秩父三十四番目霊場の石碑です。ここが水潜寺の入口です。札所まで徒歩2分の場所です。本堂はまだ少し先になります。

道が細いので車の人が入ってこないようにと「自動車侵入禁止」の注意書きがありました。

道標の案内には破風山、橋立峠の文字もみえます。

ここは、皆野町の札所前バス停の前にある入口です。バス停は札所34番前のバス停です。

バス停前には赤い旗が立っていて、観音霊場だとすぐわかるようになっていました(ちなみに満願の湯の広告もありますから、帰りに温泉に立ち寄って帰る人もいるのでしょう)。

バス停のところは、小川のすぐそばにありまして、少しスペースがあって、バス停で待つことできるようになっていました。

ここの石碑からすぐ先に駐車場がありました。(秩父華厳の滝方面に向かっての先)。


秩父三十四番目霊場の水潜寺の参道に秋海棠の花が

32番の法性寺のシュウカイドウは近くに群生地もあるので有名ですが、こちらの34番の水潜寺のシュウカイドウもかなり多くて見応えありました。

ピンクで可愛らしい花です。

ここを歩いているうちに、秩父札所34番の水潜寺の中には、増上寺からの石灯籠がある、ということを思い出しました。

秋海棠の写真を撮っていて思い出したのですが、私も前から不思議に思っていたこと。

秩父の札所には「増上寺」と書かれた石灯籠が置いてあるのです。

江戸からの参拝者も多かったと聞くし関連があるのかな、くらいだったのですが、どうやら本当に増上寺から移築されているみたいなのです。増上寺の敷地が戦後のどさくさで失って、その時に持ち出されたようです。

ネットでは、今では散らばっている石灯籠の行方を調べている人がいて、ここ水潜寺にもあったことを書いていたなと思い出しました。

増上寺の石灯籠

おそらく上の写真が、増上寺から移転してきた石灯籠だと思います。


増上寺の石灯籠

おそらくこちらの石灯籠もそうでしょう。

一般の石灯籠に比べるとリッチな感じがして、立派なものが多いので、秩父の札所を回っている時、余裕があったら、大きめの石灯籠を見かけたら「増上寺」となっていないか確認しておくといいですよ。

それと「○○院」(ここでは「有章院」ですが)と書いてあれば可能性大です。

 


水潜寺の駐車場は入口のすぐ先に

私も石碑に詳しければ、こういうのをみてすぐさま反応できるのでしょうが。

古びた石碑だとわかるのみです。

それよりは、どうしても秋海棠の可愛らしい花に目が行ってしまいます。

水潜寺は結願寺であり、札所34番の水潜寺へは、いくつかの行き方があります。私が調べたのは3通りでした。

レンタサイクルにしろ、自分の自転車にしろ、自転車に乗って行くという人は、33番菊水寺から、吉田椋神社や道の駅龍勢会館のほうからグルっと回って秩父華厳の滝を見てから、34番水潜寺に行くみたいです。

あとはバイクの人も、かな。

歩き巡礼の人は33番菊水寺から、平石馬頭尊堂のほうから山へ入る巡礼みちを使うようです。

こちらは札立峠を超えて山道を通ります。

私は最初このコースにしようと思っていたのですが、熊を発見したというお知らせが出たとかの話を聞きました。ちょうど熊がしばしば出没する秋の「熊シーズン」だったので諦めました。

そこで皆野駅からの皆野町のバスが通るバス道を使いまして、行きはバスで、帰りは歩きにしました。

行きをバスにしておけば、ある程度どのような道を通るのか、行きにみていて道の状況をつかめるからです。

とは言うものの、バス通りから外れて寄り道しましたけど。

そのうえ、ちょうど秩父鉄道のハイキングでハイキングコースマップがあったために、道の把握がしやすかったというのもあります。

いつの日か、歩き巡礼の本来の道を通ってみたいと思っています。

今度は熊が出てこないシーズンを選ぼうと思います。



水潜寺の境内図を見ながらまずは徒歩巡礼の道へ



中に入ってしばらく歩くと二股に道が分かれます。その前に案内板が立っていました。

左に行くと、三十三観音の石像があります。

三十三観音の石像は帰りに見ることにして、まずは参拝順路と書いてあるほうを歩きました。

 



