今回も坂東33観音の札所巡りの旅です。
またもやバスツアーを利用しました。前回は阪急交通社で、今回はクラブツーリズムです。
大手の旅行会社のバスツアーは、この2つだと思います。ほかにも小さめのツアーはあるようですが、有名どころとなると、阪急交通社か、クラブツーリズムでしょう。
どちらがいいのかは、実際に体験しないとわかりませんから、今回はクラブツーリズムのほうにしました。
クラブツーリズムの場合、僧侶も同行してくれるので、本格的でしたよ。
特に、太鼓があったときは、叩き方が違いましたね。お経を唱えるのも、さすがプロ、って感じでした。
阪急交通社の場合は、先達さんという、いわば私たち参拝者の先輩のような方が一緒に来てくれました。
それはそれで、同じ目線でよかったです。
今回はクラブツーリズムでしたから、お坊さんと一緒にお寺を回ります。
では、清瀧寺の紹介の前にクラブツーリズムの坂東33観音めぐりのバスツアーについて少しだけ紹介します。
クラブツーリズムの場合、おそらく上野での集合になるかと思います。クラブツーリズムの別のバスツアーに参加したことがありますが、そのときは、新宿でした。
坂東33めぐりは、上野と決まっているようでしたが、上野の中で、バスの到着場所が変わることがあるようです。
ちなみに阪急交通社の坂東33観音めぐりのバスツアーの集合場所は、種類がけっこうありました。
東京だけでも、新宿、東京、池袋などです。
クラブツーリズムの坂東ツアーは上野に集合で入谷口へ
以前の集合場所と違っています、との案内なので、同じ上野でも集合場所が違う場合もあるのでしょうが、私が参加したときは、上野駅の入谷口で集まりました。
入谷口は出口まで、けっこう距離がありましたので、時間ギリギリに行くとあぶないです。
時間に余裕を持って行きましょう。
この写真のように矢印で書いてくれているのでそのとおりに歩きます。
上野というと上野公園とか不忍池の方面が頭に浮かびましたが、東京方面から乗ると先頭のほうに、池袋方面から乗ると、最後のほうの出口から出て、さらに歩く、というイメージでした。
駅の改札を出たときは、余裕で行けるなと思っていたのですが、歩いても歩いても地上に出るところまで行きません。
こちらの方面でいいのかなと心配になりました。
やっと外へ出る出口(入谷口)まで着きました。
入谷口を出てすぐのところに、東西めぐりんというバスがあるようで、そのバス停の「上野駅入谷口」の文字が見えました。
クラブツーリズムのバスツアーの集合場所は、ここからさらに歩くのですが、クラブツーリズムの人だとひと目でわかるジャケットに、手には案内板を持っているスタッフさんがいたので、聞いてみました。
するといくつかのツアーがいっしょになっているので、坂東のバスツアーの人は、もっと先のところで待っていてほしいと言われました。
そこは自転車の駐輪場のようなところでした。
その下で待っていました。
暫く待つと、担当の添乗員さんが現れて点呼をとります。
私たちのツアーは「赤馬車」のバスだと言われました。
他にもいろんなツアーがあるようでしたよ。
それで該当のバスに乗り込みました。
まだ寒い時期だったので、ダウンジャケットのようなコートを着ていますが、赤馬車のバスは比較的前の席との間が広くて、脚を組んでいても大丈夫なくらいの広さでした。
光っているところが、スマホの電源を取れる場所のしるしです。
この下にUSBの差込口がありました。
ケーブルさえ、自分で持っていけば、スマホの電源切れを心配することもありません。
お寺の駐輪場に停めているときは、他のバスがないので、わかりやすいのですが、高速道路のパーキングエリアなどでは、他のバスも多いので、自分たちのバスを見失うことの無いように、覚えておく必要があります。
高速道路のパーキングエリアでは、いろんなツアーのバスを見ることができて、それはそれで面白いのですけどね。
バスの話はこれくらいにして、本題に入ります。
南明山 慈眼院 清瀧寺です。
清瀧寺は地元の人に大切に守られている
石碑には、南明山 慈眼院 清瀧寺と書いてあります。それと坂東26番の文字も見えます。
こちらの清瀧寺は、なんと無住の寺なのだそうです。
地元の人々によって守られているお寺だそうです。
かなり古いお寺なので、みなさんで管理しないといつの間にか、廃寺になってしまいますよね。
そもそも607年に聖徳太子が作ったと言われる聖観音菩薩を竜ヶ峰に安置したというのが始まりと伝えられる、あまりにも長い歴史を持つお寺です。
とはいえ、『坂東霊場記』では728年に行基が観音像を作って山頂の瀧口に安置したのが始まりとも書かれています。
どちらにしてもかなり昔に遡るお寺であることは間違いありません。
坂東33観音に選ばれるのもわかります。
見応えのある山門は天保年間に作られたもの
山の中に入っていくような感じですので、階段を上っていきます。
地元の人の管理になっていますが、この階段を登っているのかと思うと感謝しないといけません。
地元の人が守っているからこそ、こうやってお寺を見ることができるのですから。
階段を何回も登っていくうちに見えてくるのが、山門です。
かなり古いことがわかります。
まだ2月だったので、「迎春」の看板が残っていますね。
こちらの山門は、天保年間に建てられたものです。
本堂は焼失したことがあるので、唯一古いままなのがこの山門ということです。
裏からも写真を撮りました。
年季が入っているので、ところどころ門の色が剥げてしまっています。
