クラブツーリズムのバスツアーですが、今回の正福寺が最後のお寺になります。
クラブツーリズムのバスツアーについて、バスの紹介など書いた記事はこちら
>>清瀧寺へバスツアーで行った(クラブツーリズム)坂東33観音めぐりの第26番
他にもクラブツーリズムのバスツアーで行った話はこちらに
>>雨引観音の楽法寺は花の寺で孔雀がいる坂東33観音巡り第24番
>>西明寺(益子観音)は笑い閻魔が人気えんま御朱印を買ってみた坂東33観音めぐり第20番
ここをお参りしたら後は、東京へと戻ります。最後の最後に行ったお寺は、御朱印の種類が多いお寺でした。
こちらの正福寺ですが、以前は、観世音寺と言われていたそうで、その当時の呼び名を使っている人もいます。
しかし、現在は、お寺に行きますと、「正福寺」の文字になっていますね。
一時期、観世音寺と称していたそうですが、現在は正福寺に改号しているそうです。
お寺に行って最初にみるのがこの掲示板ですが、すでにここにも御朱印がたくさん貼ってありますが、御朱印の種類が多いお寺としても有名です。
見ていただくとわかるように、金文字の御朱印や、イラストが入った御朱印もありますよね。そういえば梵字で書かれた御朱印もありました。種類がものすごい多いので、悩みます。
遠方の人には郵送も行っているようですよ。
佐白観音の正福寺
県指定の文化財もあります。茨城県指定の文化財は、木造千手観世音菩薩坐像です。
そのほかにも市指定の文化財もあります。
こちらは笠間市になりますね。
金銅仏十一面千手観音立像、木造毘沙門天立像、木造不動明王立像です。
十一面観音でもあり、千手観音でもあるというのは、珍しいですね。
ご本尊が千手観音で、その厨子の両脇侍が毘沙門天と不動明王でした。
私たちのバスは、市営の駐車場に停めまして、そこから歩きました。
お寺にはトイレはない(女性の住職のお寺なので防犯上貸していないとのこと)のですが、駐車場に広いトイレがありました。
笠間市にある正福寺は尼僧のお寺で女性住職がお話してくれました
駐車場から先程の掲示板の前を通ってから車の通りを渡り、参道へといきました。
私たちが行った時は、梅には少し早い時期だったようです。
もう少し後だったら、梅の花が満開だったことでしょう。
こちらの正福寺は、坂東33観音の札所ですが、関東百八地蔵尊の霊場でもあります。関東百八地蔵尊の第59番の札所です。
拝観時間は、4月から10月までは、朝8時から夕方5時までとなっていて、3月から11月までの冬時間は、朝9時から夕方4時までとなっています。
お昼休みがあるのかと思ったら、坂東33観音めぐりの人の納経帳へ御朱印は、昼休みなしでやるそうです。
金銀の御朱印の御朱印帳への書き込みは、土日祝となっているそうです。
ただし、私たちのようなバスツアーの団体も来ますから、御朱印の書き込みができない時もあるそうです。
私達も坂東としての御朱印は納経帳に書いていただきましたが、それ以外の金銀の文字が入った御朱印やイラストが入った御朱印は、書き置きでした。
カード式のお守りが人気
さて、参道をしばらく歩いたら、階段がみえてきました。
両脇が梅の木とツツジの木なのですが、残念ながら、まだまだのようでした。
おそらく春に来ていたら、みごとなのでしょうね。
そのほかは、山のようになっていました。
階段には手すりはなくて、ロープになっています。お年寄りは上るのが大変かもしれません。
でも、登っていったら観音様に会えるのですから、頑張ってください。
正福寺は、御朱印の種類の多さで知られますが、お守りもなかなか便利でいいのです。
カード式になって薄いですから、お財布に入れておけます。
今は、縁結びのお守りが人気のようでした。
だんだん山の中に入っていきますね。
先程の急な階段を登ったら、このような平らなところにでます。
山を切り開いたところに作った印象のお寺です。本堂のある場所の敷地はそれほど大きくありませんでした。
しばらく歩くと、すこし登ったら、正福寺の本堂が見えてきますよ。
ここ正福寺は、笠間稲荷神社からそれほど遠くもありません。
私は、関東三大稲荷と聞いていた笠間稲荷神社には、かなり前に参拝したことがありますが、その近くに坂東の札所となるお寺があったとは知りませんでした。
手水舎のところに明王様が
手水舎にたどりつきました。