先程の案内の境内図にも描いてある六地蔵のところに来ました。

この苔むした階段を登ると本堂に着きます。苔や湿気ですべりやすくなっているそうです。石段を登る時には気をつけましょう。

こちらも秋海棠の花がびっしりです。

こちらの二股では、一方が本堂へ、もう一方が山からの巡礼道になっています。

関東ふれあいの道というハイキングコースでもあります。

札立峠までは、ここから1.3キロメートル、破風山までは1.2キロメートルです。

近く感じますが、ここからは山道ですからね。

山道を通る巡礼道を今回選ばなかったのですが、下見として途中まで登ってみることにしました。

ということで、徒歩巡礼道のほうを通り、本堂へは後ほどということにしました。



すぐ山から降りてくるのに、カウンターを押すのはどうかと思いましたが、とりあえず山に入った人ということで、カウンターのレバーを押しておきました。

年間何人が入ったのでしょうね。

登る時に一人1回押すということです。降りる時は押さないということですね。



カウンターの場所を通り過ぎるとすぐさま、石がゴロゴロした坂道です。

わりと細い道ですね。

沢をはさんで左側は、「水くぐりの岩屋」と呼ばれる場所です。



スマホを望遠にして写真を取ると、石仏やお墓のようなものが並んでいました。

その奥は、洞窟のようになっているみたいでした。



さらに登っていくと「注意、熊出没」の看板がありました。

こんな低い場所からあるのですね。

この写真では道がわからないかもしれませんが、実際に登ると道があることがわかります。



さらに少し登ると、石橋もありました。

下に向かって、こちらからの写真だと道があることがわかるかと思います。



沢には山からの水が流れています。




しばらくすると、これです。

横に落ちないように登っていかないといけません。

これをみると、登りよりも下りが滑りそうに見えました。



ここをなんとか登ると、いつも歩き巡礼の人たちが、このお地蔵様を見つけたら、あと少しだよ、と書いていたお地蔵様を見つけました。

お地蔵様の袖には、「おつかれさま、水潜寺はすぐそこ」と書いてあります。

これを見たら、やっと着いたかと安堵するのでしょう。

しかし、私は登りの人です。これは序の口ということかと思いました。



さらに上がっていきますと、巨大な岩がありました。

さすがにこれ以上は歩き巡礼の予定ではなかったし、今日の目的は34番への参拝だったので、引き返すことにしました。

それに、「熊出没」も怖いですから。



水潜寺から峠までの地図

この時、札立峠まであと、どれくらいの距離があるのか、と思ってグーグル地図を見てみたら、なんとまだまだでした。

がっかりするほど水潜寺から少し離れただけでした。

これからこのような大きな岩を避けていくのかと思いましたよ。



本堂のほうへ戻るにしても岩場がけっこう滑りそうになりますので、慎重に降りました。

すべりそうな山道と、ゴツゴツした岩があって、札立峠から来た人も水潜寺が近いと思っても気が抜けないと思います。



水潜りの岩場には近寄ることができないから

後でも写真をお見せしますが、現在、水くぐりの岩場には近寄ることができません。

岩の崩落があったようです。

以前は見せていただくことができたようで、その頃に来た人たちはラッキーでしたね。

今では、このように遠くからだけです。



とは言うものの、反対側の登山道というのか、巡礼道というのか、そちらからはスマホを望遠にすれば写真を撮ることはできます。

たしかに、こうやってみると、岩がすぐ後ろに立っていて危ない感じですね。

閉じ込められたら最後です。

遠くにしかみることができませんが、なんとなくの感じはつかめました。


札立峠から来た人たちは、この光景をみたら泣けるのかも。

ここでやっと水潜寺だと。

最後の札所だと。



関東ふれあいの道ハイキングコースでもあり、巡礼道でもある場所にも、秋海棠は咲いていました。

遠くにみえる本堂です。



さて、やっと戻ってきました。ハイキングコースも秋海棠を見ながら楽しめますね。

先程の六地蔵のところまで戻って、本堂へと行きます。


六地蔵の前の苔むした石段を登り本堂へ

先程も書いてありましたが、六地蔵の前の石段は苔があるため滑りやすいです。

 



