江戸33観音札所めぐりは、由緒あるお寺として選ばれているそうです。
文京区にある江戸33観音の札所をめぐっていますと、八百屋に関することが出てきます。
第23番の大圓寺もそうです。
その時のブログ記事はこちら
今回の第11番である圓乗寺は八百屋お七のお墓があるお寺です。
八百屋お七は大圓寺の近くに住んでいたといわれていますが、お墓があるのは、こちらの圓乗寺です。
この圓乗寺は、新しく生まれ変わったばかりのようで、とにかくすべてが新品そのものでした。
お寺の石碑も、参道となる道も真新しいものでした。
もしかしたら、私がお参りに行った1月から使われるようになったのでしょうか。
近代的なお寺でもあり古い部分も残っているお寺
圓乗寺に入ってすぐのところに、文京区教育委員会の八百屋お七のお墓に関する説明がありました。
指ヶ谷の文字も見えます。「さすがや」読むようで、旧地名になります。旧地名なのですが、小学校にはその地名が残っているとのことでした。
石碑なども残っているのですが、新しい小石が敷き詰められていて、これまた新品に見えます。
私が持っていたガイドブックは、古い時のお寺の写真でしたから、本当にできたてホヤホヤなのかもしれません。
古い木造のお寺でしたら山名が書かれた額が本堂の入口にあって、となるでしょうが、観音様のいらっしゃるところに掲げられていました。
今は、ビルとなっている建物の中に入ってお参りができました。
南縁山、正徳院、圓乗寺が正式な名前ですね。
聖観音菩薩の像は、戦火で焼失したものを復元したのだそうです。
地蔵尊は、八百屋於七地蔵尊です。八百屋お七は、於七と書いていたのです。
水に溶けるおみくじあり
私がお参りしたのは、1月下旬でしたから、まだまだ初詣の雰囲気が残っています。
水に溶けるおみくじ、というものがありました。1回100円です。
秩父神社などでもこのような水に流して溶けるおみくじというものを見かけたことがあります。
その他、八百屋お七にちなんだものもありました。
根付は、八百屋お七が登ったはしごとお七が鳴らした半鐘をモチーフに作られていました。
縁結びのご利益あり、とのこと。
於七地蔵尊のお守りもありました。
そのほか、火防のお札もありました。火伏御守護は、防火のご利益ありです。
八百屋お七と防火ですよ。なんだか皮肉な組み合わせです。
なぜなのかいわれがわからないのですが、立春の頃、柱に火防の御札を貼りますよね。
それにも使われるのかしら。
八百屋於七の墓と八百屋於七地蔵尊
八百屋お七の供養塔とともに、お墓があるとのことでしたが、どちらがどちらなのかよくわかりませんでした。
寛政五年初代岩井平四郎が建立の八百屋お七追善供養のための供養塔があります。それも百十三回忌供養塔です。
その隣には、二百七十回忌供養塔もあるとのことです。
真ん中がお墓でその左右にあるのが供養塔でしょうか。
おそらく一画に分かれている部分がお墓ではないかと思っています。
八百屋お七の墓と書いてある立て札の下は、お地蔵さまの石碑でしたし。
説明では、「江戸時代の歴史的事件の主人公、小説、芝居などのモデル」と書かれていました。
確かに、歌舞伎など取り上げられています。もしかしたら、事実とは異なる部分もあったのかもしれませんね。
いずれにせよ、天和3年3月29日になくなったことが書いてありました。
こちらのお地蔵さまが八百屋於七地蔵尊なのでしょうか。
お寺のリニューアルでもここの部分は残して置いてあるのでしょう。
以前のお寺の写真では、本堂のすぐ隣にあったのが龍塚でした。
龍塚の隣には龍の水盤
以前のお寺にもあったくらいですから、なにかいわれがあるのだろうと思いますが、龍塚がありました。
三界万霊と書かれた石碑と、六地蔵です。
六地蔵のほうは、比較的新しいように思いました。
地蔵菩薩の六分身です。
三界万霊の塔もありました。三界、そしてすべての霊に対しての供養となります。