関東三大お不動様といわれるくらいなのが、不動ヶ岡不動尊の總願寺です。
それほど有名だとわかるのが、本堂の周りに張られている木札の数と、有名人の多さです。
芸能人の名前もちらほら見かけましたよ。
本堂の建物の古さからも歴史を感じますし、知る人ぞ知る、ということで東京から遠くてもわざわざ總願寺に参詣に来るくらいです。
駐車場のところには、「関東三大不動」「不動ヶ岡不動尊」と書かれた看板が立っていました。
私も関東36不動尊めぐりをする前からお不動様が祀られている寺院に参詣していましたが、こちらの總願寺は関東三大不動と言われるくらいなのに、どういうわけか今回が初めてです。
埼玉県加須市の總願寺は不動ヶ岡不動尊と言われる
ただし、この関東三大不動というのは、諸説あるそうです。
関八州におけるお不動様なのですが、ここ不動ヶ岡不動尊の總願寺以外にも歴史ある有名な寺院がありますからね。
總願寺も坂東33観音の寺院でよく見たような歴史ある古い建物の寺院ではあります。
しかし、それでも関東にはお不動様の有名なお寺がありますよね。
千葉県の成田山新勝寺
日野市にある高幡不動(金剛寺)
神奈川県伊勢原市の雨降山大山寺
さらには、同じ埼玉県にある高山不動尊もです。
成田山新勝寺は、お不動様ではかなり有名ですから、関東三大不動に選ばれるだろうことはわかります。
また、お不動様の像が古いことで知られる高山不動尊も選ぶ人が多いことでしょう。
あとの寺院がどれにするか。
でも、どこの寺院も自分のお寺は関東三大不動に入っているという前提で話をするでしょうね。
どの寺院も真言宗であることは共通していますね。
上の写真にも書いてありますが、毎月28日がお不動様の縁日です。
もし、お不動様にお参りしようと思う人がいましたら、なるべく28日を選ぶといいですよ。
埼玉県加須市の總願寺へは車で行って、お寺の右脇にある駐車場に停めた
加須市まで行くのは、私の家からは遠いので、なかなか参詣する機会がありませんでした。
都内から行くとなるともっとハードルが高いかもしれませんね。
電車で行くとなると、駅からバスに乗る必要があります。
東武伊勢崎線の加須駅から歩いていけないこともない(歩き巡礼に慣れている人ならOK)ですが、距離は2キロほどあるようです。
いずれにせよ、私たちは車に乗って行きました。
さて、埼玉県加須市というと、五家宝で知られる場所なのですよ。
とはいえ、埼玉の熊谷あたりを知っている人ならともかく、五家宝のお菓子を知らない人もいますからね。
生の五家宝を売っているお店が總願寺のすぐ近くにありました。
お寺の駐車場からも近かったです。
先程の写真にもありますが、お守りなどは、本堂のところに並んでいました。
やはり圧倒的に多いのは、護摩焚き、もしくは、護摩木に願い事を書くという目的の人でしょう。
おびんずる様も古いし、本堂にかかっている絵も古い
歴史を感じるようなものが多くて、それを見るだけでも楽しいです。
坂東33観音めぐりが好きな人ならばお寺の古さに親しみがわくことでしょう。
古いお寺なのですが、先程の写真にもあったように、「仏画教室」(毎月第4土曜日)があったり、月に1回は骨董市があったりして、市民との交流も盛んな感じがしました。
私が行った時は、お寺の修復工事真っ盛りで、ちょうど寺務所近くにある「大日堂」や客殿の工事が行われていました。
本堂(不動堂)真向かいにある門も、金ピカになっていましたよ。
總願寺には門がいくつかあって、黒門が文化財、その他金ピカの山門も
こちらが大日堂の真ん前にある「赤門」です。大日堂が工事中で、網がかかっているのがみえます。
こちらの門は赤いから目立ちますね。それに独特の色合いになっていますし、彫刻があってこれもいいです。
金ピカにみえるのが、山門です。
私達は、この赤門近くにあった駐車場に車を停めました。
總願寺の不動ヶ岡不動尊と呼ばれる不動明王は、1100年以上前の仁和二年、886年に天皇の命により智證大師が彫刻して、歴代の天皇の守り本尊としてお祀りされていたそうです。京都御所の紫宸殿にお祀りされていたくらいです。
その後、長暦三年、1039年にここ不動ヶ岡に移ってきたそうです。
江戸時代には、徳川家からも信仰されていて、特に五代将軍、徳川綱吉公の時には、御朱印百石もいただいたという由緒ある寺院だったのです。
それくらい長い歴史を持ちますから傷みも激しく、不動堂は雨漏りさえしていたそうです。
