秩父の西光寺は、お花がきれいなお寺です。特に、枝垂れ桜が有名なお寺なのです。

秩父の駅からも歩いて行ける範囲ですし、住宅地にありますので、札所めぐりの人だけでなく、御朱印を求めて神社や寺院をめぐっている人にもおすすめできるお寺です。

秩父市内の観光をするなら西光寺もいれておくといいですね。

私は他の札所も回ってから行ったので、西参道から入ることになりました。

このように秩父の札所はわかりやすく道案内があるので、近くまで行けば右往左往しなくてすみます。

 


巡礼者の先輩が残した納札の釘跡が残る西光寺

枝垂れ桜が終わりかけの頃に行っているので、満開の頃ならもっと見事だったと思います。

参道だけでなく、山門の門前にも枝垂れ桜がありました。お寺の境内の枝垂れ桜のほうがまだ残っていたような気がします。

西光寺は、お花がきれいなお寺ですよ。紫陽花の頃に行った人もきれいだったと聞いたことが。

 



とはいえ、私が行ったのは夕方でした。

昼間のまだ日が高い時に行っていたら、もっと桜がきれいにみえたかな。

山門の古さとマッチしている桜の花です。


西光寺の四国特別霊場も見ておきたい

境内の桜がチラッと見えますね。山号は、「無量山」です。

山門の柱に貼ってある秩父札所第十六番はいつも見るものですが、「弘法大師、特別霊場、準四国八十八ヶ所」と書いてあります。

これは何と思いますよね。

観音霊場ではなく、弘法大師?

秩父の札所は、「禅寺」となっているお寺が多いのですが、西光寺は、真言宗です。だから弘法大師なのですが。



つるし雛もきれいです。

まずは、本堂でお経を。

本堂正面の欄間には、釈迦涅槃彫刻がありますとあって、その左右は、十大弟子とのこと。

「御本尊、千手観音は子年の守り本尊です」と書いてありました。

 


これが山門にもあった「弘法大師特別霊場」です。西光寺の特別霊場となります。

ここが入り口です。

ここのお堂は回廊堂となっていますね。

関東八十八ヶ所霊場と書いてある石碑もあります。

その手前には、お砂踏み場と仏足石が見えます。

御砂は「四国八十八霊場御砂場」と書いてあるので、ここを踏めば四国八十八ヶ所に行った時のご利益があるのでしょう。

この回廊堂の中は、四国八十八霊場の御本尊が並んでいます。ここをお参りすれば四国八十八ヶ所をめぐってきた功徳が得られるとして知られています。

御本尊と御砂ですから、功徳を得られるとするのもわかります。

入口近くには、弘法大師の木像もありました。



南無大師遍照金剛です。

こちらは出口です。

四国八十八佛霊場、奉祀廻廊となっていて、参観自由です。

山門からは出口のほうが近いので、「入口は本堂脇ですが、ここからも入れます」と書いてくれています。

親切ですね。


四国八十八ヶ所霊場寫しの最後には金毘羅宮を忘れずに

そういえば、出口付近にこのような図がありまして、四国八十八ヶ所めぐりをしたら、最後は金毘羅宮です。

回廊を出てから、右手に行き、その奥に準四国金毘羅宮があります、となっていました。

場所を間違える人が多いのか、説明書きだけでなく、絵まで描いてあります。

二百年前にこの堂を造った時の仏師が奉納したものです、とあります。

なんと二百年前の話です。

しかも仏師が奉納だそうです。

西光寺の本堂は、1710年に建立されています。

しかし、これだけのものを全部無料で見せていただける西光寺ってすごいですよね。



こちらがその、奉納したという金毘羅宮、金毘羅大権現です。

枝垂れ桜とみごとにマッチしています。

お堂が2つ並んでいるので、間違いやすいのかもしれません(だから絵までプラスして説明あり)。

金毘羅宮はシンプルな感じです。

お隣のお堂には、阿字観書学之処と書いてあります。


納札を打ち付けた跡に歴史を感じる札堂

金毘羅宮のお隣は、札堂です。

これまた、古いです。この古さと枝垂れ桜がマッチしてます。

秩父札所最古の遺構だそうですよ。

昔の木の納札を打った釘跡が残る、とあります。

説明書きには、秩父札所開創当時の1234年、現在最古の遺構と推察されるとあります。

幾多の変遷と多くの巡礼者の納札の釘跡が祈りの歴史を伝えている、という貴重なものです。



穴ボコボコですし、千社札も貼ってありました。今なら、これは禁止しているお寺が多いですよね。

新しい木札も見えるので、最近訪れた人の中には打ち付けた人がいるのでしょうか。奥には、いくつか小さな仏像が奉納されているようでした。

今は、「納め札」というと、小さな紙ペラですが、昔は木の札だったのですよね。

だから、霊場のことを札所というわけです。



秩父市の説明によると、この札堂は、旧観音堂だったそうです。市の指定史跡になっています。

このお堂は、もともとは、寺の南側の現在、墓地となっている辺にあり、享保年間に、この場所に移転し、もとは「大中山満福寺」と言う寺に併合したものと古文書、寺鐘銘、石灯籠の刻字、道標等から裏付けられます、と書いてありました。