ここを上るとやっと本堂です。

到着!いつもの小坊主もいます。



紫陽花の花は、すでに終わっていました。

水潜寺の本堂は、大きな向拝が特徴なのだそうです。



まだ新しく見えますが、江戸時代後期に再建されたという本堂です。

ご本尊の千手観音を中心に、西国を象徴する西方浄土の阿弥陀如来像、坂東を象徴する東方瑠璃光の薬師如来像をお祀りしていて日本百観音霊場の締めくくりにふさわしい感じです。


土足厳禁ではなく、こちらは土足のままお上がりください、となっています。

御詠歌の上にある彫刻もきれいです。

脇のほうには、今まで使った巡礼の道具や笈摺、菅笠などを置く場所がありました。

しかし、何度も回数を回る人はどうするのだろう。

私は何も置かずにそのままにしました。


欄間の彫刻もよく知られているようです。
色づく飛天で、きれいです。

できた当時はかなりきれいに発色していたのでしょうね。

彫刻に見とれている間もなく、ちょっと下に目をやると熊情報ですよ。

この水潜寺の先にある秩父華厳の滝にも8月に、そして、札立峠にも8月、熊の出没の目撃情報です。

最後の結願の目前に、熊との遭遇でプロレスは避けたいです。



百観音の結願寺でもありますから、百観音の御砂がありました。

これを踏めば、百観音に行ったことになるという究極のショートカットです。

先に言ってよ、の人もいるかも。

百観音霊場の砂を一箇所に集めてくれています。

西国、秩父、坂東の順で書かれ、「足型の上で拝めば、百観音巡礼の功徳がある」です。




奉納額絵は札立峠のこと

本堂に向かって左に行くといつもの秩父の奉納額絵です。

「大旱魃の折、不思議な僧が現れ「澍甘露法雨」の札を建て、霊験で峠に滝を湧き出させた。僧がこの場を日本の三十四番順礼の結願所とすると告げ雨を降らせて消えた。札立峠の名はここに始まる」

縁起の奉納額絵を見て、なるほどねと思いました。

雨を降らせるために札を立てたから、札立峠だったのですね。




水潜寺の水かけ地蔵に願い事を

水潜寺の水かけ地蔵での願のかけ方です。

「地蔵さんの頭上よりお水を三杯かけて、お願い事を三度唱えてください」

観音霊場では、「三」という数字は大事です。

真如地蔵尊と書いてあるのかな。



そばに柄杓が置いてあるので、そこから水を取ってお地蔵様に水をかけます。

ここの回りもシュウカイドウの花ばかりですね。


立入り禁止となった水潜りの岩屋

ということで、先程から書いていた水くぐりの岩屋への参道です。

現在は、残念ながら、このように立入り禁止です。

「落石、落木があり危険です。被害にあわれても、責任は負いかねます」と強い調子で書いてあります。

以前に巡礼していた人は、以前行けたから行けるじゃないのと入ってしまいそうだから強めに書いているのかもしれませんね。

 