それを改修工事「平成の大改修」として行っている最中でした。
大日堂は私が行った時が改修工事中でした。
改修工事が終わっていたのが山門です。金ピカになって新品同様です。
山号が何と読むのか、よみ方がわからないのでパソコンで打てません。
玉と山はわかりますが。嶋の旧字みたいな字です。
山門のところには、仁王像が立っています。
東京敬信講と書いてありますね。深川不動堂でもお寺の周りに「講」の石碑が多くみられました。
仏教の講話を聞くために集まった人たち、ということだったらしいのですが、お寺に一緒に行くグループ、団体、くらいの意味でしょうか。
改修工事は、大日堂が今まさに行っている最中で、ほかにも、鐘楼を移築などお寺境内を整備することを着々とすすめているようでした。
黒門が加須市指定有形文化財
3つある門のうち、黒門が加須市指定有形文化財でした。
行田にある忍城の北谷門を移築した門なのだそうです。忍城には行ったことがあったので、びっくりです。
文明年間から明治まで約400年続いた忍城ですが、現在のお城は「忍城本丸跡」となってあくまでも、「跡」でした。
忍城で現存するのは、ここの黒門と高麗門だそうです。
金ピカにみえる山門の左隣が観音堂になっていました。
金ピカの山門に仁王像が立っているのが、うっすらとみえますね。
こちらは、不動堂に向かって左側の建物です。
遷座壱千年記念碑がたっています。
その後ろは、仏画教室でも使われている参籠堂です。
不動ヶ岡不動尊總願寺の由来が書いてありました。
黒門のほかにも、總願寺不動堂、倶利伽羅不動剣や芭蕉翁句碑、散蓮華模様青石塔婆が加須市指定有形文化財になっていました。
倶利伽羅不動剣をしっかりみておけばよかったかなと思っています。
總願寺では毎年節分に豆まきが
不動堂の周りには、かなり大きな木札が立てかけてあって、どれにも「年男」の文字がありました。
女性の名前と思われるものにも「年男」の木札でした。
年男といえば、節分の豆まきです。
成田山新勝寺でも節分の豆まきは有名になっていますが總願寺でも芸能人が来たりと豆まきは、有名になっているようでした。
大護摩供の札がありまして、大護摩供鬼追い豆まき式は、約400年近く行われてきたそうです。
立春の前日、節分の日に(ちなみに、節分とは、季節を分けることですから、春だけが節分ではないのですよね)、赤鬼、青鬼、黒鬼がここ總願寺にやってくるそうです。
總願寺の鬼追い豆まき式は、当日3回も行われているそうです。
豆まきだけが行われるわけではなく、必ず、護摩焚き、護摩供が執り行われてから、豆まきです。
こちらは、不動堂の裏側です。
こちらを見ると、建物の古さを感じますよね。
こちらの總願寺では、豆まきだけではなく、年男の厄落としとして、ものを落とすことも、重要視しているそうです。
江戸時代には、その当時簡単には手に入らなかった手ぬぐいなどをわざと辻に落として、厄落としをしたそうです。
この故事にならって、今も、年男の人には、豆まきのほかに、自分で福銭やお菓子などいろいろと用意してもらって、それを落とす(豆と一緒に投げる模様)ことで、厄落としにしたそうです。
9月のご縁日には、火渡り式も(柴燈護摩火渡り式)
境内の裏側には、このような場所もありました。
總願寺は、節分の豆まきが有名になっていますが、なんと火渡り式も9月に行っているそうです。
そうなりますと、やはりかなり広い場所が必要になりますね。
庫裏の納経所で御朱印を頂いた
大日堂の隣が客殿になっています。
この客殿の先に庫裏(寺務所)があって、そちらで、御朱印をいただきました。
不動堂のお賽銭箱の近くにも御朱印が必要な人は、寺務所(階段を降りて左突き当り)へと書いてありました。
ちなみにお守りが欲しい人は、護摩木の右奥にあるインターフォンを押してくださいと書いてありまして、お守りは不動堂で購入できるようでした。
寺院の境内でいろいろと見て回っていたために(もちろん、お経や不動明王のご真言も唱えた後)私が寺務所に行った時は、4時半くらいでしたが、私のほかにも、4人位が御朱印をいただきに来ていました。
私は、関東36不動尊めぐり用の御朱印で、差し替えのバインダー方式なので、すぐにいただけました。
再度、鐘楼からみた不動堂です。鐘楼の下に、東京丸信講の文字が見えます。
不動堂のまわりには、桜の木のような枝が見えました。
春に来るのも良さそうです。
この後、駐車場近くにあった、武蔵屋本店で、生の五家宝を買ってから帰りました。