手水舎の前に行くと、岩のようなところがあって、そこに穴があいていて、中に不動明王なのかよくわかりませんが、安置されています。
本来は、暗い穴なのでしょうが、光がついてみえますよ。
お迎え地蔵と呼ばれる延命地蔵
馬頭尊と書かれた石碑の隣に延命地蔵が立っています。
この延命地蔵ですが震災後に、向きが変わって、参道のほうに向いたそうです。
それで、今は、「お迎え地蔵」と呼ばれているとか。
確かに、私達を迎えてくれているようにみえます。
こじんまりとした観音堂
ご本尊は千手観音です。内陣で千手観音を拝見する場合は、有料になるそうです。
私たちは、バスツアーなので、拝見させていただきました。
御朱印についても、中で選ぶことができました。
正福寺は、651年に、粒浦氏という人が佐白山を守っている白鹿、白馬、白雉に導かれて霊木を得たところから始まります。
その霊木を刻み千手観音像にして安置したのが始まりです。
後でその千手観音像を写した写真を載せますが、木彫りでここまでできるのかと思うほどです。
正福寺は、山号もお寺の名前も変わってきています。
最初の山号は、三白山といいました。三白山、三白寺、三白院を建立したのが始まりです。
その後、寺号を三白山正福寺と変えて、真言宗となり、孝徳天皇の勅願寺となりました。
鎌倉時代には、関東でも有名な観音霊場になっていたそうです。鎌倉初期には、一部の人たちには霊場巡礼が行われ、その時に坂東三十三観音の霊場が定められたのではないかといわれています。
その頃、正福寺は笠間時朝により祈願寺と定められました。
その後は、佐白山と山号を変えました。
御朱印の種類は百以上?
内陣まで入らない人は、ここで御朱印の受付をしますが、ちなみに、ここに掲げてある御朱印は一部となっています。
まだまだ、中にあるのですよ。
全部いただくわけにもいかないでしょうから(というか全部買ったら、総額がいくらになるか見当も付きません)、選ぶことになります。
お地蔵様、大黒天、梵字になっているもの、金文字、銀文字、さらには、紙も白だけでなく、紫色があったり、赤い紙があったりと、種類が豊富です。
御朱印ブームに乗っている感じがしますね。
それでも御朱印のひとつひとつが違っています。御朱印ブームに乗っている神社などでは、あまり変化がないような御朱印を数多く出しているところもありますから。
私は御朱印のところでもたついてしまったのですが、バスツアーを先導いただいたお坊さんが待っていてくださいまして、急がせるわけでもなく安心できました。
本当に優しい方々ばかりのバスツアーでした。
十一面観音でもあり、千手観音でもある
ご本尊ですが、内陣に入って拝見するには、拝観料が必要になります。
私たちは僧侶の方と一緒のツアーですので、まずはご本尊の前でお経を唱えました。
そうしていたら、いつの間にか、厨子の扉が開いていまして、御開帳となりました。
女性の住職のお話も聞けましたよ。
上の写真が千手観音坐像です。
とはいうものの、本物ではなく、大きくポスターのようにして写真が中に置いてあるのです。
そのポスターの写真を撮る分にはいいとのことでした。本物のご本尊は写真撮影は禁止です。
こういう工夫もいいですよね。単に、禁止、禁止よりも。これをみながら拝むことができます。
おおらかなお寺さんですと、うちは本尊は写真撮影OKですよって言ってくださるところもあるのですが、9割方は写真撮影お断りですよね。
こちらの正福寺は、ポスターを写真に撮るのはOKという工夫したやり方でした。
百観音のお軸も見た
貴重なお軸も見せていただきました。
よくよく見ると、観音様の御朱印ではなく、御詠歌のようです。
百ヶ寺となると、秩父、西国、そして坂東の観音霊場のものでしょうか。
こちらの正福寺は、山号も変わりましたが、お寺の名前も変わりました。
最初は、白雉、白鹿、白馬の三つの白から三白山でしたが、その後は佐白山に変わりました。
笠間市にあることからもわかるように、笠間氏の信仰を得ていました。笠間時朝が観音様の霊験に助けられたので、「佐」という、たすくの意味の文字が使われて、佐白山になったのです。
正福寺の名前も、平成24年から正福寺に戻りましたがが、その前が観世音寺であり、さらにその前は正福寺ではあったものの、勝福寺と書いたそうです。
天正18年には、一時期、勝福寺と名乗ったが、貞享3年、1686年に本堂と宝塔が補修された時に、正福寺に変わったとのこと。
