大圓寺というよりも、ほうろく地蔵尊をお祀りするお寺として知られていると思います。

こちらの大圓寺も江戸33観音めぐりの札所のひとつです。

材木屋さんのそばに石碑があって、ここから入口がわかります。

赤い文字ですし、見落とすことはないかなと。

禅の文字と、曹洞宗の文字が見えます。

赤い文字は、近くの目赤不動尊でもみました。

さらにこちらの大圓寺は、赤い山門です。

赤い色となにか関係があるのかもしれませんね。

先程の材木屋さんそばの道をずんずん入りますと、こちらの山門がみえまして、その先に、ほうろく地蔵尊がすぐに見えてきます。

 

文京区に固まっている江戸33観音霊場のひとつ

この付近は、八百屋お七に関する縁があるお寺が多いのですが、こちらの大圓寺もそうです。

お七の霊を慰めるために建てられたお地蔵さまがこのほうろく地蔵尊です。

天和の火災の後に恋仲になった八百屋お七、そのときに合った寺の小姓と再会したいために再度、火災になればと放火の罪で、火炙りの刑になったことは、多くの人が知るところです。

本来は、江戸33観音札所めぐりとして参拝しているのですが、これは気になります。

 

素焼きのふちの浅い土鍋(ほうろく)からくるお地蔵様

お地蔵さまがお七のために灼熱のほうろく(皿のように見える浅い土鍋)をかぶり、その苦しみを受けているのだそうです。

すべてはお七の供養のためです。

現在は、このお地蔵さまは、首から上、すなわち、顔にできたおできなどのデキモノだけにどどまらず、脳梗塞や目や鼻の病気、首から上の病気を治していただけるとして、願掛けに来る人が絶えないのだとか。

偏頭痛も、首からの上の病気ですね。

 

大圓寺の境内には句碑や観音像があり

 

境内は緑が多く、それ以外にも句碑や石碑、祠など歴史あるお寺ということがわかります。

 

八百屋お七と関連あるお寺ですから、その時点で、歴史が古いですよね。

八百屋お七の住んでいて八百屋は、このお寺の近くにあったのだとか。

 

木が古いので見えにくいですが、江戸33観音の札所であることがわかります。

 

本堂に向かって右手に納経所(寺務所)

竹が植えられていたり、雰囲気がいいです。

納経所の扉をあけたら、なんと大黒天です。

大黒様ファンの私としては、めちゃくちゃ縁起がいい気分になりました。

寺務所の置物の大黒様にしては、立派すぎますね。

こちらもお参りできるようになっているといいですよね。

大圓寺は、境内もきちんと整えられてみていて清々しい気持ちになります。

桜の季節はもっと素敵な場所になっていることでしょう。

冬の巡礼は、寒いことと、お庭の楽しみが減ってしまうことにあるかと思います。

過酷ですよね。その分、納経、お経を唱えることに集中できるのでしょうが。

 

七観音が出発点だった

大圓寺は、難病を克服した和尚様が起死回生の歓喜を得たことから、その御礼にということで七観音の建立を思い立ったのだとか。

高村光雲による七観音を作ったそうです。

七観音とは、聖観音のほか、千手観音、如意輪観音、十一面観音、不空羂索観音、馬頭観音、准胝観音の七観音です。姿を七変化させることができる観音さまですね。

しかし、それらの七観音は空襲による火災などで、なくなってしまったとか。それでも胎内仏だけが疎開のために残ったといわれています。

 

大圓寺の裏手を歩いていたら偶然にも、墓所を発見しました。

史跡高島秋帆の墓となっています。

 

大圓寺のそばの墓所に高島秋帆の墓も

墓所ですから、お墓ばかりです。

迷いながらも奥に進んでいきましたら高島秋帆の墓を見つけることができました。

墓所の中にも簡略化された地図があるのですが、それを見ても見つけづらいかったです。

国指定の史跡なのだとか。

まぁ、他人のお墓をウロウロするのも考えものなので、史跡だからこそ、行ったわけですが、すぐに立ち去りまして、次のお寺へと向かっていきました。

しかし、偶然この墓所は見つけたのですよ。なんでしょう。