身代わり地蔵のところから龍石寺を写してみました。

桜は散りはじめています。

そりのある屋根が美しいお堂です。


龍石寺は大きい一面の岩盤に建てられた観音堂

真ん中に大きなお地蔵様をはさんで、左右に六地蔵です。

龍石寺に来てすぐに目にするのがこの六地蔵です。

その先に見えるのが龍石寺の納経所です。

こちらの龍石寺は、NHKの番組でも変わった地形に立つお寺として紹介されていたとのことです。岩盤の上に立つお寺というのは、珍しいですものね。


荒川の侵食で出来上がった大きな岩盤の上に立つお堂



大きな岩盤の上に立つといいますが、観音堂のまわりは、それほど岩というのを意識しませんでした。

お堂の周りが整備されていないお寺もありますから。

それよりはお地蔵様が立っている場所のほうが石がデコボコしていて、岩盤の上なのかなと思うほどでした。

おそらく改築した折りにお堂の周りもきれいにしたからではないかなと思います。

伝説の類なのですが、こちらの札所の由緒には、弘法大師も登場します。

いつもの秩父札所に掲げられている由緒などがわかる絵です。

文字が見えないので、状況がよくわかりませんが、雨が降っている場面でしょうか。

伝説については、このようなものです。

昔、この地方に大干魃があって、弘法大師が天皇の勅により雨を祈られたところ、この大盤石が二つに割れて、神泉苑から龍が昇天して、雲を呼び雨が降ったことで、草木が蘇り、豊作になったという伝説があるそうです。

それで、「龍」「石」という字がついたお寺なのですね。


住職がいない寺だが秩父観光協会の若者たちの尽力で再建

お寺の由緒書きを読むと、近年、お堂の荒廃を憂い、広く浄財を募り、昭和四十七年に復元を目指していたところ、宝永二年の墨書が発見され、歴史の古さを物語るものとなったということです。

住職がいない龍石寺の荒廃はひどかったとのことで、秩父の観光協会の若い人たちが、托鉢して浄財を集めて、昭和48年に改築されたそうです。

堂内には、閻魔大王をはじめ、十五像など冥途の恐怖を強調するものや三途の川の脱衣婆をお祀りする三途婆堂もあって、仏教の暗い側面を見せる札所でもあると、書かれていました。

御本尊は、千手観音菩薩像で、寄木造りの室町時代の作と言われています。地元では厄除け観音としても知られているとのこと。

 


脱衣婆を祀る三途婆堂

こちらが、三途の川で死者の衣服を剥いで脱がせると言われている脱衣婆を祀る三途婆堂です。

 


こちらは、観音堂の裏手にあった不動堂です。



桜の木の下にお地蔵様がいくつか置かれていまして、そのまわりを見ると岩の上ということがわかります。

しかし、これが一枚の岩盤なのかな。一枚なのかは、わかりませんが、平らな岩ということはわかります。

荒川が侵食した巨大な岩盤なのですね。



観音堂の前から納経所のほうを写真に撮りました。こちらのほうが、岩盤の上に立つということがわかりやすいかと。

ところどころ、水たまりができていました。

この先に見えるのが、納経所です。

住職がいないお寺ということを聞いていたのですが、地域の人が御朱印の担当なのでしょうか。

札所を守る、ということは立派だと思います。



遠慮がちな文言です。「御迷惑でも留守の場合は、宗福寺で納経いたします」とのことです。

私が行った時は、納経の方がいらっしゃいました。

 



再度、龍石寺のまわりの写真です。

なんとか岩の上ということがイメージつかめるでしょうか。

裏手には、竹がありました。


散りかかっていますが、桜の木のほうから岩盤を中心に写真を撮ってみました。



龍石寺の周りを歩いてみると、まわりは石垣になっています。

一段高いところにあることがわかります。



石堤が途切れたところは、むき出しの岩盤です。

こうやって写真にすると、土の地面に見えてしまいますね。

触ると硬いとわかるでしょうが。


別の角度から撮ってみました。

春だから、水仙の花が咲いています。



帰り道、駅のほうに向かってあるいていたら、先ほど納経所に書いてあった、留守の時の「宗福寺」が見えてきました。

こちらの奥が宗福寺です。

夕方だったので、こちらには立ち寄りませんでした。

龍石寺からはそれほど距離はないので、もし、龍石寺の納経所に誰もいないで留守だった場合は、こちらに行ってみてください。

私も夕方でなかったら、納経に関係なく、見学していたと思います。