長享二年の法性寺にある古番付によると、現在の二十四番が十二番、西光寺が十三番で、今の二十三番が十四番になっていること、巡礼の順番から言っても、今の二十三番と二十四番の間にあったのではないかと書いてありました。

二十三番は音楽寺で、二十四番は法泉寺ですから、もしかしたら、秩父のミューズパークあたり、ということでしょうか。

鎌倉時代の武士団武蔵七党の一つである丹党の主流である中村氏の本拠地にあった(中村町中屋敷)そうで、この住所からも中村氏の居住していた館内にあった寺院ではないかと言われているのです。

江戸期の元禄の頃は、秩父の多くの札所のお寺が改修改築されたそうです。秩父の霊場は人気だったのですね。

そして江戸時代の庶民もここのお堂で祈りを捧げて、納札を打ち付けていたということ。堂内からは、元禄、享保という紀年を書いた納札も発見されたとか。確かに、今、私たちが納札を書く時に「令和」とか書きますよね。

時を経て、打ち付けていた跡が目の前に残っている不思議さを感じます。私のような巡礼者の先輩ですよね。


枝垂れ桜の時期がおすすめ西光寺

納経所のほうから、お庭の写真を撮ったら、こちらのほうが枝垂れ桜の美しさがわかりやすいですね。

参道のところの枝垂れ桜は終わりかけていましたが、境内の枝垂れ桜は今が見頃のようでした。

遠くに見えるのは、武甲山かな。

本堂前には、桜の枝がいけてありました。



こちらは、水屋近くの桜です。

こちらも観音様と桜がマッチしています。枝垂れ桜はソメイヨシノよりも早い時期に咲きますが、なかなかいいですよね。


酒樽大黒天も見ておきたい

納経所は、右ですと書いてあるので、右で納経を済まします。そのそばには、ほとんど花が落ちてしまっている白梅の木です。これも枝ぶりがきれいです。

その隣には、なにやら、藁葺き屋根のお堂がみえます。

 



なんとこれ、大きな酒樽だそうです。私が行った時は、夕方だったので、戸が閉まっていました。

酒樽大黒天として、中に大黒さまがお祀りされているそうです。

勝運上昇だそうですよ。商売繁盛にも。お守りもあるとのこと。

「酒蔵奥深くに仕込樽として大正年間に作られし樽、時代と共に用いなくなりたるを、昭和四十年代、茶室をして、造りしが大黒天を祀ったところ招福の御利益ありと多くの参詣を集め、願をかけ、名刺を残すという他にも例のない酒樽大黒天となりける」

と書いてありました。

ということは、ここに名刺を挟んでおくのもいいのですね。

最後に書いてあることは、この酒樽は、三十石樽といって、一日三合三十年分が入るという樽とのこと。

とにかく大きい樽なのです。



酒樽大黒天に向かって左には、秩父夜祭の山車の車輪です。

こうやって残しておくと記念にもなりますね。

秩父夜祭の山車の車輪なんて、まじまじとみる機会もないと思います。


最後にもう一度、お庭の美しい桜を。

こちらが本堂前に生けてあった桜の枝です。



真言宗ですから、弘法大師。弘法大師と桜です。弘法大師と桜も絵になります。

1月15日の朝にテレビ東京で、88仏、四国八十八霊場の写し、として紹介されていたのですね。

テレビの力は大きいから、見に来た人もいるのでしょう。



こちらは、水屋近くの観音様の足元にあった木橋と、小さな仏像や観音像です。



私が出たあとは、山門が閉められました。

四国八十八霊場の写しをじっくり見ていたので、けっこうぎりぎりになっていました。

それでなくても納札の打ち付けられた跡が残る札堂や酒樽大黒天など見どころ満載です。

もっと時間を取っておけば良かったと思っています。

門前に四国八十八霊場の由緒があったと今、気が付きました。

もう一度、山門前の枝垂れ桜をどうぞ。



西参道のほうにも駐車場がありましたが、山門からまっすぐ来たところにもあったのですね。

こちらが表参道です。私は行きは西参道から入りまして、帰り道は表参道です。

こちらの寺標には、「新義真言宗豊山派」と書いてありました。

秩父札所十六番西光寺という寺名とともに、無量山という山号、そして、四国八十八ヶ所寫とも書いてありした。

ぜひとも西光寺では時間に余裕をみてじっくり見てください。見どころ多く、花もきれいなお寺です。