江戸時代は藩主の信仰を得て、その後400年は栄えたお寺でしたが、笠間氏の滅亡とともに、お寺も衰退の一途へと。
さらに追い打ちをかけるように、明治時代の廃仏毀釈でめちゃくちゃにされ、焼き払われてしまいます。
運命に翻弄されたお寺なのです。
ご本尊や、ほかの仏像が信徒によって難を逃れ、昭和5年になって現在の場所に本堂が再建されたそうです。佐白観音堂として二度目の本堂建立です。
歴史にもしは、ないのですが、もし笠間氏の全盛期のまま残っていたら、それはそれはものすごく広い境内に、仏像もたくさん残っていたことでしょう。
坂東33観音めぐりでも歴史が古いお寺ばかり回りますが、浅草寺のような広大な敷地を持つお寺からこじんまりとしたお寺までいろいろあります。
春はみごとなツツジに囲まれる
いかに廃仏毀釈で困難な時期を過ごしたかというと、ご本尊は、徳蔵寺で保管され、その後、玄勝院に遷座していたくらいです。
鐘についても、建物はあるものの、鐘自体は、佐白麓公園にあるそうです。
このようにご本尊のみならず、お寺の寺宝も散逸してしまっていたのです。
笠間氏の滅亡とともに衰退し、さらに明治の廃仏毀釈です。
お寺を残していくことは困難なことを今の女性住職もよくわかってるのでしょう。
娘さんも御朱印などで、寺務所を手伝っていました。
さて、手すりがなくて、階段を上るのが大変というのは、上の写真をみていただくとわかるかなと。
帰り道に下に向かって写したのですが、けっこう急なのがわかりますか。
とはいうものの、延々とと続くわけでもなく、ところどころ休むことができるようになっています。
後で調べてみたら春はツツジがみごとだそうです。
山の中に向かっていくような感じだったのですが、ツツジの咲く頃は、参道もきれいに見えるようです。
もし、季節を合わせることができるなら、ツツジの頃に言ってみるともっときれいな光景を楽しめると思います。
【クラブツーリズムのバスツアーのブログ記事】
>>雨引観音の楽法寺、坂東三十三観音第24番クラブツーリズムバスツアー
>>西明寺、益子観音、坂東三十三観音第20番クラブツーリズムでのツアー
正福寺(佐白山観世音寺)坂東三十三観音第23番は今回のブログ記事
>>筑波山大御堂(大本山護国寺別院)坂東三十三観音第25番クラブツーリズム
ここで、クラブツーリズムのバスのご紹介。女性専用のバスで、トイレ付きなのです。
クラブツーリズムのバス旅で他にも行った時のもの
クラブツーリズムのバスツアーは他にも参加しているので、ご紹介します。
神社の御朱印ツアーでバスを利用しました。新宿のバスターミナルでの集合の時です。
この記事の上のほうに書いた坂東三十三観音の場合は、上野でしたからツアーによって集合場所が違うので、ご注意ください。
このバス、トイレ付きのバスなのです。ボヌール号といいます。
バスの車体にはクラブツーリズムのキャラクターも描かれています。
これだけお花で埋め尽くされているのは、駐車場に何台もあってもすぐにわかるように、なのです。
5匹の豚?それともクマかな。名前は、「くまぶー」といいます。
キャラクターは、バスの後ろのほうがわかりやすいです。横は、お花柄が目立ちます。
寒い時だったので、足元にかけるものも用意されていました。
リラックスできるようにスリッパも。
椅子は白い革張りの椅子です。
ボールペンを使う時、間違って汚さないか、気になるくらいの白い革。
長距離バスにもありますが、バスの後方にトイレです。
しかし、ほかのバスにありがちな小さくて狭いトイレではなく、広くてきれいなトイレです。
ホテルの化粧室と言ってもいいくらいのトイレの洗面所です。
いたるところにお花が飾ってあります。
お湯を使うので危ないために、使える時間が決まっていましたが、トイレの脇にはお茶を飲むことができるコーナーもありました。
ハーブティーやコーヒーを選ぶことができました。
止まっている時に、コーヒータイムです。
ほんのさわりだけですが、こういうバスも他のバスツアーではありました。
クラブツーリズムのサイトで探してみてくださいね(残念ながら坂東三十三観音は女性限定ツアーではないので、このバスではありません)。
「トイレ付きバス」の旅とかの言葉で探すとツアーが出てくるはずですよ。
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