、こちらにお参りに来ているのかなと思いました。