海雲寺についてです。

 

今回の海雲寺は、青物横丁の駅に到着からおもしろい特徴ある塔と幣らしきものがみえたので、印象に残っています。

駅からはものすごく近いのですが、入口の門まで歩くことになります。

品川寺の隣、と行ったほうがいいかなと思います。

江戸33観音めぐりは比較的お寺がまとまっているところと、世田谷観音のように陸の孤島のようになっている場合があります。

今回は品川区、それと一部港区になりますが、固まっていたところのお寺をめぐってみました。

 

 

江戸33観音めぐりにも番外あり

江戸33観音めぐりだけでなく、札所めぐりについては、「番外」というものがある場合もあります。

今回の海雲寺は、江戸33観音めぐりの中での「番外」となります。

34番にしないのですね。

そういう番号に関しては、私は知識がないので、くわしい人がいたら教えてもらいたいです。

 

番外ではありますが、お寺をみていたら、なかなか興味深く面白かったです。

 

千躰荒神王霊場と書いてありますね。

その下に海雲寺です。

千体荒神は何だろうと調べたら、かまどの神様だそうです。

 

千躰荒神が有名な海雲寺

海雲寺のお祭りは、千躰荒神のほうのお祭りだそうです。

品川区の観光協会の書いたものによると、

「毎年3月と11月の27.28日に行われる千躰荒神祭では、荒神堂の中で一日中護摩が炊かれ、お札が授与されます」ということです。

3月もまだまだ火災に気をつけないといけないし、11月はこれから乾燥する季節ですからね。

 

この日は、境内から青物横丁駅まで、露店が軒を連ね大勢の参拝者で賑わいます。お釜の形をした「釜おこし」が名物です。

かなりのお祭りのようです。お釜の形をした釜おこしですか。雷おこしは食べたことがありますが、釜はないです。

 

古い鐘楼が歴史を物語る


入ってすぐのところに鐘がありました。

彫刻もなかなかすごく立派です。

その下には、烏枢沙摩明王です。ご不浄の場所を守る明王さまですね。

婦人病を守ってくれると聞いたことがあります。



なぜ、鐘楼の下に烏枢沙摩明王のお堂があるのかよくわからなかったです。

 


 

境内に入っていくと、平蔵地蔵がありました。

正直者の平蔵を祀るお地蔵さまです。いわゆるイジメで死んだ平蔵なのです。

平蔵が眠る墓のところにお地蔵さまを作ったとのこと。

電車が通ることになって場所をこの海雲寺に移したそうです。

 


 

本堂よりも千体荒神堂が目につく

 

荒神王と書いてある額です

三宝荒神の文字がみえますね。

文久元年作の雄雌二羽の鶏図は、ガラスの上に彩色された貴重なものだということが書いてあります。

昭和十年に奉納された浪曲家、唐沢虎造夫妻による文字額もあるとのこと。

天井は、格子天井です。江戸火消し組の纏図が描いてあるようです。

龍の彫刻もすごいですね。



本堂に向かって左が、千体荒神堂になります。

品川区の指定有形民俗文化財も千体荒神のほうで、千体荒神堂の奉納扁額となっていました。

 

「千体荒神王とは、火と水の神として、また台所の神としても有名である」と書いてあります。

堂内に奉納されて額は、信徒によるものだそうで、全部で27画あるとのこと。

格天井の真ん中に龍の図があり、その周りには纏図があると説明にありました。

先程の品川区観光協会にも、

荒神堂内には信徒の奉納した27面の扁額があり、文久元年(1861)奉納の雌雄二鶏図の絵額は、板ガラスの裏から描いた絵を表からみる「ガラス絵」で、区内唯一の貴重なものです。

このように、二羽の鶏の絵額は貴重なものなのですね。


千体荒神堂の奉納扁額

鶏の絵がありました。確かに雄雌ですね。

昭和5年8月に奉納された額もありまして、見ていて飽きません。昭和十年の文字額はどれだろう。

三宝大荒神と書いてあるものもありました。千体三宝荒神です。

千社札も歴史を物語ります。目の前には、「火の用心」です。

図形のようなものは江戸の火消しの上についている纏でしょうか?纏図ありとのことですから。

火防の神様ということでしょうね。

火消しとはいうものの、周りに燃え広がらないように、建物も壊していたと聞いたことがあります。

それほど江戸の町は、火災が多かったのです。神様にお願いしたくなる気持ちがわかります。



横のほうにも、二羽の雄雌の鶏の図です。

先程の写真をみると、護摩祈祷修行もやっているようで、毎月1日と15日、それに28日となっていました。

28日は、お不動様の縁日ですね。

海雲寺の千体荒神の尊像は、天竺で作られたと伝えられる像です。

そもそもは、天草の荒神ヶ原に祀られていたのだとか。

島原の乱があって、その鎮圧に綱島直澄公が江戸を出て天草に行った時必勝祈願をして、そこで祀られていた尊像を江戸に持ち帰り、江戸にて丁寧にお祀りしたのが始まりだそうです。



 

役行者の像の下には、筆塚がありました。

お寺の裏手のほうになります。

ブロック塀にも何やらいろいろと「○○亭」の文字がみえますね。

 



 

筆塚ですから文筆業と思っていましたが、寄席文字と書かれています。

○○亭というところで書いていた人たちが集まって作った筆塚でしょうか。


十一面観音のいらっしゃる本堂はひっそりと

千体荒神堂のほうが目につくので、そちらに行っておまいりする人が多いのでしょうが、その右には、海雲寺の本堂です。

本堂すぐそばには、枝垂れ桜のような木がありました。しかし、まだ寒い時期なので、お花を観ることは叶いませんでした。

本堂にお祀りされているのは、十一面観世音菩薩です。

後で調べたら、海雲寺は東京の荒神さんとして知られているようで、ますます、千体荒神のほうが人々からはメインで参拝なのだなと思いました。

 


品川海雲寺と書かれたお札ですが、どれも火の用心としての御札のようでした。

台所に貼っていおく、かまどの神様のような御札ですね。

あとは、不動明王ですが、いくつかお顔がある三面六臂の不動明王のようでした。



 

再度、来るときに見た白い幣です。

幣のように見えるのですが、寺院でも幣はあるのかしら。

調べてみたら、千体荒神王殿は、拝殿、本殿、幣殿となっているそうです。

拝殿があまりにも年季の入った木造だったので、別物かと思ってしまいました。

駅から塔のように見えたのは、幣殿だったのですね。

江戸33観音めぐりでも特色のあるお寺をお参りすることができました。