埼玉県とはいえ、所沢市です。ほぼ東京都と言ってもいいくらいなのですが、札所9番の実蔵院から以降は埼玉県の巡礼になります。

上の写真の立て札というのか、木の標識にも書いてありますが、実蔵院は山号を野老山といいます。

これが「ところざん」と読むのです。

所沢市の所沢は、以前は、「野老沢」と書いていたのですね。

「野老」がところざわのところにあたります。

 

武蔵野の巡礼は埼玉県へと



実は、この実蔵院も以前に行ったことがあります。ついでに立ち寄ってみたのです。

しかし、自粛期間中だったので、お参りだけで終わりました。

山門前には、六地蔵が並びます。

六地蔵は比較的新しい感じがしました。

 


所沢は以前は、野老沢だった

山門に山号が書いてあります。さきほどの木の寺標と同じく「野老山」となっています。

これをところざんとは、なかなか読めませんね。

 



所沢は、砂川遺跡があるなど古代から開拓されていました。

中世には鎌倉街道沿いにあったために宿場町のような存在だったと言われています。

江戸時代に入ると江戸へ向かう街道沿いに宿場が開かれ、三八の市も立つようになりました。

近隣の農村の経済的な中心地になります。

上の写真にも「三百年の伝統」と書かれているように市が立っていました。

最初は、三斎市と呼ばれて、月に三回、3のつく日に開かれていました。3日、13日、23日ですね。

それが六斎市となり、8のつく日にも開かれるようになりました。

3日、13日、23日にプラスして、8日、18日、28日も、です。

現在の三八市は、野菜の苗が売られたり、植木市としても行っているようですね。

ここは実蔵院の真正面の参道にあたる場所です。



江戸時代は、この参道にも市が立ったのではないかなと思いました。

ここをまっすぐ先に行きますと、先ほどの山門にあたります。

所沢は綿織物の取引も活発だったとのことです。



さて、話を実蔵院に戻しまして、こちらは実蔵院の脇から入れる門のところです。

最初に行ったときは、こちらから入りました。

 



こちらの入口から入りますと、驚くのが鳥居が見えることです。

左手に見えたのです。

しかし、手前には弘法大師らしき像も見えます。

そのうえ、第六十八番と、霊場らしいこともわかります。

これは家に帰ってから調べてみたら、奥多摩新四国霊場八十八ヶ所だそうです。

多摩など関東には、いろんな八十八ヶ所の巡礼場所があるのですよね。

実際にお寺に行ってみてわかるということも多いです。



こちらがその謎の鳥居です。

隣には毘沙門天と書かれた石碑もありました。

以前は神仏混合ですから、お寺に鳥居もわかるのですが、こちらは、稲荷社でしょうか。

これも後で調べてみたら、以前は赤い鳥居とのことで、赤い鳥居とすれば、稲荷社だろうと思われます。

たしかに、この鳥居は新しい、作りたてのような鳥居でした。

謎なのは、稲荷社と毘沙門天と書かれた石碑との関係です。



お庭には、かわいい石像などがありますが、本堂前の聖観音立像です。

銅像なのだそうで、今まで巡礼してきた観音様は外にいませんでしたが、今回は外に出ている観音様です。

当然のことながら、「御開帳」ですね。

小さいながらも回向柱が立っていて、お手綱に繋がれています。



聖観音菩薩様の後ろには、いくつか石碑や石塔などが並んでいました。

聖観音菩薩と書かれますね。

お手綱もありますし、間違いなくこちらが武蔵野三十三観音としての観音様です。


なかなかお手綱と回向柱に繋がれた状態を近くで見る機会もないので、写真をいくつか撮っておきました。

金銅の聖観音菩薩です。



お手綱は巻き上げられているのでしょうか。

それとも元からこれくらいの長さなのかしら。

観音様の手に繋がれていることはわかります。

 



緑がきれいな季節です。あいにくの雨ですが、所沢の住宅地にもこのような場所があるのです。

観音様の後ろにも道があったので見てみましたら、墓地へ続く道でした。

墓地の前にも六地蔵がありました。

講中七拾三人と書いてある石仏です。

 



ついつい観音様のほうに気がいってしまい、本堂のほうの写真が少ないですが、こちらが山門から入って真正面の本堂です。

額には、實楼閣のように読めるのですが。

實蔵院としての御本尊は、大日如来だそうです。

入母屋造の本堂で歴史を感じる建物でした。けっこう千社札も貼ってありましたし。



御開帳再開してから行ってみた

御開帳が再開してから行ってみました。私が参拝に行った日は気温が上がって、晴れの日でした。

以前に行った時は、雨の日だったので、寺標がよく読めず「野老山 實蔵院」となっていることがわかるくらいでしたが、その上に「武蔵野観音第九番霊場」と書いてあったことがわかりました。

 



古いお寺を物語るように、昭和29年に本堂の改修をしたら、いくつか板碑が出てきたそうです。

貞治四年(1365)の板碑など古い板碑3枚が見つかったそうです。

今回の写真で、本堂の前に聖観音菩薩立像があることがわかりやすかと思います。



納経所は、山門入ってすぐの場所にありました。

本堂まで行く途中になります。

 



前回は奥のほうまで行かなかったので、本堂裏手の六地蔵です。

こちらの六地蔵は、かなり古くて崩れてしまっている部分も多かったです。






前回よりは、お花が見える境内になっていました。

三八市と書かれた入口のところからまっすぐ入ると山門に行きまして、山門のまっすぐ先が実蔵院の本堂になります。

脇からも入るところがありまして、それがこの奥多摩新四国八十八ヶ所霊場であることが書かれた石碑のほうになります。

脇のほうから入ると、山門は、このような位置にあります。

山門の先に六地蔵がちらっと見えますね。本堂奥の六地蔵よりは、山門前の六地蔵は新しい感じがしました。

マンションなどが見えまして、住宅街であることがわかるかと思います。

秋は秋で紅葉や、山門のところのイチョウが目を和ませてくれるのでしょう。

今回の令和二年の御開帳は、12月末まで開かれているとのことなので、秋に巡礼で回る人とは違った光景になりそうです。