初不動の日にお不動様めぐりをしているという話です。関東36不動尊のひとつでもあり、江戸五色不動でもある目白不動尊です。

こちらの金乗院にては、初不動の日なので目白不動尊の御開帳ということで、法要が行われていました。

時間ドンピシャだったのです。

お不動様に呼ばれていたのかと思うほど。

厳密にいうとドンピシャではなく、少し遅かったのですが、お堂に向かっている男性がいて、私も不動堂に行ってみたら、まさしくこれから、というところでした。

 

正五九の月には御開帳と護摩祈祷の法要がある目白不動尊

 

慌てて法要に参加したので、終わった後の写真ばかりとなります。

金乗院の境内にありますが、少し階段を登ったところにお不動様がお祀りされています。

こちらがお不動様のお堂なのでしょう。

初不動の法要には、20名ほどでしょうか。雨の中ですが、集まっておりました。

おそらく普段は扉が閉じているのではないかなと思います。

初不動の日の法要があるからだと思うのですよね。

 

目白不動尊といいますが目白駅というよりは、都電荒川線の学習院下車になります(私は行きは、都電荒川線を使いました)。

帰りは、副都心線の雑司が谷駅から帰りました。

どちらも駅から近かったです。

高田宿坂下にあります。

お不動様の法要のことがあることや初不動の日だったので、ついつい関東36不動尊巡りについて書いてしまいますが、江戸33観音の14番でもあります。

 

関東36不動、江戸33観音、さらには御府内八十八ヶ所の霊場でもあった

こちらがお不動様のお堂の裏手です。

法要で人が集まるところと、内陣になるのでしょうか、不動明王の像が安置されている場所に分かれています。

 

こちらの金乗院ですが後日、知ったのですが、御府内八十八ヶ所の霊場でもあったのですよね。

なんでも江戸御府内八十八ヶ所の第38番と第54番の札所でもあるとか。

なぜ38番と54番の2ヶ所もなのか、といいますと、昔、小石川にあったという東豊山新長谷寺と深い関係があり、その新長谷寺が戦災で焼失したために、こちらの金乗院と合併したのだとか。

そのときに目白不動明王を安置したのだそうです。

新長谷寺が残っていたら、そちらが目白不動尊として、関東36不動尊巡りに行っていたのかもしれませんね。

今回は、初不動の日だったもので、江戸33観音のことはわかっていたのですが、頭の中は目白不動尊のことばかりになってしまっていました。

いずれまた、御府内八十八ヶ所の札所として、参拝に行きたいと思っています。

弘法大師の像があります。だからこそ、江戸御府内八十八ヶ所のひとつなのですよね。

初不動の日で、お不動様のお堂は開いていたのですが、本堂は閉じられたままでした。

それとも時間が遅かったからでしょうか。

本堂に、聖観音菩薩があるそうです。

前立本尊は木造のものだったそうですが、残念ながら、戦災で焼失とか。

戦災だとか、火災だとか、けっこう焼失は多いですよね。

 

 

不動尊が祀られているお堂の隣から墓所(丸橋忠弥や青柳文蔵)への階段あり

さて、先程のお不動様のお堂の脇は階段になっています。お堂のある高さがわかるように写真を撮ったのですが、どうでしょうか。

金乗院は、見どころがたくさんありまして、この石碑にある「見ざる聞かざる言わざる」の猿も珍しいと思うのですよね。

ほかにも歴史があるような石碑や石仏もみえます。

墓所のほうに行きますと、このように丸橋忠弥の墓などがあります。

歴史好きな人ならば気になる場所なのでしょうか?

日本における図書館の始祖といわれる青柳文蔵の墓もありました。

先程の不動堂の下にあった立て札の丸橋忠弥の墓というのは、こちらです。

私は歴史には疎い人なので、調べてみたら、江戸時代の武士ですって。歌舞伎の『慶安太平記』で有名だそうです。

出羽山形の人、私の母が山形の出身なので、なんとなく縁を感じます。

江戸幕府の転覆を図ったというのですが、お墓は残っているのですね。

このようにいろいろとあるのは、歴史が古いからこそのお寺さんなのですね。

摩耗していて、ちょっとみただけでは(特に雨の日に行った私としては)、三猿なのか、どうかわかりにくいかもしれませんね。

こういうのは、やはり、晴天の日に写真を撮るといいでしょうね。

ということで、金乗院の中にある多くの石碑もじっくり見ておいたほうがいいですよ。

 

倶利伽羅不動の庚申

倶利伽羅不動については、青梅の常保寺でも見たことがあります。

刀に巻き付いて、怖そうです。人間を罪過から守る青面金龍です。

三猿は天の神に人間の犯した罪を伝えない様子、と書いてあって、なるほどね~と思いました。

この庚申碑というのか、庚申塔というのか、道教由来の庚申信仰からくるものだそうです。

そもそもは、塚の上に石碑を建てたのだとか。

庚申ですから、60日に1回めぐってきます。そのときに人の身体に入っているものが天の神に言いつけるのです。人間の罪過を。

ということで、まずは人間の罪過から守るのが倶利伽羅不動なのでしょうね。

そして、それを言わないよというのが、「言わざる」の猿ということなのかなと思いました。

 

あいにくの雨の日ですが、雨の中の地蔵尊です。

こちらは、比較的新しいように思いました。

弘法大師と文字が刻まれた石碑も見えます。

 

鍔塚もあります。あの刀のつばですよね。

冬なので、まわりは枯れ木になっていますが新緑の季節とは見た目が違うでしょうね。

1月とはいえ、雪にならなくてよかったのですが、さむい冷たい雨でした。

 

 

本堂も広くて立派ですね。

 

本堂向かって右手に納経所

目白断臂不動明王の白檀刻懐中守りという高価な御守もありました。いい香りがしそうです。

それと護身守りもありまして、こちらは人気ありそうですね。

交通安全ステッカーもあります。怖そうな顔で、車が近寄ってこないことを狙っているのかな。

 

関東36不動尊をめぐるのが困難な人でも江戸五色不動めぐりをするのなら、こちらの金乗院に来ることになりますよ(目白、目赤、目青、目黒、目黄の各不動明王)。

ちょうど法要が始まったときに行ったので、お不動様の御開帳に出会えてラッキーでした。

お不動様も見せていただくことができました。

納経所にて、江戸33観音の御朱印と、関東36不動尊の御朱印をいただきました。

 

掲示板に、不動明王の御守のことが書いてありました。

今、気がついたのですが、正五九の月に行われているようで、正月、1月は28日午後3時から護摩供と書いてありますね。御開帳大護摩供と書いてあります。

私のように御札をいただいていない人も少数ながら参加してました。

きっとお不動様が好きな人なのでしょうね。

 

関東36不動尊と、江戸33観音の御朱印をいただきまして、帰ることにしました。

その前にもう一度、山門を。

山門には、「神霊山」と書いてありますが、山号も途中で変わったのだとか。

聖観音菩薩がご本尊と聞いたのですが、石碑には十一面観音と書いてありますね。

江戸第十六番と山之手第九番の文字もみえます。江戸とだけ書いてあるので、江戸33観音でもなさそうです。

それと山門に向かって右には、「御府内八十八ヶ所第38番」の文字もみえます。

それでもどうしても不動明王のほうに目がいきます。

次回の参拝は、御府内八十八ヶ所の札所めぐりとして行くつもりです。