私たちのツアーがいったのが、2月ですが、清瀧寺に夏にいったら、緑あふれる森のなかの山門になるのでしょう。
清瀧寺という名前のとおり、山頂の瀧口のところに安置したのが始まりとも言われているくらい、瀧の水と縁が深いのです。
瀧の水は、「大悲水」と呼ばれて、病を治すと伝えられてきました。
参道の階段横には安産不動尊
ブログ冒頭の写真にもありましたが、階段の途中には、安産不動尊があります。
小さな祠ですが、その隣の竹筒からは手水舎を兼ねることができる水が流れています。
山からの水なのでしょう。
それにしても本堂までは、ひたすら階段を登ります。
もう少しで本堂にたどり着ける、という場所で、隣が坂道になっていて、女坂のように見えました。
ここまで階段を使ったので、続けて階段を上ることにします。
冬の時期だったので、枯れ枝がみえますが、夏だったら、鬱蒼とした木々の間を登っていくのでしょう。
本堂の屋根が見えてきたようです。
それとともに、階段そばで励ましの言葉がありました。
「ようこそおまいり」の文字と、「またの御参詣おまちします「の文字とともに、小坊主が描いてありましたよ。
それにも増してうれしいのが、「あと35段」の文字です。
あとちょっと、と書かれるとどれくらいか見当も付きませんが、35段だと思えば頑張れます。
それに「観音様がお待ちしております」ですからね。
あともう一辛抱です。
そのほか、階段には、百人一首の歌が書いてありました。
「花の色はうつりにけりないたづらに我が身世にふるながめせし間に」小野小町の歌でしたよね。
これは覚えています。
このような和歌が竹に書かれていて、階段に掲げられています。
階段を登ったら、鐘がありました。こちらの鐘楼もなかなか古そうです。
写真ではよくわからないのですが、鐘を吊る部分が、阿吽の龍の形になっているそうです。
これは珍しいのだそうですよ。
鐘は参拝前につきますよね。
鐘をつくのは、ご自由に、とのことです。
ただし、参拝前につくということです。参拝する人は、先に鐘をついてから参拝します。
ゴーンと打ってから、中に入りましょう。
弘法大師の大師堂
本堂のほかに弘法大師の大師堂がありました。
こちらの清瀧寺は、瀧口にできたのですが、その後、山の中腹に移されました。
鎌倉時代には八田知家の庇護により栄えたそうです。
しかし、室町時代の戦乱で焼失しました。
江戸時代の元禄の頃に再建されたものの、衰退したそうです。
さらに追い打ちをかけるように、昭和44年には火災により2度目の焼失です。
衰退したうえに、焼失ですから、ほぼ廃寺のようなものですね。
現在の南明山慈眼院清瀧寺は再建されたもの
衰退して焼失となると、そのまま放置かとおもいきや、地元の信徒の尽力で、昭和52年に再建されました。
現在ある本堂は、昭和52年に建てられたものです。
だからか、山門の古さに比べると新しいことがわかります。
とはいえ、それでも千社札はけっこう貼ってありました。
昭和52年から貼っているわけです。
清瀧観音について書かれたものですが、ところどころ破れてしまって、ちょっと読めませんね。
「坂東33ヶ所霊場の26番札所で有名な清瀧寺は、昔、推古帝に竜ヶ峯に創建され、大同年間(806-810)徳一上人により古い観音に移されたと伝えられる」までは読めるのですが、あとは、ところどころです。
「七堂伽藍を備えた」とか「佐竹氏の兵火により焼失」とうっすらみえます。あとは、「江戸時代に建てられた」という文字くらいですね。
本堂に向かって右手の出入り口から内陣に入ることができました。
私たちは、ツアーで行ったので、おそらく前もって連絡されていたのでしょう。
個人で行った場合は、中まで入れないと思います。
地元の信徒の方々のご好意によって、観音の近くでお参りできました。
みんなで、般若心経など、一通りのお経を唱えました。
クラブツーリズムの場合、僧侶の方が、添乗員の人と一緒に来てくれるので、このお経を唱えるのは、本職の人と一緒にです。
昭和44年の火災で、本堂が焼失したのですが、同様に、ご本尊も焼失してしまいました。
そのため、現在のご本尊は正福寺の住職からの寄贈だそうです。
香炉の後ろに建物がありました。本堂に向かって左手になります。
これは納経所になるのでしょうか。納経所の運営も、地元の人によってなされているそうです。
ただ、私たちは、ツアーだったので、すべて添乗員さんに御朱印帳やお軸を預けているので、どこが納経所なのかわからないのです。
手水鉢や石塔です。
蓋がしてあって、使われていませんでした。
地元の方々あっての、お寺ですね。昭和44年に焼失してからは、坂東33観音の26番は、どうなっていたのでしょうか。
それから昭和52年まで、お寺が建っていなかったわけですよ。
山門はあったのでしょうが。
参拝を済ませまして、またもと来た階段をくだっていきます。
今度は、下りですから楽ちんですが、転ばないようにしないといけませんね。
今は、地元の方々のご好意で御朱印もいただけますが、これからはどうなるのでしょうか。
坂東33観音の霊場は、どこも古刹なので、中には、無住のお寺も出てきてしまうのかもしれませんね。
これからも守り継いでいただけるといいのですが。
【クラブツーリズムのバスツアーのブログ記事】
清瀧寺、坂東三十三観音第26番は今回のブログ記事
>>クラブツーリズムのバスで雨引観音の楽法寺、坂東三十三観音第24番
>>クラブツーリズムのバスツアーにて西明寺、益子観音、坂東三十三観音第20番
>>正福寺(佐白山観世音寺)坂東三十三観音第23番クラブツーリズムのバス旅