ということで、全体像を写真でお見せいたしましょう。

先程まで山道の巡礼道から何度も撮ったのは、この立て札に向かって右側ばかりだったので、まずは立入禁止の札に向かって左側の様子をお見せします。

ここの石碑に書かれている人は誰なのかよくわかりません。その先に洞穴があるのが見えると思います。


こちらは、立て札の真正面、奥のほうです。水潜りの岩屋への参道というのか、石段です。

まっすぐ先に進めそうなところと、岩の鍾乳洞へと入っていく道とがあるように思うのですが、とにかく近寄ることができないので、わかりません。


鍾乳洞で水に濡れ、流れ出る水が長命水

洞窟の入口をもう少しアップで撮ったものです。

石仏だけでなく、供養塔とかお墓のようなものも見えます。

まさかこの上の大きな岩が崩れてきたとかあったのでしょうか。

ここの洞穴は、鍾乳洞になっていて28番の橋立堂の鍾乳洞みたいなものだったのでしょうね。

ただし、橋立堂のような縦型でなく、こちらは横穴で。

巡礼を終えた人々がこの鍾乳洞に入って水に濡れながら身を清め、胎内潜りをした場所なのだそうです。

胎内潜りをして出た後は、俗世界の人となる。

 


 

アップではなく、引いて撮ると、岩肌の全体がわかるかと思います。

私は岩については詳しくないのですが、ここの石灰岩の岩肌は、泥岩にいろんなチャートという岩石が混じっているそうです。

私が行った時がまだ暑い日だったので、まわりの木々が残ってわかりにくいですが、ほかの人のブログなどを見てみると、大きな岩肌は、やはり石灰岩の岩肌っぽい感じもしました。

 

となると、橋立堂に似ていますね。

ただし、こちら水潜寺はチャートや泥岩が混じっているので、石灰岩っぽい色合いがわかりにくいです。


水潜寺の説明書の案内板

以下に、この説明書きを書いておきますが、今まで書いてきたことと重複しますね。

 

「この札所は秩父三十四観音霊場、日本百観音霊場(西国、坂東、秩父)の結願寺として、巡礼者が打留めの札と笈摺を納めた寺です。

観音堂は、大きな流れ向拝をつけた六間四面方形造りで、文政十一年(1828年)の建築であります。内陣は壁で囲まれ、外陣は桟唐戸をたて周囲に縁を廻し、内陣外陣の境には格子戸を以って仕切り、その上部に飛天像、その他の極彩色彫刻を入れ、組物は出組で格天井をうけ、鏡板には円形の輪郭をとり、花鳥の様々が画かれています。

本尊は一木造り室町時代の作と伝えられる千手観音、西国をかたどる西方浄土の阿弥陀如来、坂東をかたどる東方瑠璃光世界の薬師如来がまつられ日本百観音結願寺の特殊性出しています。堂内には大日如来の胎内仏で初期鋳造の阿弥陀如来、享保十八年諸国信者の寄進による鋳造子育観音など、境内には百観音結願堂、仏足堂をはじめ、七観音、三十三観音、六地蔵がまつられています。

観音堂前には、百観音宝前のお砂を納めたお砂踏みがあり、この上で三体の御本尊を拝むことにより、百観音巡礼の功徳を得られると信じられています。また、観音堂の傍の崖下に、清浄長命水を湧出する寺名おこりの水くくりの岩屋があり、札所巡礼を終えた人々はここで再生儀式の胎内くぐりをし、長命水をいただき、笈摺を納め心身共に清浄になって俗世に帰ったと言われています」

 

 


本堂の右手に仏足堂

手前の観音像も寄進で造られたものなのでしょうね。

奥に仏足堂が見えました。


仏足跡の石ですね。

その下に一石一字という写経を奉納できるようになっていました。

般若心経の一字だけ書くのですね。

各自がバラバラに書くといけないので、そばに木札があって漢字を一字書いたら向こう側に伏せるようです。

勝手に向こう側に置くと漢字が飛ぶので、書かない人が勝手にめくらないように(または、戻さないように)と書いてありました。

そりゃそうですよね。どこまで書いたか、わからなくなってしまいます。

 


お堂の中には仏足の跡と言われる石がありました。


日本百観音結願堂の裏手には七観音像

こちらにも百観音の御砂がありました。

 



