引き続き、文京区における江戸33観音めぐりです。
江戸33観音の札所めぐりでは、四国八十八ヶ所のようなお接待というものもありません。
都会を回るわけですから、それが普通と思っていました。
江戸33観音を回っていて数少ないお菓子をいただけたお寺、それが定泉寺でした。
お菓子というか、硬めのクッキーのようなタイプのお煎餅です。ありがたいことです。
感激してすぐには食べずに取っておきました。
矢場の定泉寺と呼ばれていた古いお寺
定泉寺に向かって歩いていましたら、時計とともにある看板を見つけました。
実際に定泉寺付近をめぐってみるとわかりますが、本当にここ一帯はお寺が多いです。
もとは本郷弓町の「太田道灌の矢場跡」にあったそうですが、明暦の大火のあとにこの地に移ってきたそうです。移ってきても矢場の愛称はついていて、矢場の定泉寺と呼ばれていたそうです。
お寺の歴史を見ていると、けっこう引っ越ししているのですよね。古いお寺ほど移っているのです。
入口には、札所であることがわかりすいように石碑があって、「江戸33観音札所第9番」という文字と「十一面観世音菩薩」の文字がみえます。
十一面観音の定泉寺
石碑の上には、「毎日、誰かがお参りに来るお寺」と書いてありました。
それほど地域にも密着しているのでしょうね。
もちろん江戸33観音めぐりの人たちも参拝に来ることでしょう。
入ってすぐに夢現地蔵尊のお堂
私は地蔵経というお経も持っているほどお地蔵さまには興味があるのですが、入ってすぐのところに歴史を感じるようなお堂がありました。
そこにはお地蔵さま、それも夢現地蔵尊という興味を引くような文字が並んでいます。
このお堂の中に、花立があるのだそうですが、その花立には、弓の絵柄がついているだとか。
ここからも矢場の定泉寺だからこそ、ということがわかります。
夢現地蔵尊のお堂の隣にもたくさんのお地蔵さまです。
それも年季の入ったような色合いです。
五重の層塔あり
本堂のほうへ向かって歩いていますと、参道の右側に五重塔をみつけました。
あとで調べたら江戸時代に作られた五重塔、層塔です。
私の写真の撮り方がよくなくて木々がありますが、右側に塔がみえると思います。
これが五重塔です。
他にも宝篋印塔などもあるそうで、歴史あるお寺だとわかります。
外にあった石碑は新しかったですが、本堂のところにある木札は年季の入った札ですね。
そこにも「江戸33観音札所第九番」と書かれていて、十一面観世音菩薩ということが書いてありました。
写真でもわかりますが、向かって右側に寺務所があります。
本堂に入ってお参りできるようになっています。
やはり内陣に入ってお参りできるのは嬉しいものです。
こちらの定泉寺には、いくつか有名な方のお墓もあるそうです。江戸時代の書家のお墓などです。
お墓についてはよくわかりませんでした。私はどちらかというと、入口入ってすぐのところにあった夢現地蔵尊とそのとなりの山のようになって立っていたお地蔵さまが気になりました。
こじんまりとしていますが、きれいに整備された参道に木々がありまして、なるほど、毎日誰かがお参りに来るお寺なのだなと感じました。