今回も港区にある江戸33観音の札所めぐりです。

今回は、外苑前駅からすぐ近くにある梅窓院です。

こちらの梅窓院は、もう何度も行ったことがあるお寺です。ですが、今回は江戸33観音めぐりとして行ってみました。

都心の駅チカ、お寺ですから、最近は墓地苑、霊園として知られているようです。

ペット用のお墓もありました。


都会の真ん中にある近代的ビルの梅窓院

近代的なビルが立ち並ぶなか、青山通りを歩いていると突如して孟宗竹の竹やぶが見えますので、すぐにわかります。

しかし、中に入る人はまばらでした。寛永20年の建立となる梅窓院です。

老中大蔵少輔幸成公の菩提寺として青山公の下屋敷内に作られました。その当時は13000坪以上あったそうでかなり広いことがわかります(現在は、3000坪)。

山名は、長青山になります。寺号が寶樹寺、院号が梅窓院です。

青山公の戒名から梅窓院となったそうです。

増上寺の中興智国師を勧請して開山の祖としたそうです。

お寺としてのご本尊は、阿弥陀仏ですが、江戸33観音としての札所本尊は、泰平観世音菩薩です。

山手六阿弥陀としてお寺の本尊は知られていましたが、観音様も有名で、古来より、青山の観音様として知られていたそうです。

縁結びと安産のご利益があると人気だったそうですよ。縁結びを願う御朱印ガールにもいいですね。

青山の観音様として知られていたときは、観音様の伽藍もあってかなり広い寺院だったのでしょう。

そもそも泰平観世音は鑑真和上が中国より招来して、東大寺大仏殿に奉安されていたそうです。

それが源頼義公が奥州追討のときに、念持仏として持っていて、懐中守護としていたとのこと。
それが南部公から青山公に渡ったということです。

 


不老門と書かれている山門から先はビルがみえる

緑の色の竹ではなく、茶色にこだわったといわれる竹がみえます。侘び寂びを表します。

先代の住職が書いたという文字が刻まれた石碑が山門前にありました。

現在の近代的なお堂、ビルは、平成15年に完成して、平成16年に落慶式が行われました。

東京のお寺の宿命でしょうか。昭和20年の戦災で観音堂は焼失したそうです。

その後立て直しされたのですが、それも老朽化したため、平成7年に新観音堂が建てられたそうです。

都会の真ん中にあるので、お墓参りは、24時間できるとのことです。

会社帰りに立ち寄れるというのがいいですね。ただし、車で来ると駐車場が閉まってしまうのでそれには注意をとのことでした。


将棋のコマのような御札を渡される

私が梅窓院に来たのは、3回目か4回目なのですが、初めての参拝で御朱印をいただきました。

その時も、御朱印を待っている間に渡されたのがこのような御札です。

この木札と御朱印帳を交換します。

今までの木札には何と書かれていたのか記憶にないのですが、今回は、「江戸三十三観音札所」と書かれていました。私は「伍番」です。

山門を入ってすぐのところに、受付があります。

そこで江戸33観音めぐりで来たことと、御朱印をいただきたい旨をいいます。

受付のところではお墓参りに来た人のためにお線香やお花も購入できるようになっていました。

 



ビルの隣には、墓地になっています。

その手前は小さなお庭になっているので、そちらを背景にして、木札の裏側を撮りました。

第二十四番と江戸33観音の札所の番号が書かれていました。「泰平観世音御守護」と御朱印っぽい印もありました。

あとは、青山梅窓院と書かれています。

梅窓院の観音様は、青山観音と呼ばれていましたから、「青山」と書かれているのかもしれませんね。

昭和30年くらいまでは、毎月3日、17日、23日に縁日となっていて、夜店も出て、多くの人が訪れる場所になっていたそうです。

現在は縁日がないのが残念ですね。もしあったら、青山通りがいっぱいになってしまうかな。


観音堂は寺院棟の1階にある(時間は8時半から夕方4時半まで)

寺院棟の1階に観音堂があります。

私が以前来た時も、ちょうど法要が終わりとなる時間で、少し待ってもらえば中に入れますと言われました。

法要が優先です。それと観音堂は葬儀場としても使われているそうなので、タイミングが悪いと観音堂に入れない可能性もあります。

今回は、誰も来ていなかったので、すぐに観音堂に入れました。

都心にあるお寺ですが、観音堂での参拝は、朝8時半から入れるそうです(何か法要のようなものがないかぎり)。

夕方は4時半までですが、4時位までに入ったほうがいいでしょうね。

椅子に座ってお経を唱えることができます。

木魚もありましたが、叩いていいのかわからず。

まぁ観音様にお会いできたので、良しです。周りに太陽の光のようなものがある観音様でした。

梅窓院は、街の人々に開かれたお寺を目指しているそうで、入口から入っていいのか、ためらってしまうのですが、信徒でない人でも参加できる行事は毎月のようにあるとのことでした。

年3回、念仏と法話の会があったり、花祭りも行われます。


ペットのお墓もあった

山門から青山通りのほうを写してみました。

青山通りから入ってすぐのところにある燈籠は、室町時代のものだそうです。

山門を入った横には、犬や猫の絵が刻まれた石のお堂がありまして、そこにはペットの名前が刻まれていました。どうやらペット用のお墓になっているようでした。



裏手には祖師堂があった

こちらは檀家さんが集まる場所なのでしょうか。

よくわからないのですが、こちらは裏手から入るようになっていました。

こちらも、竹は緑ではなく、茶色の竹です。

以上が、江戸33観音札所めぐりとしての梅窓院です。

私は次に、永平寺別院、長谷寺へと歩いて行きました。

その途中に、パワースポットとして聞いたことがある船光稲荷神社を見つけたのでちょっとだけ立ち寄りました。

そこで番外編として、船光稲荷神社の写真も

パワースポットとして一部で知られる船光稲荷神社

誰のブログで読んだのか、今となっては記憶にないのですが、こちらの船光稲荷神社がパワースポットであるということを、そばを通ったときに思い出しまして、立ち寄りました。

次の札所へと歩いている途中、ちょうどグーグルマップで見ていたときに見つけたのです。

徒歩での巡礼はこのようなことがあるので、予定していた時間が伸び伸びになることが多いのですよ、私の場合。


とはいえ、広い境内の神社ではないので、参拝だけです。

だれが管理しているのか、きれいになっています。

手水舎もあります。寂れた神社だと、手水舎のところが水がなかったりするのですが、水はしっかりありましたし、柄杓も置いてありました。

場所は、港区南青山3丁目の船光稲荷神社として探せば地図に出てきますよ。

周りは青山のオシャレなビルばかりです。

そのビルとビルの間にあるからなのか。知る人ぞ知るのパワースポットなのだそうです。

風水的にいいのかな?

エイベックスビルからも歩いていける範囲です。

渋谷長者の勧請によりできた稲荷神社とのことです。だからなのか、長者丸神社と言われた時期もあったらしいです。

御朱印をいただけるような場所もなかったのですが、かなりきれいに管理されていて、一体だれが掃除などしているのかなと思いました。

祈願の札などがそばにあったので、町内では知られた神社なのでしょう。

午の日だったら、もっと何かわかったのかもしれません。

しかし、わざわざ来る機会もなかったと思うので、これは徒歩での巡礼の楽しみのひとつだと思いました。