さらには、百観音功徳車までも。

百観音巡礼の功徳が授かるようの足型の上で静かに心を込めてお回しください。強く回したり、指をはさまぬようご注意ください」

その下には百観音の御砂を踏める場所を新しく作っていました。



向拝のところの彫刻が鶴で、なんだか目出たい感じがでています。

この結願堂の裏手には、七観音像が点々と安置されていました。

後ろにところどころ見えるのがその七観音像です。



福田赳夫の筆

この百観音結願堂の脇をふとみたら、「内閣総理大臣 福田赳夫」の文字がありました。

福田元首相も来てたのかしら。それとも揮毫だけか。

「日本百観音結願寺 秩父三十四番札所 水潜寺」となっています。

秩父札所全体ではなく、ここ結願寺の水潜寺のために書いてますね。

日付は「昭和五十三年三月午歳総開帳の聖日」となっていました。

昭和53年は、福田内閣でした。



一通り回りましたので、納経所へ行きました。

「讃佛堂」が納経所で、ほかにもいろいろと記念品やグッズも買えるようになっていました。

私は納経して御朱印をいただいてから、結願証と記念のメダルを買いました。

 


金子兜太氏の俳句も

境内には、金子兜太の俳句がありました。俳句碑というのか。

「曼珠沙華 どれも腹出し 秩父の子」

光景が浮かぶような俳句です。

まだ暑い頃、元気に曼珠沙華が咲く道を走り回っている子どもたちでしょうね。

曼珠沙華が咲く頃でしょうから、まさに、9月中旬の私がここで結願した日くらいの時期でしょう。


結願証もいただきました

こちらが結願証です。「証」とだけ書いてありますね。

あくまでもこれは、秩父霊場の結願成就です。

こちらの結願証には、名前が入っていません。

百観音の時の結願証には名前が入るそうです。

早く坂東と西国を回らなければ。。。

 




帰り道は三十三観音像のほうの道から

 

ブログ記事冒頭でも書きましたが、水潜寺の入口から歩いていくと、二回、二股に分かれる道がありますが、最初の二股を左に進むとこの三十三観音の石像のところを歩くことになります。

 

シュウカイドウの花に囲まれた観音像です。貴重な光景です。桜の咲くころもいいのでしょうけど。



観音様の像はなかなか見かけることのない三十三観音です。

お寺で観音像がある場合、六観音もしくは七観音(聖観音、十一面観音、千手観音、馬頭観音、如意輪観音、准胝観音、不空羂索観音)のことが多いのですが、もっと詳しくなりますと、ここにあるような魚籃観音、施薬観音、徳王観音などほかにも水墨画で知られる白衣観音などと三十三観音とする場合もあります。

おそらく観音巡礼が三十三ヶ寺をめぐるから、三十三観音を作ったのではないかなと思っています。

どちらにせよ、観音様の世界では、「三」とか、「三十三」がよく出てきます。

秩父は、百観音にするためにむりやり1ヶ寺足したのでしょうね。三十四にするくらいなら、他の霊場のように、「番外」としますから。


最後に秩父鉄道の皆野駅とバス停について

私はバス停がどこだろうと思ったので、迷う人が出ないようにとメモ書き程度に。

札所までは皆野町の町営バスが通っています。

皆野駅からも歩いて行けますが(私は道の確認のために、帰りのほうを歩きました)、バスを使う方法もあります。

皆野駅を知っている人なら、一体どこにバス停留所があるのかと不思議に思うはずです。

ここの写真にあるように、駅を出たらすぐ、ではなく、少し歩きます。約100メートル先なので、時間ぎりぎりだとバスに乗れないこともありえますよね。時間に余裕を持っておいたほうがいいです。

特にあせると、この説明書きの看板すら目に入らないかも。

町営バスだけでなく、西武バスもここに止まるようです。

歩き巡礼の場合、33番から山を超えて札立峠を超え、34番に行き、そこからバスで帰ることが多いようです。

私は冒頭でも書いたように、熊のことがあったので、皆野駅から満願の湯の前を通るバス通りの道を選びました。そして帰りに歩きました。

こちらの道なら熊は出ないかと言われるとなんともですが、可能性は山や峠を超える道よりは少ないと思っています。

私は熊鈴ではないですが、大きめの鈴を持っていましたので、こちらのバス通りの道でも帰りは付けて歩きましたよ。チリン、チリン、リンリンです。